教鞭用の杖と魔法の眼鏡
秋の風が、風の手工房の窓をやわらかく揺らしていた。
外では木々の葉が色づき始め、日差しにもわずかな冷たさが混じっている。
作業台には二つの修理依頼品が並んでいた。
一本は、魔法学院の教師が使う“教鞭用の杖”。
そしてもう一つは、文字や文書に込められた魔力を読み取る“魔法の眼鏡”。
「どちらも、授業に使う道具か……」
アレンが封書を読みながら呟く。
依頼主は学院の教員二人――それぞれ、同じ学校で教壇に立つ夫婦だという。
「杖のほうは魔力の伝導が鈍っている。長年使い込まれて、芯の水晶が疲弊しているな」
アレンは杖を手に取り、光の角度を変えながら目を細める。
長い年月の使用で、杖の表面は指の形に沿って艶が出ていた。
一方、ミラの手元では、銀縁の眼鏡が静かに光を反射している。
「こちらは……魔力の焦点がずれてますね。魔素の通り道が少し詰まっているみたいです」
アレンは頷き、少し笑みを浮かべた。
「君に任せよう。繊細な魔力の調整は、僕より君のほうが向いている」
「はい。ゆっくり、焦らず、丁寧に……ですね」
ミラの言葉に、アレンは軽く肩をすくめた。
「もう立派に工房の口癖を覚えたな」
二人はそれぞれの作業台へ向かう。
木の香り、研磨油の匂い、魔力符の微かな輝き。
秋の午後の工房は、いつもより少しだけ静かで、そして温かかった。
午後の陽射しが少し傾き、工房の奥に長い影を落とし始めていた。
アレンとミラは、それぞれの作業台で静かに手を動かしている。
アレンの前では、長年使い込まれた教鞭用の杖が固定具の上に横たわっていた。
表面の古木は深く乾き、芯の水晶は淡い灰色に濁っている。
「魔力の通りが悪い理由は……やはりここだな」
アレンは小さく呟くと、杖の中心部に手をかざした。
魔力を細く流し、内部の結晶構造を“視る”。
ひびのように走る魔力の断層が、いくつも見えた。
封印符を二枚取り出し、杖の両端に貼り付ける。
淡い光が走り、内部で小さく「ピシリ」と音がした。
「再結晶化開始」
指先から極細の魔力を流し込む。
古びた水晶がゆっくりと光を取り戻し、薄灰色から透明へと変化していく。
一方のミラは、銀縁の魔法眼鏡を分解して、慎重に魔素流路を調べていた。
極細の銅線のような魔力導管が、内部で複雑に絡み合っている。
「うーん……詰まってるというより、魔力が偏ってしまってるのね」
彼女は軽く息をつき、細い棒で魔法陣を整えながら、魔力を少しずつ通していく。
アレンがふと声をかけた。
「詰まりはどうだ?」
「あと少しです。魔力の流れを安定させれば、焦点が戻ると思います」
「無理はするな。道具は焦らせるとすぐ反発する」
「……はい。焦らず、ですね」
ミラは頷き、手を止めずに微笑んだ。
アレンの杖の水晶が完全に澄み渡った瞬間、工房の空気が少し変わった。
澄んだ音を響かせながら、杖の先端が青白く輝く。
アレンはその光を確かめるように目を細めた。
「うん、いい反応だ。もう一度、授業で魔法を導けるだろう」
ミラの手元では、眼鏡の魔法陣が整い、光が虹のように反射していた。
レンズ越しに覗くと、薄く揺らめく文字の軌跡が正しく整列していく。
「見えます……魔素の流れがまっすぐになりました」
「やるな。もう立派に一人前だ」
アレンの言葉に、ミラは小さく首を振った。
「いえ、まだ。師匠のように“道具の声”を聞けるようになるまでは」
二人の作業が同時に終わり、工房に穏やかな沈黙が満ちた。
風が窓を鳴らし、木々の葉が外でこすれる。
秋の午後は、修理師たちの静かな呼吸に包まれていた。
翌朝。
風の手工房には、早朝の冷たい空気が流れ込んでいた。
アレンは教鞭の杖を丁寧に布で磨き、ミラは魔法眼鏡の最終調整に取りかかっていた。
どちらも今日、依頼主が受け取りに来る予定だった。
ミラは慎重に眼鏡のレンズを取り付け直しながら、指先に魔力を通す。
光の層がレンズの内側で静かに揺れ、色が少しずつ整っていく。
「よし、これで……」
しかし、その瞬間、光がふっと歪んだ。
魔力の流れが微妙に乱れ、焦点がぶれてしまう。
「……あっ、しまった」
ミラが息を呑む。
急いで魔力を引こうとするが、流れが逆流してレンズの内側で淡い閃光が走った。
アレンがすぐさま反応する。
「下がって、ミラ!」
彼は教鞭の杖を一振りすると、杖先から展開された封印陣が眼鏡を包み込む。
淡い青の光がぱっと広がり、暴走しかけた魔力を穏やかに押さえつけた。
工房に小さな静寂が戻る。
ミラは両手を胸の前で組み、深呼吸をしてから小さく頭を下げた。
「……申し訳ありません。最終調整で力を入れすぎました」
「気にするな。修理の最後ほど、魔力のバランスが繊細になるものだ」
アレンは杖を下ろし、眼鏡をもう一度手に取った。
軽く符を貼り直し、魔力の流れを整える。
その所作は無駄がなく、落ち着き払っている。
ミラはその様子を見つめながら、改めて感じていた。
――この人は、道具だけでなく、人の不安までも“修理”してくれる。
アレンが眼鏡を差し出す。
「ほら、試してみなさい」
「……はい」
ミラがそっと手に取ると、今度は光が穏やかに流れた。
レンズ越しに見える景色が澄みわたり、魔力の層が正しく重なっているのがわかる。
「……安定しました。もう、大丈夫です」
「うん。しっかりと仕上がったな」
アレンは満足げに微笑み、杖の先で封印陣を解いた。
その一連の動きに、ミラの胸の奥に温かなものが広がっていく。
「アレンさん」
「ん?」
「私……少しずつでも、あなたのように“落ち着いた修理”ができるようになりたいです」
「焦らなくていい。君の手には“道具の声を聴く耳”がある。それは簡単に得られるものじゃない」
窓の外から秋の風が吹き抜ける。
淡い光が差し込む中、二人の修理師は、道具と同じように――ゆっくりと心を通わせていった。
――窓辺から吹き込む風が、やわらかく鈴を鳴らした。
午後の日差しの中、アレンが手にした教鞭用の杖が、ゆっくりとその光を取り戻していく。杖の芯に込められた魔力の流れが整い、ひときわ柔らかな青光が穂先から溢れた。
「これでよし。授業でもう、暴走しないはずだ」
アレンは小さくうなずき、机の上に置いた。
隣では、ミラが修理台に並べたレンズを一枚ずつ磨いていた。
魔法の眼鏡――かける人の“魔力の癖”を補正し、視界を安定させる品だ。
「魔力の焦点が少しズレていたみたいね」
ミラは糸のように細い魔法を指先から伸ばし、眼鏡のつるへそっと触れる。
光がふわりと走り、透明な魔方陣がひとつ浮かんでは消えた。
「……これで、読み書きも楽になると思うわ」
ミラの表情には、満足げな穏やかさがあった。
アレンがうなずき、静かに笑う。
「人の教えを助ける道具と、人の目を助ける道具。どちらも、“見通す”ためのものだな」
ミラも微笑みを返す。
「うん。道具って、ほんとに持ち主の想いを映すわね」
二人は修理を終えた品々を、そっと工房の棚に並べた。
その瞬間、風の鈴が再び鳴り、工房の空気がひときわ澄んだ気がした。
「……今日もいい仕事ができたな」
アレンが呟くと、ミラは静かに頷いた。
そして、木漏れ日の差す工房の中に、看板の文字が金色に光る。
【魔法の箒、修理いたします。見通す心、整える手】




