表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔法の箒、修理いたします。  作者: 仲村千夏


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

110/123

一躍人気な工房と貴族との付き合い

 その朝、風の手工房の扉を開けると、ミラが机の上に山積みになった封筒を前にため息をついていた。


「アレンさん、また手紙が届いてます。これ……全部、王宮からの使いの方が持ってきました」

「またか……」


 アレンは苦笑しながら、その一番上の封を取る。厚い羊皮紙に金糸の封蝋――王家の紋章。

 中には感謝状、そして玉座修理の正式な報酬書が添えられていた。


「……ふむ。これが、王の玉座の報酬、か」

 アレンが封書の中身を見て目を細める。重厚な革袋の中には、金貨がぎっしりと詰まっていた。

「すごい……!」ミラの目が丸くなる。「こんなに……一体、いくら分ですか?」

「工房の修理費用が十年分はまかなえるな」


 その金の重みには、王国が抱く信頼の証があった。だが、同時に――。


「……こっちが問題だな」

 アレンが指先で別の封を示す。そこには貴族家の家紋が並び、どれも丁寧すぎる筆致で書かれていた。


 “侯爵家夜会への招待”

 “魔導具研究の相談”

 “新築の館の加護陣設計依頼”


 どれも王宮関係者や上流貴族ばかり。

 玉座の修理で一躍名が知られた工房には、あっという間に新たな依頼と招待状が殺到していた。


「……困りましたね」

 ミラが眉を寄せる。「こんなにたくさん……全部は受けられませんよね」

「ああ、受けるつもりもない」アレンは即答した。

「どれだけ金を積まれても、うちは“困っている人の道具を直す”工房だ。

 誰かの見せ物になるために手を動かしてるわけじゃない」


 そう言いながらも、封書の山は増える一方だった。

 その日の夕方、ちょうどアレンが手紙を整理していると、扉が静かに開いた。


「やあ、やはり噂は本当だったか。ずいぶん立派になったものだな、風の手工房は」


 低く落ち着いた声。

 見上げると、立っていたのは――クラヴィス・デュラント侯爵。


 以前、魔法実演会用の杖を修理したことのある、老練な魔導士貴族だった。

 アレンはすぐに立ち上がり、軽く頭を下げた。


「侯爵閣下、お久しぶりです。まさかご足労いただけるとは」

「ふむ、王宮の玉座を直した修理師がどんな顔をしているか、見てみたくなってな。

 それに、少々……助言をしに来た」


 侯爵は微笑んだ。

 その笑みには、かつての杖修理のときと同じ――どこか温かな気配があった。


 アレンは封筒の山を見て、苦笑した。

「……なるほど、もしかして、その“助言”というのは――」

「おそらく、今お前が抱えている“貴族たちの問題”について、だ」


 侯爵の瞳が静かに光を宿した。

 王の玉座を修理した職人に降りかかった“栄誉”と“喧噪”。

 それをどう扱うべきか――今、まさにその答えが求められようとしていた。


 その日の午後、アレンは侯爵に招かれ、久しぶりにデュラント家の屋敷を訪れた。

 古い石造りの門をくぐると、初夏の風が庭園の花を揺らし、魔力を帯びた光の粒がふわりと漂っていた。かつて修理した杖の影響だろうか――庭そのものが穏やかな魔力の流れを保っている。


 執事に案内され、アレンは広い応接室へ通された。

 侯爵はすでに席に着き、窓際の光を背にして紅茶を傾けていた。


「お招きいただき、恐縮です」

「いや、わざわざ来てもらってすまんな。王宮での仕事以来、ずいぶん忙しくなったと聞いた」

「ええ……噂が思った以上に早く広まりまして」

「ふむ、そうだろうな。王の玉座を修理した職人など、そうそういない」


 侯爵は笑いながらも、すぐに真剣な表情に戻った。

「さて、単刀直入に言おう。君の工房に押し寄せている招待や依頼――あれは、君を“試している”のだ」


「試している?」

 アレンは眉をひそめた。


「貴族というのは、己の領域に“価値ある者”が現れると、必ず距離を測る。

 味方にできるのか、利用できるのか、それとも無視してよいのか――それを見定めるためにな」


 侯爵の言葉は穏やかだが、その奥には明確な警告があった。

 アレンは沈黙のまま、テーブルの上の茶器に視線を落とす。


「……つまり、彼らの招待を受ければ、取り込まれる可能性がある。断れば、敵に回すことになる」

「うむ。だが、断り方を誤らねば、敵にはならん」


 侯爵はカップを置き、指先で静かに机を叩いた。

「君が“誰のために手を動かす職人か”――それを貴族たちに見せればよい。

 たとえば、君の工房の理念。『困っている人のために直す』というあれだ」


 アレンは小さく息を呑む。

「……あれを、ですか」

「そうだ。金や地位ではなく、技と誇りのために動く。その姿勢こそ、真に貴族の敬意を得る」


 侯爵は微笑んで立ち上がり、棚の上の古びた杖を取った。

 それは、以前アレンが修理したもの――魔法実演会を成功させた“あの杖”だった。


「覚えているかね? この杖を直した夜のことを」

「ええ。魔力が暴走しかけて、焦りました」

「だが、君は恐れずに“杖の声”を聞いた。あの姿勢があったから、今の風の手工房がある。

 貴族相手でも同じだ。相手の“顔”ではなく“道具”を見ろ」


 アレンはその言葉に深く頷いた。

 自分が職人である理由――それは名声でも富でもなく、“直すこと”そのものだった。


「……ありがとうございます、侯爵閣下。少し、霧が晴れた気がします」

「よろしい。では、その霧が完全に晴れるまで、もう一つ話をしよう」


 侯爵はゆっくりと紅茶を注ぎながら言った。

「君のもとに届いている依頼の中に、一件だけ――注意すべきものがある」


 アレンの目がわずかに鋭くなる。

「……注意すべきもの?」

「ああ。“ミルドラン卿”という名に覚えはあるか?」

「……いえ、初めて聞きます」


 侯爵は短く頷き、窓の外を見やった。

「表向きは古い貴族だが、裏では魔導具の“収集家”を名乗っている。目的は――おそらく、玉座の力を手に入れることだろう」


 アレンは沈黙したまま、胸の奥に冷たいものが走るのを感じた。


 風の手工房の名声は、想像以上に“深い場所”にまで届いていた。


 数日後。

 昼下がりの工房に、上質な馬車の音が響いた。

 通りのざわめきの中でもひときわ目を引くその黒塗りの車体は、明らかに貴族のものだった。


 扉を開けて現れたのは、長身の男。

 灰銀の髪を後ろで束ね、細身の杖を手にしている。金糸の刺繍が施されたマントには、蛇と羽根を組み合わせた紋章――ミルドラン卿。


「風の手工房の主、アレン殿でお間違いないかな?」

「はい、私が」

 アレンが応じると、ミルドランは穏やかな微笑みを浮かべた。

「噂はかねがね。王の玉座を修理した職人と聞いて、ぜひ一度お会いしたくてね」


 ミラが背筋を伸ばしてお茶を淹れる。だが、その笑顔の裏で、アレンは男の視線が工房の奥――魔力封じの箱や修理道具へと向けられているのに気づいた。


「実は相談がありましてな」

 ミルドランは鷹揚に腰を下ろすと、懐から金色の小箱を取り出した。

 その表面には奇妙な魔法陣が刻まれ、淡い紫の光を放っていた。


「これは我が家に伝わる護符の核です。だが、古すぎて魔力が滞り、うまく発動せぬ。

 できれば――王の玉座のように、完全な循環を取り戻してほしい」


 アレンは一瞥し、眉をひそめた。

 その核の構造は玉座の魔力回路と酷似している。それも、ただの模倣ではなく――

「……これは、王宮の術式をもとにしていますね」

「さすがだ。そう、初代王の時代の技術を解析したものだ。もっとも、正式な資料はない。君なら、再現できると思ってね」


 ミラが息をのむ。

 アレンはしばらく沈黙したあと、静かに口を開いた。


「申し訳ありませんが、その修理はお受けできません」

 ミルドランの微笑みが、わずかに固まった。

「……理由を、聞いても?」

「その核は、王国の守護術式の一部を不正に転用したものです。

 修理すれば、“王の盾”を無力化することにもなりかねない」


 ミルドランは笑みを取り戻したが、その目の奥には冷たい光が宿っていた。

「なるほど……職人気質、か。だが、報酬は金貨千枚。君の工房を五つ建てても余る額だ」

「お金の問題ではありません」

「……本当に、断るのか?」

「はい」


 その瞬間、空気が張り詰めた。

 ミルドランは立ち上がり、ゆっくりとアレンの前に歩み寄る。

「愚かだな、職人。君が断っても、我々は別の手を探すだけだ」


 低く押し殺した声。

 ミラが思わず一歩後ずさったとき――。


「その言葉、聞き捨てならんな」

 扉の方から別の声がした。

 杖を手に現れたのは、クラヴィス・デュラント侯爵。

 いつの間にか、来客の知らせを受けて駆けつけていたのだ。


「ミルドラン卿、あなたのやり口は昔から変わらん。

 王家の術式を私的に利用するなど、貴族として恥ずべき行いだ」

「クラヴィス……貴様、まだ生きていたか」

「ふん、年寄りはしぶといものだ」


 二人の視線が火花を散らす。

 アレンはその間に立ち、深く頭を下げた。

「侯爵閣下、この件は私の工房でお預かりしている問題です。

 どうか、これ以上の争いは――」

「いや、君は何も間違っていない」侯爵は穏やかに言った。「誇りを貫いた。それで十分だ」


 ミルドランは最後に一瞥をくれ、低く鼻で笑う。

「……よかろう。王の犬どもに忠誠を誓うなら、勝手にすればいい」


 そのまま背を向け、黒い外套を翻して去っていった。


 扉が閉まると、ようやく空気が緩む。

 ミラは胸に手を当て、息をついた。

「アレンさん……怖かったです……」

「俺もだよ」アレンは苦笑した。「だが、これでいい。あんな仕事を受けたら、“風の手工房”じゃなくなる」


 侯爵は満足そうにうなずいた。

「その通りだ。君が貴族に頭を下げぬ限り、彼らはいつか君に敬意を抱くだろう。

 職人とはそういうものだ」


 アレンは静かに笑みを返した。

 ――そして、夜がゆっくりと更けていく。


 翌朝。

 陽の光が差し込む工房には、昨夜の緊張がまるで幻だったかのように、いつもの穏やかな空気が戻っていた。

 ミラは朝の掃除をしながら、昨日のことを思い出していた。ミルドラン卿の冷たい笑み、アレンの静かな拒絶、そして侯爵の言葉。胸の奥で何かが温かく、強く灯るような感覚が残っていた。


「……やっぱり、アレンさんはすごいです」

「ん?」

 工具棚を整えていたアレンが振り返る。

「怖くても、譲らなかった。どんな相手でも、自分の仕事を曲げない。それが“風の手工房”なんですね」

 そう言うミラの顔には、昨日よりも少し大人びた光が宿っていた。


 アレンは少し照れたように笑う。

「俺だって完璧じゃないさ。ただ、魔法道具を“壊すため”に直したくはない。それだけだ」

「……はい」

 ミラはうなずき、ほうきを手に取って窓の外を見た。

 街路の向こうには朝の風が吹き抜け、通りを歩く人々の笑顔を撫でていく。


 そこへ、工房の扉がコトリと開いた。

「すみませーん、箒の修理をお願いしたくて!」

 若い魔法使いの少女が、折れた柄の箒を抱えて立っていた。

 アレンはにっこり笑い、手を拭って出迎える。

「ようこそ、“風の手工房”へ。さて、今日はどんな風を直せばいいかな?」


 少女が嬉しそうに笑う。

 その笑顔に、ミラも自然と微笑んだ。


 ――昨日の嵐は過ぎ去り、また新しい風が吹く。

 どんなに大きな権力や誘惑が訪れても、ここでは誰かの“想い”を繕う風が流れ続ける。


 アレンは窓の外を見上げた。

 澄んだ青空の中、鳥たちが軽やかに飛び交っている。

 その姿を見て、彼は小さく呟いた。


「……やっぱり、風はいいな」


 ミラが笑い、カウンターの上の工具が陽光を反射する。

 “風の手工房”の看板が、心地よい音を立てて揺れた。


 【魔法の箒、修理いたします。想いを大切に】

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ