第二十章:私たちの幸せ
彼らは、何を信じ、どのように行動するのだろうか。物語は、クライマックスへと向かって、最後の坂道を駆け上がっていく。
岩崎剛の語りは、終わった。
しかし、彼が明かした真実は、あまりにも重く、そして非現実的だった。
大昔の王族。
魔法という名の、人間の命を食らうおぞましいシステム。
永遠の苦痛を強いられる生贄。
そして、小島光太という男が背負う、あまりにも過酷な運命。
田中健一と加藤莉子は、しばらく言葉を失っていた。
目の前の、ガラスの筒に収容されたおぞましい光景。
そして、その中で最も大きく、街のコアとなっているであろう、小島の「本体」。
あまりの衝撃に、頭が混乱し、感情が追いつかない。
しかし、徐々に、彼らは、自分たちがなぜこの場所に来てしまったのかを理解し始めた。
深夜のデータ入力アルバイト。
あれをしていたのは、自分たちだけではない。
研修センターには、多くの人間が集まっていた。
しかし、岩崎さんの言葉が正しければ、巻き込まれて、ここまで来てしまったのは、おそらく自分たち二人だけだ。
なぜ?
その理由が、嫌というほど分かった。
小島光太だ。
あのアルバイトを通じて、小島の分身と出会い、彼と友達になったから。
彼に関わったから、自分たちは『支配派』にマークされ、そして、この世界の最も深い場所に隠された真実へと辿り着いてしまったのだ。
もし、あの時、小島君に話しかけられていなければ、彼の誘いに乗らなければ、自分たちは今も、あの灰色の日常を、あるいは華やかな虚飾の中で生きていただろう。
運命の皮肉。
彼と出会わなければ、安全だったかもしれない。
しかし…彼と出会えたからこそ、得られたものがある。
健一は、岩崎を見た。
この男は、このおぞましい魔法陣システムを、完全に消し去りたいと言った。
それは、おそらく、この街の、この世界の基盤を根底から覆すことになるだろう。
「岩崎さん…」健一は、震える声で尋ねた。
「魔法陣を消したら…この街の、この世界の科学力とか、全部…なくなっちゃうんでしょ?」
岩崎は、静かに頷いた。
「魔法によって支えられているものは、全て消滅するだろう。空飛ぶバイクも、高度なネットワークも、おそらく、都市のエネルギー供給すら…」
それは、壊滅的な未来だ。
これまでの、便利で、当たり前だった生活が、全て失われる。
「…まさか…世界を壊滅させるつもり…?」莉子が、不安そうに尋ねた。
岩崎は、二人の目を見た。
「今の科学力による繁栄…それは、確かに素晴らしいものに見えるだろう」岩崎は言った。
「だが…それは、あの筒の中で、無数の人間たちの命を吸い上げて…そして、小島のような存在を永遠の苦痛に繋ぎとめることで成り立っている」
岩崎の声に、怒りと悲しみが滲んでいた。
「そして…その恩恵を受けている人間たちは…真実を知らず、あるいは知ろうともせず…ただ与えられる快楽に溺れている」
岩崎は、悲痛な声で問いかけた。
「人の幸せは…本当に、そこにあるのか?」
その問いかけに、莉子は、岩崎の目を真っ直ぐに見つめ返した。
彼女の目に宿る光は、もう、恐怖や混乱の色ではなかった。それは、強い意志と、確固たる信念の色だった。
「…私たちは…そんなところに、幸せなんて、感じていませんでした」
莉子は、静かに、しかし力強く言った。
「私の…あの、華やかなだけの生活…全然、幸せじゃなかった」
彼女の言葉に、健一は頷いた。自分の、あの灰色の、諦めきった日常もそうだった。
「でも…田中さんと…そして、小島君に、会ってから…」
莉子の声が、僅かに震えた。
「深夜の、あのつまらないデータ入力バイト。終わってからの、駅前のコンビニ。一緒に食べた焼きそば。射的で、二人がムキになってた姿…」
彼女の脳裏に、小島君と健一さんと共に過ごした、かけがえのない時間、輝く思い出が蘇る。
それは、豪華なレストランでも、SNS映えする場所でもない。
ごく普通の、しかし、彼らにとっては、あまりにも温かく、そして尊い時間だった。
「…初めて、幸せって…こういうことなんだって…知ったんです」
莉子は、涙を堪えながら、強い表情で岩崎に言った。
「幸せと…達成感は…違うものだ」
それは、城塚総長の「支配による達成感=幸せ」という思想に対する、明確な反論だった。
「こんな世界…この、人間の命を犠牲にして成り立ってる、おぞましい世界が…なくなっても…」
莉子は、声に力を込めた。
「私たちの…私たちが見つけた、あの幸せは…無くならない」
彼女の言葉は、田中健一の心にも響いた。
そうだ。
自分たちが小島君と出会って得たものは、魔法に支えられた科学技術なんかじゃない。
金や名声でもない。
それは、人間と人間が心を通わせる中で生まれる、本物の、かけがえのない絆だ。
健一は、莉子の隣に立ち、岩崎を見た。
彼の顔にも、もはや迷いはなかった。
岩崎は、そんな二人の様子を見ていた。
あまりにも純粋で、あまりにも強い、彼らの友情と、彼らが見つけた「幸せ」という価値観。
それは、岩崎が遥か昔に失ってしまった、そして、この世界の誰もが忘れかけているものだった。
岩崎の、感情を表に出さないはずの目尻が、僅かに緩んだ。
「…いい友達が、できたものだ」
岩崎は、二人に聞こえないくらいの、微かな小声で呟いた。
彼の心の中に、温かいものが広がる。
それは、悲しみだけではなかった。希望。
そして、彼らの存在が、自分の孤独な戦いを照らしてくれる光であること。
(岩崎の目から、一筋の涙が流れ落ちそうになるのを堪える描写)
真実を知った。
自分たちが巻き込まれた理由も分かった。
この世界の恐ろしさも、小島の運命も。
しかし、田中健一と加藤莉子の心は、もう決まっていた。
彼らは、自分たちの「幸せ」を守るために、そして、あの笑顔を見せた小島光太という友のために、この非道なシステムに抗うことを選んだのだ。
「行きましょう」
健一は、岩崎に言った。
その声には、平凡なサラリーマンだった頃の、あの諦めや無気力さは微塵もなかった。
「小島君を…助けに」
莉子も、固い決意の表情で頷いた。
二人の覚悟が決まった瞬間だった。
彼らは、岩崎と共に、「アンダーグラウンドコード」の核心へと、歩を進める。
この世界の真実と、自らの運命に立ち向かうために。