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魔法の箒、修理いたします。  作者: 仲村千夏


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フィンの課題“魔法の望遠鏡”

 雨の降る午後、風の手工房はしっとりとした静けさに包まれていた。

 窓を伝う水滴が細い線を描き、外の街並みをゆるやかに歪めている。

 工房の奥では、アレンが作業台に肘をつきながら、工具の刃先を丁寧に研いでいた。


 そのとき、入り口の扉が控えめにノックされる。

 顔を出したのはフィンだった。いつもの快活さはどこか影を潜め、手には何枚もの羊皮紙を抱えている。


「アレンさん、少し……いいですか」

「うん、もちろん。どうした?」

「学校の課題で、“魔法道具や魔導具を一つ、分解して点検・清掃・組み立てをして、その工程をレポートにまとめる”って出たんです」

 フィンは苦笑しながら、羊皮紙を机に広げた。細かい項目がずらりと並び、書き慣れない字であちこちに赤い修正が入っている。


「なるほど、実技と記録の両方か。なかなか骨が折れるな」

「はい。実際にやってみたい気持ちはあるんですけど……何を題材にしたらいいのか、悩んでて」

 アレンは椅子から立ち上がり、工具棚の奥へと歩いた。

 その仕草はいつも通り穏やかで、どこか“弟子の成長を待つ”ような余裕がある。


「題材ね……ちょうどいいものがあるよ」

 そう言って彼が取り出したのは、布に包まれた金属の筒だった。

 包みを開くと、中から鈍く光る真鍮製の望遠鏡が現れる。


「これは昨日、修理の依頼があった“水晶観測用望遠鏡”だ。

 水魔法で焦点を合わせ、魔法石を通して視界を安定させる仕組みになってる」


 フィンは興味深そうに覗き込みながら、眉を上げた。

「これ、携帯できるタイプなんですね。意外と軽い……」

「そう、旅の学者が使う簡易型だ。だが、最近ピントが合わないらしくてね。どうも水魔法の流れが滞ってるらしい」


 アレンは望遠鏡をくるりと回して、側面の小さなレバーを指で示した。

「このレバーを調整すると、魔法石の出力が変わって焦点が動く。構造は単純だけど、分解してみると魔法陣の刻印が少し癖がある」


「……これ、僕にやらせてもらってもいいですか?」

 フィンの瞳が雨の反射を受けて、ほんの少し輝く。

 アレンは微笑み、軽く頷いた。


「もちろんだ。いい課題になると思う。

 ただし――」

 彼は真顔に戻り、静かに言葉を続けた。

「魔法石の扱いには十分注意しろ。内部には水の精気が宿っている。無理に触れると、暴走することもある」


 その忠告に、フィンは真剣な表情で頷いた。

 外では雨脚が少し強まり、窓を叩く音が工房の奥まで響く。

 それでも、アレンの言葉は静かに続いた。


「――まあ、暴走したとしても、私が止めるさ」

 穏やかに笑うその声に、フィンの緊張が少しだけ解けた。


 こうして、雨音の中での修理課題が始まる。

 外の世界が灰色に霞む一方、工房の明かりだけが暖かく、まるで二人の手仕事をそっと包み込んでいた。


 作業台の上に望遠鏡を置くと、雨の音が一段と強くなった。

 木の屋根を叩く雨粒のリズムが、まるで修理の開始を告げる合図のようだった。


「さて、分解の前に観察だな」

 アレンがそう言って、望遠鏡を手に取り、机のランプの光にかざした。

 真鍮の表面には細かな刻印があり、魔法陣を構成する線が複雑に絡み合っている。

 レンズの周囲には水の魔法石が小さくはめ込まれており、淡い青の光が揺らいでいた。


「焦点がずれるっていうのは、たぶんこの石の共鳴がずれてるんだ」

 アレンはそう言いながら、工具箱から精密ピンセットと魔法流導針を取り出した。

「フィン、この部分の線を見てごらん。魔力が滞ってるのがわかるか?」


 フィンは慎重に覗き込み、目を細めた。

「……なんとなく、ここだけ光が弱いような……」

「正解。魔力の通り道が詰まってる。

 この望遠鏡は水の精気を流して焦点を結ぶ構造だから、水流のように“流れ”が止まると像がぼやけるんだ」


 アレンは流導針を軽く当て、細い線をなぞった。

 淡い青い光が針先に反応し、途切れた流れがゆっくりと繋がっていく。

 それを見ていたフィンの顔に、驚きと感心が混ざった表情が浮かぶ。


「わあ……! 本当に流れてるみたいだ」

「魔法陣ってのは、生きてる線みたいなものだよ。魔力が通う限り、呼吸してるんだ」

 アレンは静かに言い、工具をフィンに手渡した。

「さあ、次は君の番だ。外装を外して、内部のレンズと魔法石を点検してみよう」


「は、はい!」

 フィンは緊張しながらも器用に手を動かし、ねじを外して筒を開いた。

 中から、幾重にも重なった透き通るような魔導レンズと、細い管に沿って埋め込まれた魔法石が現れる。

 そこには、見慣れた機械仕掛けとは違う、どこか“自然の秩序”を感じさせる美しさがあった。


「……きれいだなぁ」

「だろう? 魔法道具ってのは、魔法とことわりの境目にある。

 だからこそ、修理する者の手も、心も整ってないと動かない」

 アレンの言葉は、まるで詩のようだった。


 そのとき――フィンがふと、筒の奥に小さな歪みを見つけた。

「アレンさん、ここ……水滴が溜まってます」

「……なるほど。湿気が入り込んだか」


 アレンがうなずき、ランプを近づけると、レンズの隙間に微細な水の粒が光っていた。

 それはまるで“雨の気配”が望遠鏡の中に入り込んだようだった。


「内部の魔法石は水属性だから、水分を吸いすぎると出力が不安定になる。

 雨の日の保管は厄介なんだよ」

「じゃあ、今日は……」

「ちょうどいい実習日だな」


 アレンはにやりと笑い、棚の上から小型の加温灯を取り出した。

 温かな光が望遠鏡を包み、内部の湿気をゆっくりと蒸発させていく。


 外では、相変わらず雨が降り続いていた。

 だが工房の中には、穏やかな灯と、ものを直す音が心地よく響いていた。

 フィンの額には小さな汗が浮かび、アレンはそれを静かに見守っていた。


 ――そして、ふと。

 望遠鏡の奥で、淡い光がかすかに揺れた。

 それは、まるで何かが目を覚ます予兆のように。


 蒸気がゆるやかに立ちのぼり、工房の空気が少しだけあたたかくなった。

 外の雨はまだやまず、屋根を叩く音が規則正しい。まるで、作業の手を導くリズムのようだった。


 加温灯の光を見つめながら、アレンは静かに望遠鏡を手に取った。

「よし、これで内部の湿気は抜けたはずだ。次は“調律”だな」

「調律、ですか?」

 フィンが首をかしげる。


「魔法石は自然の力を媒介するから、気温や湿度、使用者の魔力の波にまで影響される。

 だから、使い手に合わせて“音”を揃えてやるんだ」

 そう言うと、アレンは机の引き出しから細いチューニングロッドを取り出した。

 銀色の棒がかすかに震え、空気の中に透き通った音を響かせる。


 望遠鏡の内部で、水魔法陣が呼応するように淡く光り始めた。

 青の光が伸びて、円のように筒の内側を走る。

「これが“魔力音”の調律波。魔法石が応えると光が滑らかに流れる。

 けど……ほら、ここだけ反応が鈍い」

 アレンが指差した部分は、光の流れが歪み、まるで波紋が詰まったように見えた。


「ここが焦点ズレの原因か……」

 アレンは工具をフィンに手渡した。

「少し押さえて。レバーを緩めて、魔法石の角度を三度だけ傾ける」

「はいっ……!」


 フィンが指示通りに動かすと、青い光がゆるやかに流れ始める。

 筒の内側で水が流れるような音がして、望遠鏡の中の空気がわずかに震えた。


「……いま、動いた感じがします」

「ああ。魔力の流れが戻った証拠だ」

 アレンが頷くと、望遠鏡の表面に刻まれた魔法陣が一瞬だけ輝いた。


 その瞬間、工房の窓の外――雨雲の切れ間から、光が差し込んだ。

 ミラが窓を開けると、遠くの丘が白く霞んで見える。


「アレンさん、試してみませんか?」

「ああ、そうしよう」


 アレンは望遠鏡を構え、遠くを覗き込んだ。

 しばらくして、少し驚いたように眉を上げる。

「……面白い。雨の粒が止まって見える」

「止まって……?」

 フィンが身を乗り出す。


「厳密には止まってるわけじゃない。水魔法石が空気中の湿度を感知して、流れを“ゆっくり見せている”んだ。

 つまり、雨の軌跡をひとつずつ追ってる」


 フィンは目を丸くした。

「そんなことまでできるんですか、望遠鏡って!」

「普通のじゃできない。だけど、これは“自然観測用”。

 空の流れ、風の速さ、雨の量――すべてを魔法で記録する仕組みなんだ」


 アレンは望遠鏡をフィンに渡した。

「ほら、君も見てみな」

 恐る恐る覗き込むと、雨の粒がふわりと光り、ひとつひとつが流星のように軌跡を描いていた。

 その幻想的な光景に、フィンは息をのむ。


「……すごい……世界が静かに見える」

「魔法道具の本質は、“目に見えない流れを形にする”ことだ。

 壊れていたのは機構じゃなく、“流れ”そのものだったんだよ」


 アレンの言葉に、フィンは静かにうなずいた。

 外では、まだ雨が降り続いている。

 だがその音はもう、騒がしさではなく――まるでひとつの旋律のように聞こえていた。


 望遠鏡の中で、淡い光が最後のひと筋、流れるように瞬いた。

 修理は、ほぼ完了していた。


 ――そして、静寂が訪れた。


 雨の音はすでに細くなり、屋根を打つ雫が、まるで遠い記憶のように聞こえる。

 工房の中では、魔法灯の光がやわらかく揺れ、机の上に置かれた望遠鏡の筒が淡い青を返していた。


 アレンは工具を拭きながら、息をゆっくり吐いた。

「……よし、これで“調律”は完璧だ。これ以上はいじらないほうがいい」

「はい!」

 フィンが顔を上げ、嬉しそうに頷く。

 その瞳には、さっき覗いた雨の世界の残光がまだ宿っていた。


 ミラがカップを三つ用意して、蒸気を立てる紅茶を机に置く。

「修理成功、おめでとうございます。……今日の雨、記録に残しておきますね」

「そうしてくれ。たぶん、この雨は長くは続かない」

 アレンは窓の外を見やった。

 雲の切れ間から、細い光が差し込んでいる。

 それはまるで、修理を終えた望遠鏡の“調律波”が、空にまで届いたかのようだった。


 フィンが望遠鏡をそっと持ち上げた。

「これ、どんな人が使ってたんでしょうね」

「山岳観測隊の隊長さ。十年前の記録が残ってた」

「十年前……」

 フィンは静かに筒を見つめる。

 雨を観測し、風を読み、空の流れを知ろうとした人――その思いが、この魔法道具にはまだ息づいている気がした。


 アレンは立ち上がり、工房の看板を見上げた。

 窓の外で、風が吹き抜け、木製の看板を軽く揺らす。


 ――風の手工房。


 魔法の流れを読み、壊れた“願い”を修理する場所。

 今日もまたひとつ、誰かの想いが風に還っていった。


「さあ、片付けよう。次の依頼が来る前に」

「はいっ!」

 フィンの声が、澄んだ音を工房に響かせた。


 そして望遠鏡の内部では、まだ微かに青い光が流れ続けていた。

 それは――風と雨、そして人の心をつなぐ、最後の“調律”の余韻だった。


 【魔法の箒、修理いたします。また自然を観測できるように】

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