風の音、もう一度
夏の終わりが近づくと、風の音が変わる。
蝉の声が遠のき、空には高く細い雲が浮かび始める。
アレンの工房も、季節の移ろいを静かに受け入れていた。
入り口には風除けの薄布がかかり、店内には涼しげな音の魔道具――風鈴型の結界装置が吊るされていた。
その日、ドアをノックする音がした。
「こんにちはー! アレンさん!」
元気な声とともに、ノアが駆け込んできた。
彼女はおばあちゃんの箒を壊してしまった少女で、今では週に一度は顔を出す“半常連”になっていた。
その後ろから、ゆっくりとノラが入ってくる。
「まあまあ、そんなに慌てないの」
「ノア、どうかしたのか?」
「うん、おばあちゃんがね、“風の音が消えちゃった”って言うの! なんか風鈴が鳴らなくなって……」
ノラが差し出したのは、小ぶりな魔法風鈴。
陶器の中には、風を受けることで“記憶された音”を再生する魔石がはめこまれていた。
「これは……古い型だな。かなり繊細な作りだ」
「昔ね、この風鈴は、家族で過ごした夏の音を全部、録ってくれてたの。あの子が小さい頃の笑い声とか、庭の風とか……」
ノアはその話を聞いて目を丸くした。
「えっ、そんなこと録れるの!?」
「“音の記憶結晶”っていう魔術だよ。今はあまり使われなくなったけど……良い魔法だ」
アレンは風鈴を工房の奥に持ち込み、丁寧に分解を始めた。
陶器の内部はひび割れており、魔石の周囲も傷んでいる。
さらに、風を感じ取る“羽根”部分が歪んでいたことで、感知魔法が発動しなくなっていた。
「どう?」
「これは……完全に壊れてはいない。でも、再生には少し工夫がいるな。音の記憶は、まだ残ってる」
アレンは魔石を取り出し、特殊な魔力水晶で触れる。
すると――ほんのかすかに、小さな子どもの笑い声が響いた。
「……ノア?」
「わたしの声だ!」
アレンは頷き、慎重に修復を進めた。
魔石の構造を安定化し、陶器のひびを魔法接着で補修。
風受けの羽根は新しいものに取り替え、風の強さで再生音が変化するよう再調整した。
「できた。……でも、これは“風が思い出す音”だから、工房の中じゃ鳴らないかもな」
そのまま三人で、ノラの家の庭に向かった。
小さな縁側には、すだれがかけられ、風の通り道が心地よい。
アレンが風鈴を吊るし、そっと風を待つ。
……チリン、と音が鳴った。
そして――
「キャハハッ! もっと押して〜!」
「ノア、そんなに走ると転ぶぞ〜!」
それは、昔の風景だった。
ノラの声、ノアの小さな笑い、父と母の優しいやりとり。
音が風にのって、庭に溶けていく。
ノラが静かに目を閉じた。
「……戻ってきた。音だけなのに、全部、戻ってきたわ」
ノアは真剣な顔でアレンを見上げた。
「アレンさん、すごいね……!」
「いや、“音”がすごいんだよ。道具が覚えてくれただけさ」
風鈴は、もう一度やさしく鳴った。
夏の終わりを告げるように。
あるいは、新しい季節を迎えるように。
帰り道、アレンはふと呟いた。
「“修理”ってのは、壊れた物を直すんじゃなくて――忘れかけたものを、もう一度思い出すことかもしれないな」
風が吹き抜け、工房の看板を揺らした。
【魔法道具 修理いたします。音の記憶も、風に乗せて】




