魔法のチェス、名勝負?
午後の工房は、静かな陽射しに満ちていた。
古道具の棚からはほのかな木の香りがし、魔力の残響が微かに空気を揺らしている。
そんな空気を破るように、ドアが勢いよく開いた。
「マスター! お願いがあります!」
大声と共に駆け込んできたのは、近所の子どもたちのまとめ役とも言える少年、テオだった。
元気すぎるぐらいの少年で、アレンの工房にもしょっちゅう顔を出していた。
「また何か壊したのか?」
「違います! 今日は“勝負”です!」
「……は?」
テオは懐から、木製の箱を大切そうに取り出した。
それは、年季の入ったチェス盤だった。盤の縁には小さな魔法文字が刻まれている。
「これ、昔の魔法チェスです! でも途中でコマが動かなくなって……それに、なんか、盤が怒ってるような……」
「魔法道具に“怒り”なんてあるか?」
「でも、“ビシッ!”って音がして、指を叩かれました!」
「……なるほど。それは、あるかもしれないな……」
アレンは盤を受け取り、慎重に開いた。
チェスのコマは、どれも木製ながら魔力が染み込んでおり、それぞれ自律行動ができる仕組みだった。
“魔法チェス”は、主に教育用として使われたもので、戦略や冷静さを養うために一部の家庭や学舎で使われていた。
「見たところ……コマの“誓約石”が摩耗してる。主の指示をうまく読み取れなくなってるんだな」
「じゃあ直せば、また動くように?」
「修理はできる。でも――あまり乱暴に扱うと、また叱られるかもな」
「叱るんですか!? コマが!?」
工房の奥で、アレンは作業に取り掛かった。
各コマの底に埋め込まれた小さな魔石は、それぞれ“性格”が設定されている。
王は慎重、クイーンは果敢、ナイトはやんちゃ気味――など、それぞれの個性が生きている。
「昔の魔道具職人は……本当に、遊び心がすごいな」
調整には時間がかかったが、アレンは全コマの魔石を丁寧に磨き、魔力回路を再接続した。
盤面には軽い結界を張り直し、動きすぎて飛び出すのを防ぐ仕組みも補強した。
「テオ、お前、チェスのルールは?」
「そこはざっくりです!」
「……じゃあ、今から特訓だな」
こうして、工房に“魔法チェス特訓道場”が開かれた。
修理したばかりのチェス盤が設置され、初戦はアレン vs テオ。
「……始めます。白番、アレンさんどうぞ!」
白のポーンが、ぴょこぴょこと動く。
続けてナイトが跳ね、ビショップが滑る。
コマたちは、久々の実戦に興奮しているようで、ややオーバーリアクション気味だった。
だが、テオの黒陣営は――かなりクセが強かった。
「おい、うちのナイト、勝手に“前に出たい!”って暴走してます!」
「それは“好戦的”に設定されたままだったか……」
「ちょ、戻して戻して!」
そんな調整の合間にも、アレンは笑いながら指導を続けた。
「戦いに勝つだけじゃない。“どこを守りたいか”を考えな」
「守り……ですか?」
「そう。“勝つ”より“負けない”を選ぶ時もある。それが戦略だ」
勝負は一進一退を続けたが、最後にはアレンのビショップによってチェックメイト。
しかし、テオのチェスコマたちは拍手を送るように自陣で踊りはじめた。
「……負けたのに、嬉しそうです」
「戦いそのものを楽しむようになってるな。たぶん、これも前の持ち主の教育方針だったんだろう」
「なんか、ちょっと好きになってきました。この盤」
その日から、工房にはテオの友人たちもやってくるようになった。
誰かがチェスの勝負を挑み、アレンが横から解説をし――魔法チェスはいつのまにか、町の“遊びと学びの場”になっていった。
アレンはある日、手入れをしながらぽつりとつぶやいた。
「道具ってのは、使う人の数だけ、物語が宿るものだな。たまには、こんな“名勝負”も悪くない」
風がそっと、看板を揺らした。
【魔法道具 修理いたします。遊び心、修理します】




