おばあちゃんの箒、折っちゃった
その工房は、町の外れの緩やかな坂道の途中にある。
軒先にかかった木の看板には、こう書かれていた。
【魔法道具 修理いたします。壊れても、壊した理由があるのなら。】
それは風で揺れて、時には読みにくくなるが、立ち止まった誰かの目にはきちんと届く。
工房の主、アレンは朝から黙々と作業台に向かっていた。
机の上には、分解された古い魔法時計。魔力の循環盤が劣化しており、慎重な補修が求められる。
「魔力漏れが酷いな……回路石が寿命か」
彼が工具を持ち替えたそのとき、扉のベルがちりんと鳴った。
「す、すみませんっ!」
飛び込んできたのは、小柄な少女だった。
あわてて転びそうになりながら、彼女は両手で何かを差し出す――それは、真っ二つに折れた古い箒だった。
「これ……修理、できますかっ……!?」
アレンは目を細めて箒を見た。
柄の中央から鋭く折れ、毛先はほこりと土にまみれている。破損面は焼け焦げてすらいた。
「ずいぶん見事に折ったな。……飛行中に落ちた?」
「はい。練習中に、木にぶつかって……私のせいで……!」
少女はうなだれながらも、箒を必死に抱えていた。
「ふむ。名前は?」
「ノア・ルーデンです。魔術学院の一年で……」
アレンは箒を受け取り、カウンターの奥へと持ち込んだ。
ノアも不安げに後ろからついてくる。
「これ……おばあちゃんの箒なんです。私が勝手に使って、こんな……!」
「……なるほど」
アレンは作業台に箒を載せ、ルーペと魔力検査石を取り出した。
魔導具整備士は魔力を感知する職人だ。目で見る以上に、“感じる”ことが重要になる。
「この箒、七十年以上前の型だな。木材はウィスノ樫。芯に雷素導管、飛行術式は……古典型か」
「えっ、そんなに古いものなんですか?」
「古いけど、丁寧に使われてきた。魔力の染み込み具合が優しい」
アレンは折れた部分を指でなぞる。そこから微かに、温かな魔素が立ち上っていた。
「おばあさん、使うたびに声をかけてたな。『今日もよろしく』って、そんな感じの……愛情の痕跡がある」
ノアの目が潤む。
「おばあちゃん、毎朝それに乗って、買い物に行ってました……具合が悪くなるまで……」
「道具ってのは、持ち主の想いに応えるものだ。……問題は、これを“別の魔力”で急に使ったことだな」
「……私のせいです」
ノアが俯く。
「箒、暴走して……ぐるぐる回って……空の上でわけがわからなくなって……落ちちゃって……」
アレンはしばらく黙っていたが、やがて小さくうなずいた。
「大丈夫。直るよ」
「……ほんとに?」
「でも、“折れた理由”ごと直さないと、また壊れる。……付き合えるか?」
ノアはきょとんとしたが、真剣な顔でうなずいた。
アレンは手袋をはめ、修理台に明かりを灯した。
「では、始める」
まずは折れた木材の“繊維調整”。
アレンは細い魔法ペンで、木の中に走る魔力導管を一本ずつ確認していく。
「ほら、ここ。魔力が断絶してる」
「え、見えないです……」
「見なくていい。“感じる”んだ。手のひらで木の流れを追え」
ノアが手を添えると、そこにかすかな震えのような感覚が伝わった。
「……すごい……生きてるみたい……!」
「そう、道具は生きてる。特に魔法道具は、使う人の感情を受け取る。強くもなるし、壊れもする」
アレンは“導力糸”を使って、断絶部に共鳴素子を接続した。
まるで血管を縫い直すような精密さだ。
次は“心の調整”。
箒の柄にある術式核――飛行を司る魔法陣の中心に、小さな共鳴石をはめ込む。
「これは“魔力干渉防止石”。使い手が不安定でも、箒の心が乱されないようにするものだ」
「……箒に、心があるんですね」
「お前の“気持ち”が乱れれば、箒も暴れる。自信がないときは、ちゃんと“話しかける”ことだな」
ノアはそっと、箒の柄に触れた。
「……ごめんね。でも、ありがとう」
そのとき、不思議なことが起きた。
箒の毛先が、ほんのわずかに揺れたのだ。
「……今、うなずいた……?」
「きっと、“わかった”んだよ。持ち主の想いは、必ず伝わる」
修理完了は、日が傾いた頃だった。
箒は元の形に戻り、むしろ以前よりも軽やかな気配を帯びていた。
「動作確認、しようか」
「えっ、今から飛ぶんですか!?」
「不安なら、ここで終わってもいい。ただし、“本当に直った”のは、飛んでみたときだけだ」
ノアは迷ったが、顔をあげた。
「……飛びます。おばあちゃんに、見せたいから」
工房の裏手、小さな丘の上。
ノアが箒にまたがり、ぎこちなく構える。
「怖くは、ない……怖く、ない……」
「“頼むよ”って、言ってみな」
「……うん。頼むよ、いっしょに、空を飛ぼう」
箒が、静かに浮いた。
ふわりと、地面から離れる。風がノアの髪をなでた。
そして――彼女は、空に向かって、まっすぐに駆けだした。
アレンは、遠ざかる背中を見送る。
夕焼けに染まった空に、小さな影が吸い込まれていった。
──その夜。
工房に届いた小さな手紙には、こう書かれていた。
「おばあちゃん、泣いて笑ってくれました。
私、これからはこの箒で、ちゃんと飛びます。
本当に、本当にありがとうございました」
アレンはその手紙を、静かに引き出しにしまい込む。
「さて……次の“壊れもの”は、どんな話をしてくれるかな」
その夜、工房にはまだ、風に揺れる看板が出ていた。
【魔法道具 修理いたします】




