異端と呼ばれた者の記憶装置
午後の陽射しが斜めに工房へ差し込む頃、扉のベルがひとつだけ静かに鳴った。
アレンが顔を上げると、そこにはフード付きのローブをまとった背の高い来客が立っていた。
肌は灰色がかり、瞳は深い紫。特徴的な角は布で隠されていたが、アレンにはすぐに分かった。
「……魔族の方、ですね?」
その言葉に驚くこともなく、男は静かに頷いた。
「構わないか?」
「もちろん。うちの看板に“誰でも”とは書いてませんが、魔法道具なら歓迎します」
男は少しだけ口元を緩めた。
「では、これを」
差し出されたのは、黒い鉱石のような球体――
“ウィスパーオーブ”と呼ばれる、かつて魔族社会で使われていた記憶録音装置だった。
「これは珍しいですね。人間の国ではまず見ない……」
「……人の声、気配、風の音、記憶に関わるものを記録できる。
だが、壊れてしまった。音がもう、聞こえない」
アレンは球体を持ち上げ、魔力の感触を探った。
わずかに感じる“残響”は、確かに記録された記憶の名残だった。
しかし、装置の核にあたる“記憶結晶”が割れかけており、それを保持していた魔法回路が崩れかけていた。
「修理できます。けれど……記録内容は完全ではないかもしれません」
男は目を伏せ、短く呟いた。
「構わない。……少しでも、残っていれば」
アレンはオーブを工房の作業台に置き、補助灯を点けた。
古い魔族式の接合構造を解き、細い鑿で核の結晶を取り出す。
そして、“魔法の呼吸”と呼ばれる微細な魔力調整で、回路と記録部分を再接続していった。
夜までかかるかと思われた作業は、意外なほど早く終わった。
「……できました。記録は不完全かもしれませんが、試してみてください」
男はオーブを受け取り、手のひらに乗せる。
次の瞬間――オーブから、微かな“風の音”が響いた。
焚き火の音、遠くで笑う声、そして――
「……兄さん、また本を読んでるの? たまには外に出たら?」
「うるさい。外にはお前がいるじゃないか。それで十分だ」
その声に、男の手が微かに震えた。
「……妹の声だ。……百年以上、忘れていたのに」
アレンは黙って頷いた。
魔族と人との間には、長い対立の歴史がある。
だが、魔法道具には境界がない。
それは、どこに生まれようと、誰かの記憶を記し、守るものだ。
「ありがとう。……名は?」
「アレン。あなたは?」
「……名前はもう、使っていない。だが……ここに来て、よかった」
男は深く頭を下げ、静かに工房を去っていった。
その背に、角の影が一瞬だけ浮かび、夕陽に溶けた。
アレンは作業台を片づけながら、ひとつだけ声に出した。
「……“異端”なんて、呼ぶものじゃないさ。良い記憶を持っている者ほど、本当は優しい」
【魔法道具 修理いたします。記憶の境界も、魔法で越えて】




