町長からの依頼
ある晴れた午前のこと。
《風の手工房》の前に、やや大きめの馬車が止まった。
馬車から降りてきたのは、少し年配の男性。整えられた髭、しっかりした立ち姿。
「……これは珍しい」
アレンは、窓の向こうからその姿を見て目を細めた。
男が工房に入ると、微かに香る上等な紙の香りが漂った。
革靴の音も控えめで、けれど威厳がある。
「失礼。私、町長のゼルガと申します。ご繁盛の様子、噂はかねがね」
「これは町の偉い人が……ご丁寧に。ご用件は?」
ゼルガ町長は、懐から木箱を取り出し、その中から一つの金属製の印章をアレンに見せた。
「この“印章”、町の開設当初から受け継がれてきたものです。歴代町長が使い続けてきた“誓いの印”でもあります」
「なるほど。……たしかにこれは、かなり古い造りだ」
印章には、時間による擦れと微かな亀裂。
魔力の回路も、所々で断絶している。
「最近、この印章がうまく魔力を刻まなくなりまして。公式文書への“誓印”が、かすれてしまうんです。町の書記官は代替案を出しましたが、私はどうしても、これを使い続けたい」
「……それだけの“重み”があるものなんですね」
「この町が、まだ湿地と草原ばかりだった頃から使われていたものです。何百人、何千人の生活を背負った証。……安易には、捨てられません」
アレンは印章を受け取り、しばらく黙って眺めた。
「これは、単に修理するだけでは足りませんね」
「というと?」
「この印章が、“今も必要とされている”という意志を、再び伝える必要があります」
工房の奥、アレンは慎重に印章を分解し始めた。
芯の魔力核には、歴代町長の“誓い”が薄く記録されていた。
「私はこの町を守り、育て、受け継ぐ」
「私はこの人々の生活を支える」
「私は、この町の未来を信じる」
いずれも簡潔で、力強い。
だが――最後の記録は、かすれていた。
「私は……」
「……この町の未来を、まだ“誰かが言葉にしていない”のか」
アレンは再構築の魔法を施す。
過去の誓いを残したまま、新たな“空白”を刻めるよう、器としての構造を補強していく。
最終調整の前、アレンは町長を再び呼び出した。
「この印章、もう一度“誓って”もらえますか? この町に、何を願うのか」
ゼルガ町長は、少し目を閉じ、そして印章に手を置いた。
「私は――この町の人々が、自分らしく生きられるように願う。守るのではなく、支える町を作る」
その言葉が、印章に流れ込み、微かに光が走った。
金属のひび割れが静かに塞がれ、刻印が新たに浮かび上がる。
「……できました。これでもう、かすれることはないでしょう」
「……ありがとう。まるで、この町がまた“息を吹き返した”ように感じます」
数日後、町役場には新たな公式文書が掲げられた。
その左下には、はっきりと押された新しい印――それは、過去と未来をつなぐ“誓いの印”だった。
アレンの工房にはその日、役場から大量の書簡と、ちょっとした謝礼のかごが届いた。
「……今度は、看板に“公用印章も可”って書いとくか……?」
風が看板を揺らす。
【魔法道具 修理いたします。想いを、未来へ刻み直します】




