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魔法の箒、修理いたします。  作者: 仲村千夏


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190/191

工房の違和感

 朝の光が、工房の床をゆっくりと這うように広がっていた。


 風の手工房の扉が開く。


 いつもと同じ時間。

 いつもと同じ動作。


 アレンは中へ入り、無言のまま窓へ向かう。


 カタン。


 窓を少しだけ開けると、冷えた空気が流れ込んできた。


「……」


 特に何も言わず、室内を一度見渡す。


 変わった様子は――ない。


 いつも通りだ。


 作業台。

 工具棚。

 昨日のうちに片付けたはずの配置。


 アレンはゆっくりと作業台に近づく。


 そして、手を止めた。


「……?」


 ほんのわずか。


 本当にわずかだが。


 刻印針の位置が、ずれている。


 昨日は確か、もう少し左に揃えて置いたはずだ。


 数ミリ。


 それだけの違い。


 だが、アレンの視線はそこに留まる。


「……」


 しばらく見て、手を伸ばす。


 針を持ち上げ、元の位置へ戻す。


 それだけだ。


 風か。


 あるいは、自分の記憶違いか。


 アレンはそれ以上考えず、工具を並べ直した。


 やがて、再び扉が開く。


「おはようございます」


 ミラが入ってくる。


 柔らかな声とともに、いつもの空気が少しだけ和らぐ。


「おはようございます、アレンさん」


「……ああ」


 短い返事。


 ミラは室内を見渡し、窓の方へ歩いていく。


「今日は少し冷えますね」


「朝だけだ」


 ミラは頷き、帳簿を机に置く。


 そのとき。


 ふと、手が止まった。


「……あれ?」


 小さな声。


 アレンが視線だけ向ける。


「どうした」


 ミラは棚の方を見ている。


「いえ……」


 少し首を傾げる。


「この部品箱、昨日と位置が違う気がして」


 アレンの目がわずかに細くなる。


「どれだ」


 ミラが指差す。


 小さな木箱。


 生活導具用の予備部品が入っているものだ。


 確かに、ほんの少しだけ前に出ている。


「気のせいかもしれませんが」


 ミラはそう言う。


 その言い方は、断定ではない。


 だが、曖昧に流すでもない。


「……」


 アレンは近づく。


 箱を軽く押す。


 元の位置へ戻る。


「風だろ」


 短い一言。


 ミラは窓を見る。


「でも、窓は今開けたばかりですよね」


「……」


 アレンは答えない。


 そのまま作業台へ戻る。


 ミラもそれ以上は言わなかった。


 ただ、少しだけ周囲を見る。


 違和感、と言うほどではない。


 “何かが少しだけずれている”


 そんな印象が、ほんのわずかに残った。


 午前の作業が始まる。


 ミラは簡単な修理品を広げ、アレンは刻印の点検に入る。


 いつも通りの流れ。


 工具の音が、静かに工房に響く。


 カチ。


 カリ。


 微かな音。


 その合間に――カサ。


 小さな音がした。


 ミラが顔を上げる。


 紙の束。


 帳簿の横に置いてあったもの。


 それが、わずかに動いた。


「……?」


 ミラは手を止める。


 風は――ない。


 窓は開いているが、カーテンは揺れていない。


 紙だけが、ほんの少し。


 ずれた。


「……」


 アレンも気づいている。


 だが、すぐには何も言わない。


 しばらくの沈黙。


 やがてミラが、少しだけ慎重な声で言う。


「アレンさん」


「なんだ」


「……何か、おかしくありませんか?」


 短い問い。


 アレンは刻印針を置いた。


「さっきからか」


 ミラは小さく頷く。


「はい」


「物の位置が、少しだけ……」


 言い切らない。


 だが、同じ違和感を共有していることは明らかだった。


 アレンは作業台に手を置く。


 ゆっくりと、工房の中を見渡す。


 工具。


 棚。


 机。


 窓。


 すべてが、そこにある。


 変わっていない。


 ほんのわずかに、“揃っていない”。


「……」


 アレンは一歩、中央へ出る。


 耳を澄ます。


 音はない。


 風もない。


 気配もない。


 それでも。


「……揺れてるな」


 ぽつりと呟く。


 ミラが息を呑む。


「やはり……?」


 アレンはゆっくりと頷いた。


「だが、原因が分からん」


 外からの影響ではない。


 風でもない。


 誰かが触ったわけでもない。


 それでも、確かに何かが“ずれている”。


 工房の中だけが、わずかに不安定になっている。


 ミラは測定具を手に取る。


「魔力、見てみます」


 アレンは何も言わず、それを見た。


 測定具を中央に置く。


 針がゆっくりと動く。


 通常値。


 問題はない。


 ……はずだった。


 だが。


 ぴく。


 針が、一瞬だけ揺れた。


 ほんの一瞬。


 すぐに元へ戻る。


「……今」


 ミラが小さく言う。


「見たか」


「はい」


 沈黙。


 工房の中は静かだ。


 だがその静けさは、さっきまでとは違う。


 ただの穏やかさではない。


 “何かを含んだ静けさ”。


 アレンはゆっくりと息を吐いた。


「……様子を見る」


「はい」


 ミラも頷く。


 今すぐ危険があるわけではない。


 だが、確実に何かが起きている。


 風の手工房。


 その中で。


 目に見えない何かが、


 わずかに、確かに、動いていた。


 工房の空気は、変わらず静かだった。


 だが――

 その静けさは、もう“いつものもの”ではない。


 ミラは測定具をそのまま中央に置いたまま、しばらく針の動きを見つめていた。


 揺れはない。

 数値も正常。


 それでも、先ほど確かに“跳ねた”。


「……継続的な異常ではなさそうですね」


 ミラが小さく言う。


「断続的だ」


 アレンが短く返す。


「一定じゃない」


 つまり、外部からの単純な干渉ではない可能性が高い。


 ミラは少し考え、棚へ視線を移す。


「アレンさん、少し確認してもいいですか?」


「ああ」


 ミラは棚に近づき、いくつかの小物に触れる。


 位置をほんの少し整え、目印になるように並べる。


「基準を作ります」


「ずれたら分かるようにか」


「はい」


 アレンは頷く。


 合理的だ。


 ミラは次に、小さな金属片を取り出した。


 平たい板状のもの。


 それを作業台の端に立てかける。


「これも倒れたら分かります」


「風じゃ倒れん角度だな」


「はい」


 準備は整った。


 二人は一度、手を止める。


 何もせず、ただ待つ。


 工房の空気が、ゆっくりと流れる。


 外から、わずかな街の音が聞こえる。


 だが中は、変わらず静かだ。


 ……数分。


 何も起きない。


 ミラが少しだけ肩の力を抜く。


「やはり気のせい――」


 カタン。


 小さな音。


 二人の視線が同時に動く。


 棚の上。


 さきほどミラが整えた小物の一つが、ほんの少しだけ横へ滑っていた。


「……」


 沈黙。


 風はない。


 誰も触れていない。


 それでも、確かに動いた。


 ミラが低く言う。


「今のは……」


「見た」


 アレンは短く答える。


 作業台の端。


 金属片は――。


 まだ倒れていない。


 つまり、大きな揺れではない。


「局所的ですね」


 ミラが言う。


「全体じゃない」


 アレンは一歩、棚へ近づく。


 小物を手に取り、元の位置へ戻す。


 そして、その場にしばらく立つ。


 何も起きない。


 だが、わずかに。


 空気が“揺らいでいる”ような感覚。


「……」


 アレンは目を細める。


 見えない。


 だが、感じる。


 ミラも同じ場所へ来る。


「ここ、少し……違います」


「分かるか」


「はい。魔力が均一じゃないです」


 測定具を近づける。


 針が、ほんのわずかに上下する。


「……微差ですが」


「偏りがある」


 アレンは棚から一歩下がる。


「工房全体じゃない」


「場所ごとに違うんですね」


 ミラが言う。


 “空間の中にムラがある”。


 ミラは少し考え、ふと呟く。


「……蓄積でしょうか」


 アレンが視線を向ける。


「何のだ」


「魔力です」


 ミラはゆっくり言葉を選ぶ。


「この工房、日々いろんな修理をしていますよね」


「……ああ」


「刻印の調整、魔力の流し込み、整流……」


 一つ一つは微量でも、


 積み重なればどうなるか。


「残留する可能性はあります」


 アレンは腕を組む。


「普通は拡散する」


「はい。でも――」


 ミラは周囲を見る。


 工具。


 棚。


 作業台。


「ここ、閉じた空間です」


「……」


「しかも、整えられた魔力ばかり」


 壊れた魔力ではない。


 修理された、整えられた魔力。


 それが少しずつ、残っていったら。


「……偏るか」


 アレンが低く言う。


「はい」


 ミラは頷く。


「均一に残らず、場所ごとに違いが出る可能性があります」


 再び、小さな音。


 カサ。


 今度は帳簿の端が、わずかにめくれた。


 ミラが振り返る。


 風はない。


 それでも、動いた。


「……流れてる」


 アレンが呟く。


「流れ?」


「魔力のな」


 完全に固定されているわけではない。


 残留した魔力が、ゆっくりと動いている。


 それが物に触れ、わずかな影響を与えている。


 ミラは目を細める。


「……だから断続的なんですね」


「一定じゃない理由も説明がつく」


 沈黙。


 工房の空気が、またわずかに揺れる。


 今度は作業台の上の布が、ほんの少しだけ動いた。


「……」


 ミラは深く息を吸う。


「これ……」


 言葉を選ぶ。


 少しだけ、驚きと理解が混ざった声で。


「この工房の“特性”かもしれません」


 アレンはすぐには答えない。


 ただ、静かに周囲を見る。


 ここは、自分が長く使ってきた場所だ。


 何百、何千と修理を重ねてきた。


 魔力を流し、整え、積み上げてきた場所。


 その結果として。


「……残ってる」


 ぽつりと呟く。


「流れが」


 ミラが小さく頷く。


「はい」


 違和感の正体。


 それは外から来たものではない。


 壊れたものでもない。


 ここで積み重ねてきたもの。


 風の手工房、そのものが持ち始めた“癖”。


 カタン。


 また小さな音。


 今度は、刻印針がほんのわずかに転がった。


 アレンはそれを見て、


 ほんの少しだけ口元を緩めた。


「……なるほどな」


 完全な異常ではない。


 だが、無視もできない。


 この工房は――少しずつ、“ただの作業場ではなくなっている”。


 刻印針が、かすかに転がった位置で止まっている。


 誰も触れていない。


 風もない。


 それでも、確かに動いた。


 ミラはそれを見つめながら、ゆっくりと言う。


「……やはり、流れていますね」


「だな」


 アレンは短く返す。


 だが、その目は先ほどよりも鋭い。


 ただの現象としてではなく、“読もう”としている目だ。


「均一じゃない」


「はい」


 ミラが頷く。


「場所ごとに、流れ方が違います」


 アレンは作業台の中央へ戻る。


 そして、測定具を少しだけ動かした。


 先ほどとは違う位置。


 針がゆっくりと動く。


 ――安定。


 だが。


 ほんのわずかに。


 遅れて、揺れる。


「……追従してるな」


「追従?」


「ここだけじゃない。流れが“移ってる”」


 ミラが息を呑む。


「……動いている、ということですか」


「そうだ」


 残留しているだけではない。


 工房の中を、ゆっくりと巡っている。


 まるで――風のように。


 カサ。


 また紙が動く。


 今度は、先ほどとは違う場所。


 帳簿ではない。


 隅に置いてあった古いメモ紙。


 それが、ほんの少しだけめくれた。


 ミラがその位置を見る。


「……移動しています」


「さっきとは違う場所だな」


 アレンは頷く。


 一定の場所に留まっているわけではない。


 流れている。


 だが。


「規則性は?」


 ミラが問う。


「……まだ分からん」


 アレンはゆっくりと歩き出す。


 工房の中を一周するように。


 棚の前。


 作業台の横。


 窓の近く。


 それぞれの場所で、わずかな違いを感じ取る。


 強い場所。


 弱い場所。


「……ここだな」


 足を止めたのは、工房の中央だった。


 ミラも近づく。


 測定具を置く。


 わずかに、だが確実に針が揺れている。


「一番強いです」


「集まってるな」


 アレンが言う。


 流れはある。


 だが、その流れはただ巡るだけではない。


 中心へ、少しずつ寄っている。


「……渦みたいですね」


 ミラが小さく言う。


「完全な渦じゃない」


 アレンは否定する。


「もっと緩い」


 だが方向性はある。


 工房の中で、魔力が“偏りながら巡っている”。


 ミラは考え込む。


「原因……やはり蓄積でしょうか」


「それだけじゃない」


 アレンは言う。


「ただ残るだけなら、こんな動きはしない」


 ミラが顔を上げる。


「では……?」


 アレンは窓の方を見る。


 わずかに開いた隙間。


 そこから入る空気。


「流れを作る要素がある」


「風……ですか?」


「似てるが違う」


 アレンはゆっくり首を振る。


「これは魔力だ」


 つまり。


 この工房には。


 “魔力の流れを作る何か”がある。


 沈黙。


 そのとき。


 カタ、カタ……。


 小さな連続音。


 二人の視線が動く。


 棚の上。


 いくつかの小物が、わずかに震えている。


 同時に。


 作業台の上の布も、微かに揺れる。


「……」


 ミラが息を止める。


 今までとは違う。


 一瞬ではない。


 連続している。


 測定具の針が、大きく揺れる。


「アレンさん」


「分かってる」


 アレンの声が低くなる。


 流れが一時的に強くなっている。


「集中してるな」


「はい……中央に」


 ミラが測定具を中央へ寄せる。


 針が跳ねる。


 今までで一番大きい揺れ。


 工房の空気が、わずかに重くなる。


 目に見えない何かが、確かにそこに“集まっている”。


 アレンは一歩前へ出る。


「……触るな」


 ミラが小さく言う。


「分かってる」


 アレンは手を出さない。


 ただ、観察する。


 中央の空間。


 そこに、魔力が集まり、揺れている。


 やがて。


 すう、と。


 その揺れが、ゆっくりとほどけた。


 広がる。


 分散する。


 棚へ。


 作業台へ。


 床へ。


 まるで呼吸のように。


 強まって、戻る。


 ミラが静かに言う。


「……周期がありますね」


「みたいだな」


 アレンは頷く。


 完全な乱れではない。


 一定ではないが、繰り返しがある。


 流れが集まり、ほどける。


 それを繰り返している。


「……生きてるみたいですね」


 ミラがぽつりと言う。


 アレンは少しだけ目を細めた。


 否定はしない。


 むしろ。


「近いな」


 短く言う。


 工房に残った魔力。


 それがただの残骸ではなく、


 流れを持ち、巡り、形を作っている。


 それはもう、単なる“環境”ではない。


 ミラがゆっくりと周囲を見る。


 工具。


 棚。


 作業台。


 すべてが、わずかにその流れに影響されている。


「……これ、どうしますか?」


 静かな問い。


 止めるべきか。


 整えるべきか。


 あるいは――そのままにするべきか。


 アレンは少し考えた。


「……無理に止めるな」


 そう言った。


 ミラが目を向ける。


「止められるものですか?」


「やれば止まる」


 アレンは答える。


「だが、また溜まる」


 沈黙。


 それはつまり、根本的な解決にはならない。


「……じゃあ」


 ミラが言いかける。


 アレンは工房の中央を見る。


 さっきまで魔力が集まっていた場所。


 今はもう、何もない。


 だが確かに、そこを通った“流れ”があった。


「……利用する」


 ぽつりと呟いた。


 アレンの一言に、ミラがわずかに目を瞬かせる。


「利用、ですか?」


「ああ」


 短い返答。


 だがその声は、すでに考えがまとまっている響きだった。


 アレンは作業台へ戻り、刻印針を手に取る。


 そして、工房の中央を一度だけ見た。


 先ほど魔力が集まっていた場所。


 今はもう静かだが――完全に消えたわけではない。


「流れがあるなら、流れとして使う」


「……整える、のではなく?」


「整えすぎると消える」


 アレンは言う。


「これは“偏り”だが、同時に“性質”だ」


 ミラは少し考え、静かに頷いた。


「……この工房が持ち始めた特性、ということですね」


「そうだ」


 アレンは作業台の端に、小さな金属片を置く。


 先ほど倒れなかった、あの板だ。


 今度は少し角度を変える。


「見てろ」


 ミラが測定具を構える。


 しばらくの沈黙。


 ぴく。


 測定具の針が動く。


 同時に、金属片がほんのわずかに揺れた。


 だが、倒れない。


「……来ました」


 ミラが低く言う。


 アレンは頷く。


「この程度の流れなら、影響は軽い」


「はい」


「だが――」


 アレンは刻印針を軽く回す。


「方向を読めば、乗せられる」


 ミラの目が少しだけ鋭くなる。


「……補助として使う、ということですか?」


「そうだ」


 魔力を“与える”のではなく、


 “流れているものに乗せる”。


 わずかな補助。


 だが、積み重なれば意味を持つ。


 ミラは少しだけ驚いたように言う。


「……それ、効率上がりますね」


「わずかにな」


 アレンは肩をすくめる。


「だがゼロじゃない」


 ミラはふっと微笑んだ。


「アレンさんらしいですね」


「何がだ」


「無駄にしないところです」


 アレンは何も答えない。


 だが否定もしなかった。


 そのとき。


 カサ。


 帳簿の端が、またわずかに動く。


 今度は、誰も驚かない。


 ミラはその動きを見て、小さく言う。


「……完全には止まりませんね」


「ああ」


 アレンは即答する。


「止める必要もない」


 ミラは頷く。


「はい」


「慣れればいい」


 アレンが言う。


 ミラは少しだけ考えてから、柔らかく笑った。


「では、物の置き方も工夫が必要ですね」


「落ちる位置には置くな」


「はい、気をつけます」


 いつものやり取り。


 だが、少しだけ意味が変わっている。


 この工房は、ただの作業場ではない。


 積み重ねた魔力が、わずかに流れを持つ場所。


 完全に制御はできない。


 だが、理解はできる。


 そして、共に使うことはできる。


 アレンは窓の方を見る。


 朝に開けた隙間から、柔らかな風が入ってくる。


 それとは別に――感じる。


 もう一つの“流れ”。


 目には見えない、工房の中を巡るもの。


「……風、か」


 ぽつりと呟く。


 ミラが振り返る。


「え?」


「いや」


 アレンは首を振る。


「なんでもない」


 だが、その目はわずかに細められていた。


 風の手工房。


 風を扱うわけではない。


 いつの間にか、この場所には“流れ”が根付いていた。


 工具がわずかに動く。


 紙がかすかに揺れる。


 魔力が巡る。


 それは不具合ではない。


 癖でもある。


 この工房が、ここまで積み重ねてきた証でもある。


 ミラは帳簿を整えながら、ふと呟く。


「……少し、面白いですね」


「そうか」


「はい」


 ミラは笑う。


「この工房らしいです」


 アレンは何も言わない。


 ただ、作業台に手を置く。


 そこに流れる、わずかな気配。


 完全に掴めるものではない。


 だが確かに、そこにある。


「……仕事するぞ」


「はい」


 いつも通りの一言。


 いつも通りの返事。


 だがその裏で、風の手工房は、少しだけ変わっていた。


 見えない流れと共に。


 それでも変わらず、壊れたものを直し、整え、繋いでいく場所として。


 静かに、今日も動き続けていく。


 【魔法の箒、修理いたします。違和感すらも利用して】

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