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第二十二章:支配者の哲学

ここから、物語は、物理的な対決だけでなく、思想的な対決の最終局面へと突入する。人間の不完全さ、支配、そして、感情と自我の存在意義を巡る、壮絶な議論が始まるのだ。


城塚総長は、田中の反論を聞いた後、僅かに目を細めた。


彼の顔に浮かんだのは、嘲りだけではない、ある種の…探究心のような色だった。


彼は、田中という平凡な人間が、自身の思想に対し、論理的に反論しようとしていることに、興味を覚えたのかもしれない。


「…ふむ」


城塚総長は、ゆっくりと頷いた。そして、一歩、田中へと近づいた。


「えっと…お前の名前は」


突然の問いかけに、田中は面食らった。緊迫した状況で、なぜ今、名前を尋ねるのか?


「…田中…です」


健一は、戸惑いながら答えた。


「田中君か」


城塚総長は、まるで初めて出会った人間を確認するかのように、呟いた。


「田中君。君は今、まるで自分が、個別に存在しているかのように言っていたように聞こえた」


城塚総長の目が、田中を真っ直ぐに見据える。


その視線は、健一の存在そのものを、値踏みしているかのようだった。


「だが…じゃあ、聞くぞ?」


城塚総長の声に、知的な、しかし冷たい響きが加わる。


「田中君なんて…どこにいる?」


その問いかけに、健一は完全に面食らった。


何を言っているんだ、この男は?


意味が分からない。


自分は、ここに立っているじゃないか。


城塚総長は、田中の困惑した様子を見て、僅かに口角を上げた。


「さあ、指をさしてみなさい」


城塚総長は促す。


「田中君は…どこにいる?」


健一は、怪訝な顔のまま、恐る恐る、自分の胸元…自分自身を指差した。


「…ここ…に…」


「ほう」


城塚総長は、面白そうに言った。


「では、君が今、指差しているのは…何を指差している?」


健一は、言葉に詰まった。


何を指差している?


自分自身…?


「それは…田中君の…鼻か? それとも、田中君の…頭か?」


城塚総長は、畳み掛けるように尋ねた。


「少なくとも…田中君の、なにか…でしかない、ということは、わかるよな?」


そうだ。


自分が指差しているのは、自分の体の一部だ。


鼻であり、頭であり、胸元である。


それは、「田中健一」という存在の、全体ではない。


「では…その、田中君の…実体は、どこにある?」


城塚総長は、問いかけの焦点を移す。


「心か?」


もし、心こそが人間の本体であるなら。


「田中君の心が、もし田中君であるのなら…心がなくなったら、そこにある体は…なんなのだ?」


城塚総長は、冷徹に問い詰める。


「それも…田中君の体、田中君の死体と、誰もが言うのではないか?」


健一は、言葉を失った。


確かに、心がなくなれば、そこにあるのはただの「田中健一の死体」と呼ばれる肉塊だ。


「だったら…心も…田中君の本体では…ないでは…ないか」


城塚総長の言葉は、氷のように冷たく、そして論理的に、人間の「個」という概念を解体していく。


身体も、心も、それ単体では「田中健一」ではない。


ならば、「田中健一」の実体とは一体何なのだ?


「…わかるか?」


城塚総長の目が、嘲りの光を放つ。


「人間に…個人なんて…ないんだよ」


その言葉は、健一の存在そのものを否定するかのようだった。


個人は存在しない。


それぞれが、単なる物質と情報の集合体。


システムの一部。


莉子は、城塚総長の言葉を聞きながら、悍ましいものを見るような目をしていた。


彼女の顔には、深い嫌悪感が浮かんでいる。


「何…言ってるの…この人…」


しかし、田中は、城塚総長の言っている論理が、恐ろしいほど正確であることに気づいていた。


彼の言葉は、感情を排除した、純粋な論理だった。


そして…その論理は、確かに、人間の「個」の存在を証明することができない、という結論に辿り着く。


「…なんとなく…わかった」


健一は、震える声で答えた。


「…確かに…その通りだ」


城塚総長の、冷たい笑みが深まる。


見たか。論理の前には、人間など無力だ。


「…でも…」


健一は、城塚総長の目を真っ直ぐに見つめた。


彼の顔には、論理に打ち負かされた者の絶望ではない。


それは、論理を超えた場所にある、人間の強さを示す光だった。


「…そうだったとしたら…なんなんだ」


健一は、力を込めて言った。


たとえ論理的に個を証明できなくても、それがどうした。


「…何が…言いたい?」


健一の問いかけに、城塚総長は再び、小島へと視線を移した。


「…小島が…苦しむ?」


城塚総長の声に、再び嘲りの色が戻る。


「本当に…そうなのか?」


彼は、小島の苦しみという現実さえも、自身の論理で解体しようとしている。


「苦しみは…現象として発生するかもしれないな」


城塚総長は、認めるように言った。


「うん…それは確かに…あるかもしれない」


小島の本体が耐えているであろう、想像を絶する苦痛。


岩崎が「呻き」と表現した、その現象。


城塚総長は、物理的な現象としてはそれを否定しない。


「…だが…それが…なんなのだ」


城塚総長の言葉に、再び、苦しみへの価値判断を否定する響きが込められる。


「それが…小島にとって、なにか…は、小島本人…あるいは、お前たちの主観的な解釈が決めることであり…それを苦しみと捉えない限り…苦しみでは…ない」


城塚総長の論理は、非道極まりなかった。


苦しみは、受け取り手の解釈次第であると。


「もっと言うと…受け取らなければ…苦しみは…ただ、そこにあるだけだ」


ガラスの筒の中の、無数の命。


永遠の苦痛に繋がれた小島。


彼らの苦しみは、城塚総長にとっては、ただの「現象」であり、受け取る側がどう捉えるかだけの問題だというのだ。


「そこに…いいも…悪いものも…ない」


善悪の彼岸。城塚総長の思想は、人間の倫理や価値観を完全に否定する。


「理解できるか?…馬鹿どもが」


城塚総長は、再び、彼らを愚弄する言葉を投げかけた。

その目に、勝利の光が宿る。


「これが…わかるか?」


城塚総長の演説は、続く。


人間の「個」の否定。苦しみの相対化。


彼の論理は、あまりにも冷徹で、あまりにも恐ろしい。


しかし、その歪んだ論理が、彼自身の行動を、そしてこの世界の恐ろしいシステムを、正当化しているのだ。


田中健一は、城塚総長の言葉を理解してしまった。


その論理の完璧さと、それが導く結論の恐ろしさ。


しかし、彼は知っている。論理だけでは語れない、この世界の真実を。


彼ら人間が持つ、何物にも代えがたい、そして城塚総長には決して理解できないものを。


物語は、最終対決へと、確実に収束していく。





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