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魔法の箒、修理いたします。  作者: 仲村千夏


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落としてしまった魔導書

 昼過ぎの工房は、穏やかな静けさに包まれていた。


 午前中の修理を終え、アレンは作業台の上で刻印針の刃先を軽く整えている。

 ミラは横で、修理品の帳簿を書き込んでいた。


 特別な依頼は入っていない。

 静かな午後になる――はずだった。


 その時、工房の扉が控えめに叩かれた。


 コン、コン。


「はい、どうぞ」


 ミラが顔を上げて声をかけると、ゆっくりと扉が開いた。


 入ってきたのは、三十代ほどの男性だった。

 旅装ではないが、服装は少しだけくたびれている。

 腕には大きめの布包みを抱えていた。


「ここが……修理の工房でしょうか」


「ええ、そうですよ」


 ミラが柔らかく答える。


「いらっしゃいませ。風の手工房です」


 アレンは椅子に座ったまま、ちらりと客を見る。


「修理か」


「はい……ただ、その……」


 男は少し言いづらそうに布包みを差し出した。


 ミラが受け取り、作業台に置く。


 布を解くと、中から現れたのは――


 一冊の本だった。


 厚い革装丁。

 金属の留め具。

 背表紙には、複雑な刻印の模様。


 ミラが一瞬だけ目を瞬かせる。


「……魔導書ですね」


 アレンの眉がわずかに動く。


「うちの専門外だ」


 アレンは即答した。


 魔導書は普通の魔法導具とは違う。


 刻印でも、単純な魔導具でもない。

 術式・言語・記録魔法が複雑に絡む、専門分野だ。


 扱えるのは主に二種類。


 ・魔導書専門の書士

 ・発行元の魔術組合や学院


 修理屋の仕事ではない。


 客は慌てて言った。


「い、いえ……それは分かっているんです。ただ……」


 アレンは腕を組む。


「ただ?」


 男は本を開かず、横を指差した。


 そこに――


 小さな石が埋め込まれていた。


 装丁の側面に、親指ほどの透明な石。


 魔石だった。


 アレンの視線が変わる。


「……魔石か」


「はい」


 男は少し安心したように頷いた。


「本そのものじゃなくて、この石が問題みたいなんです」


 ミラが近づいて覗き込む。


 魔石は淡く光っている。


 だが光が不安定だ。


 ふっと明るくなり、すぐ弱まる。


「魔力の流れが乱れていますね」


 ミラが言う。


「読むときに、ページの文字が揺れるんです」


 男が説明する。


「たまに消えたりもして……」


 アレンが椅子から立ち上がる。


「可視化型の魔導書か」


「たぶん、そうだと思います」


 魔石を触媒にして文字を浮かび上がらせるタイプの本だろう。


 珍しくはないが、普通の本より少し複雑だ。


 アレンは本を手に取る。


 ずしりと重い。


 魔導書の術式部分には触れないように、石の部分だけ観察する。


「……術式は触らない」


 ミラがすぐに言った。


「はい。魔石だけですね」


 アレンは頷く。


「石なら見られる」


 客は少し安堵した顔をした。


「本当に助かります」


 ミラは柔らかく微笑む。


「ただし、本そのものの修理はできません」


「石の部分だけの点検になります」


 客は何度も頷いた。


「それで構いません」


 アレンは作業台に本を置く。


 革装丁の本は静かにそこに横たわる。


「まずは魔力測る」


 ミラは測定具を持ってきた。


 透明な測定板を魔石の上にかざす。


 針がゆっくり動き――少しだけ震えた。


「……やっぱり揺れてます」


「供給か、内部か」


 アレンが低く言う。


 ミラは魔石を光にかざす。


 石の内部に、かすかな影が見えた。


「……小さな濁りがありますね」


「欠けか」


「たぶん、衝撃です」


 男が申し訳なさそうに言う。


「実は……落としてしまって」


 アレンはため息をついた。


「だろうな」


 ミラは本をそっと机に戻す。


 魔導書の表紙が、わずかに魔力を帯びている。


 術式は触れない。


 触れば、何が起きるかわからない。


 だが――魔石はただの触媒だ。


 そこだけなら、修理屋の領分だった。


 ミラがアレンを見る。


「アレンさん、どうしますか?」


 アレンは少し考えたあと言う。


「石だけ外せるなら」


「点検する」


 ミラは小さく頷いた。


「分かりました」


 工房の静かな午後に、少しだけ珍しい依頼が舞い込んだ。


 魔導書そのものではない。


 だが、その一部。


 本に埋め込まれた小さな魔石をめぐる点検が、これから始まろうとしていた。


 作業台の中央に、魔導書が静かに置かれている。


 厚い革装丁の表紙。

 金属の留め具。

 そして側面に埋め込まれた、小さな魔石。


 工房の空気は、いつもの修理とは少し違う緊張を帯びていた。


 アレンは腕を組み、本をじっと見下ろす。


「……まず確認だ」


「はい」


 ミラは頷く。


「魔導書の術式には触れません」


「当然だ」


 魔導書は単なる道具ではない。


 内部には術式言語、記録魔法、読解刻印などが組み込まれている。


 それを不用意に触れば、文字が消えるどころか本そのものが壊れる可能性もある。


 修理師が扱う領域ではない。


 アレンが指で示す。


「見るのはここだけ」


 魔石。


 装丁の側面に、金属枠で固定されている。


 ミラは測定具をもう一度当てた。


 針がゆっくりと揺れる。


「やはり安定していません」


「供給の揺れだな」


 アレンが言う。


 魔石は魔力を供給する触媒だ。


 本の術式を起動するための燃料のような役割。


 普通は内部導路が安定していれば、光は一定になる。


 だがこの石は――


 淡く、明るくなったり暗くなったりしている。


「内部に濁りがあるのも気になります」


 ミラが光にかざす。


 石の中心に、薄い影のようなものが見える。


「ヒビでは?」


「たぶん微細亀裂です」


 ミラが言う。


 客が少し心配そうに聞いた。


「直せるんでしょうか」


 アレンは即答しなかった。


 代わりに、本の装丁を観察する。


 魔石は金属枠に固定されている。


 そして――枠の縁に、小さな刻印。


「……脱着式だ」


 アレンが言った。


「外せるんですか?」


 ミラが覗き込む。


「本体術式と分離してる」


 つまり、魔石は交換や整備を前提に作られている構造だ。


 魔導書としては珍しくない。


 長期使用を想定した設計だ。


 ミラは少し安心した表情になる。


「それなら点検できますね」


 アレンは工具箱から細い金属棒を取り出した。


「術式には触るな」


「はい」


 ミラが固定枠を押さえる。


 アレンが刻印の隙間に工具を差し込む。


 カチ。


 小さな音がした。


 金属枠が、わずかに浮く。


「……外れる」


 ゆっくり持ち上げる。


 魔石は、枠ごと外れた。


 ミラが小さく息を吐く。


「本体は無事ですね」


 魔導書は机の上に静かに残っている。


 術式の反応もない。


 アレンは外した魔石を光にかざした。


 淡く光る石。


 しかし――


 やはり中心に影がある。


「やっぱり濁ってる」


「衝撃で内部導路が歪んだんですね」


 ミラは測定具を当てる。


 針が細かく震えた。


「魔力が偏って流れています」


「導路の片寄りか」


 魔石は単なる石ではない。


 内部には魔力が通る微細な道――導路がある。


 それが歪むと、供給が安定しない。


 ミラは慎重に石を回す。


 光の筋がゆらゆら揺れた。


「この方向で流れが詰まっています」


「……なるほど」


 アレンは小さく頷く。


「完全破損じゃない」


「はい」


 ミラも同意した。


「導路の整流で直せる可能性があります」


 客が少し身を乗り出す。


「本当ですか?」


 アレンは短く答える。


「石だけならな」


「本は触らない」


 ミラが補足する。


「魔導書の術式部分は安全のため点検しません」


「それで十分です」


 客はほっとした顔をした。


 ミラは魔石を専用の固定台に置く。


 小さな銀製の台。


 石を安定させて作業するためのものだ。


 アレンが刻印針を手に取る。


「軽く整流する」


「はい」


 ミラは魔力補助具を準備する。


 微弱な魔力を一定に流す装置だ。


 魔石の内部導路を整えるときは、魔力の流れを安定させる必要がある。


 準備が整う。


 工房の空気が、少しだけ張り詰めた。


 魔導書そのものではない。


 だが、その心臓とも言える触媒。


 ミラが静かに言う。


「……では、整流を始めます」


 アレンは小さく頷いた。


「暴れたら止める」


「はい」


 静かな午後の工房で、


 魔導書に埋め込まれていた小さな魔石の修理が、


 ゆっくりと始まろうとしていた。


 魔石は小さな銀の固定台の上に置かれている。


 作業台の中央。


 周囲には、刻印針、測定具、魔力安定器。


 そして少し離れた場所に、魔導書本体が静かに置かれていた。


 アレンは椅子に座り、魔石をじっと見ている。


「……流してみろ」


「はい」


 ミラが魔力安定器の調整つまみを回す。


 装置が小さく唸り、細い魔力が石へと流れ込んだ。


 魔石が淡く光る。


 光はやはり安定しない。


 ゆらり、と揺れる。


「供給が偏ってます」


 ミラが測定具を見る。


 針が細かく震えている。


 アレンは刻印針を石の表面へ近づけた。


 魔石の整流は、刻印を彫る作業とは違う。


 内部導路に沿って、魔力の流れを整える。


 ほんの少し、刺激を与えるだけ。


 アレンが針先で軽く石をなぞる。


 石の中の光が、すっと動いた。


「……あ」


 ミラが声を上げる。


 影のような濁りが、少しだけ移動した。


「導路が動きました」


「詰まりだな」


 アレンは短く言う。


 もう一度、針を当てる。


 ほんのわずかに、角度を変える。


 光がまた揺れる。


 影が、じわりと流れた。


「この方向ですね」


 ミラが言う。


「亀裂の縁で魔力が溜まってます」


「だから供給が揺れる」


 アレンは頷く。


 作業自体は難しくない。


「慎重にな」


「はい」


 ミラは安定器の出力をほんの少しだけ上げた。


 石の光が少し強くなる。


 アレンが針で導路をなぞる。


 影が、ゆっくり流れていく。


 あと少し。


 整流が終われば、安定する。


 ……そのはずだった。


 その時だった。


 パチ。


 小さな音がした。


「……?」


 ミラが眉をひそめる。


 魔石の光が、一瞬だけ強くなった。


「アレンさん」


「見えてる」


 光が――脈打つ。


 トン。


 トン。


 トン。


 まるで鼓動のように、明滅を始めた。


 ミラが測定具を見る。


 針が大きく揺れている。


「魔力が増えてます」


「供給は上げてない」


 アレンの声が低くなる。


 つまり――石自身が反応している。


 ミラがふと振り返った。


 作業台の端。


 そこに置いてある魔導書。


 その背表紙の刻印が、わずかに光っていた。


「……あ」


 ミラが小さく声を漏らす。


「本体が反応しています」


 アレンの視線が鋭くなる。


 魔導書は触っていない。


 術式も起動していない。


 魔石の整流作業に反応している。


「繋がってる」


 アレンが言う。


「完全に切り離されてない」


 ミラが頷く。


「共鳴してます」


 魔石は触媒。


 つまり、本の術式と魔力的に繋がっている。


 整流によって流れが変わり、本体が反応してしまったのだ。


 魔石が強く光る。


 トン。


 トン。


 トン。


 魔導書の表紙が、かすかに震えた。


 客が驚いて声を上げる。


「だ、大丈夫なんですか?」


 アレンは即座に言った。


「騒ぐな」


 そしてミラへ。


「出力下げろ」


「はい」


 ミラがつまみを回す。


 魔力供給が弱まる。


 魔石の光はまだ揺れている。


「残ってます」


「石の中に魔力が溜まってる」


 アレンが針を離した。


 作業台の上で、魔石が小さく脈打っている。


 そして。


 パラ……。


 微かな音がした。


 三人の視線が同時に動く。


 机の端。


 そこに置かれた魔導書。


 そのページが――勝手に、めくれた。


 パラ……。


 乾いた紙の音が、工房の静けさの中でやけに大きく響いた。


 作業台の端に置かれた魔導書。


 そのページが、ゆっくりと一枚めくれた。


 誰も触れていない。


 それでも本は、わずかに開いたまま止まっている。


 客が息を飲んだ。


「……え?」


 ミラも目を見開いている。


 だが、アレンはすぐに状況を見た。


「騒ぐな」


 短く言う。


 魔石はまだ固定台の上で淡く光っている。


 だが先ほどのような強い脈動はない。


 弱く、ゆっくりとした明滅。


 ミラが測定具を確認する。


「魔力……落ち着いてきてます」


「残留だな」


 アレンは低く言った。


 整流の途中で流れが動き、本体の術式が一瞬だけ反応した。


 だが起動したわけではない。


 魔導書はただ、わずかに術式が揺れただけだ。


 ページがめくれたのも、その余波だろう。


 アレンは魔石へ視線を戻す。


「もう一回整流する」


 ミラがすぐに理解する。


「今度は出力を弱くします」


「そうしろ」


 ミラが安定器のつまみをさらに下げる。


 流れる魔力は、先ほどの半分ほど。


 石の光が静かに揺れる。


 アレンは刻印針を持ち直した。


 今度は慎重に。


 石の内部をなぞる。


 影のような濁りが、ゆっくり動く。


 さっき動いた導路。


 そこをなぞり、魔力の流れを整える。


 ミラが小さく言う。


「……流れ、戻ってきています」


 測定具の針が安定し始めた。


 揺れが小さくなる。


 石の光も、次第に落ち着いていく。


 アレンは最後に針先を軽く当てた。


 すっと。


 濁りが中央から外へ流れ、導路の外側へ逃げる。


 その瞬間。


 魔石の光が、静かに整った。


 明るさが一定になる。


 ミラが測定具を見る。


 針は――動かない。


「……安定しました」


「よし」


 アレンが短く言った。


 ミラはほっと息をつく。


 客も肩の力が抜けたようだった。


「よ、よかった……」


 アレンは魔石を固定台から外す。


 光にかざす。


 さっきまで見えていた濁りは、ほとんど消えていた。


「内部導路は戻った」


「供給も安定しています」


 ミラが言う。


 魔力を軽く流す。


 石は静かに光る。


 もう揺れない。


「本体に戻しますね」


 ミラが魔導書をそっと手元へ引き寄せる。


 先ほどめくれたページは、そのまま止まっている。


 だが術式の光はもう消えていた。


 ミラは慎重に魔石を金属枠へ戻す。


 カチ。


 小さな音。


 固定完了。


 アレンが本へ軽く魔力を流す。


 魔導書の刻印が、ほんの一瞬だけ光る。


 そして――ページの文字が、淡く浮かび上がった。


 揺れない。


 滲まない。


 安定している。


 ミラが確認する。


「問題ありませんね」


「供給は正常」


 アレンは本を閉じた。


 客が安心した声を出す。


「直ったんですか?」


「石はな」


 アレンが言う。


「本の術式は触ってない」


 ミラも柔らかく続ける。


「ただ、今の状態なら文字の揺れは起きないと思います」


 客は何度も頭を下げた。


「本当にありがとうございます」


 アレンは本を布の上へ戻す。


「落とすな」


「はい……」


 客は苦笑した。


 ミラも少し笑う。


「魔導書は意外と繊細ですから」


 客は本を大事そうに抱えた。


 料金を支払い、何度も礼を言いながら工房を出ていく。


 扉が閉まる。


 工房に、また静けさが戻った。


 ミラが小さく息を吐く。


「ちょっと驚きましたね」


「魔導書だからな」


 アレンは工具を片付けながら言う。


「石だけでも、本体が反応する」


「勉強になりました」


 ミラは机の端を見る。


 そこには、さっき勝手に開いたページの跡がまだ残っている。


「ページ、勝手にめくれましたね」


「術式が揺れただけだ」


 アレンは肩をすくめる。


「珍しくもない」


 だが少しだけ、面白そうに本のあった場所を見た。


 ミラが微笑む。


「でも、やっぱり魔導書は専門の方に任せた方が良さそうですね」


「当然だ」


 アレンは即答する。


「本は本屋の仕事」


 ミラは柔らかく頷いた。


「私たちは石までですね」


 工房の窓から、夕方の光が差し込んでいる。


 今日もまた一つ、修理が終わった。


 少しだけ珍しい依頼。


 だが最後はいつも通り。


 壊れたものを直して、持ち主の元へ戻す。


 風の手工房の一日は、静かに続いていく。


 【魔法の箒、修理いたします。専門外でもみれる所をみます】

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