第十一章:衝突と消失
三人の平凡な(あるいはそう見えた)日常は、もはや完全に崩壊した。
彼らが読み解いた「アンダーグラウンドコード」の囁きは、
これから彼らを、想像もしていなかった真実と、
そして避けられない別れへと導いていく。
「誰に監視されてるか…絶対、突き止めてやる」
深夜のファミレスで、「アンダーグラウンドコード」を読み解きながら、小島が呟いた言葉だった。
その時の彼の目は、いつもの明るさとは違い、獲物を追い詰めるような鋭い光を宿していた。
田中健一は、小島のその言葉に、かすかな嫌な予感を感じていた。
彼が、無鉄砲な行動に出るのではないか、という予感。
その予感は、最悪の形で現実となる。
翌日。
いつもなら、アルバイトのことや他愛もないメッセージを送り合っている小島から、全く連絡がなかった。
既読にもならない。
ただの寝坊か、と最初は思った。
しかし、昼になっても、夕方になっても、一切の返信がない。
彼のSNSも更新されていない。
健一の胸に、言いようのない不安が広がった。
あの時、小島が言っていた。
「誰に監視されているか突き止めてやる」。
彼は、単独で何かをしようとしているのではないか?
そして、その相手は、自分たちを追っている、あの不気味な影…
健一は、慌てて加藤莉子に連絡を取った。
小島と連絡が取れないこと、そして自分の嫌な予感を伝えた。
莉子もまた、小島からの連絡がないことを不審に思っていたらしく、健一の言葉にすぐに同意した。
「何かあったのかも…一緒に行きましょう、小島君を探しに!」
莉子の声には、いつもの明るさが消え、真剣な焦りが滲んでいた。
二人は、小島が普段よく行く場所や、彼が最近気にしていた「地震が頻発しているエリア」の周辺を探し始めた。
スマートフォンで彼の位置情報を追跡しようとするが、なぜか捕捉できない。
まるで、彼の存在がデジタル空間から消え去ってしまったかのようだった。
街を歩きながら、二人は、自分たちを追っているかもしれない、見えない視線に怯えていた。
その頃。
都市の廃墟と化した一角。
かつて研究所か何かだったのだろうか、崩れかけたビルが立ち並んでいる。
その中でも、ひときわ異様な雰囲気を放つ、地下への入り口の前で、小島光太は一人、黒いスーツを着た男と対峙していた。
男は、鍛え抜かれた体躯にスキンヘッド。
どこか見慣れた…しかし、決して近寄りたくないような、威圧感を放っている。
岩崎剛。
彼は、数日前から小島が自分たちを追跡していることに気づいていた。
そして、彼が単独で、この場所に現れることを予測していた。
「あんたか…俺たちを、ずーっと見張ってたのは」
小島は、緊張で声が震えるのを必死に抑えながら言った。
彼の手に握られているのは、護身用だろうか、小さなスタンガンだ。
勝てるわけがない。
小島自身もそれを分かっていた。
しかし、このまま逃げるわけにはいかなかった。
自分たちの日常を、あの平凡で温かい時間を、奪おうとしている存在を、そのままにしておくわけにはいかない。
岩崎は、無表情で小島を見つめていた。
彼の目には、一切の感情が読み取れない。
ただ、任務を遂行する機械のような冷たさがあった。
しかし、その奥に、僅かな悲しみのようなものが宿っていることに、小島は気づかない。
「…お前は、ここにいてはならない」
岩崎は、低い声で言った。
それは、命令でも警告でもなく、ただ事実を述べているような響きだった。
「何言ってんだ! あんたら一体何者なんだよ! なんで俺たちを!」
小島は食い下がる。
彼の頭の中には、「アンダーグラウンドコード」で読み解いた、不気味な文章の断片が駆け巡っていた。
岩崎は、小島の言葉には答えなかった。
彼はただ、一歩、また一歩と小島に近づいていく。
小島はスタンガンを構えるが、岩崎の放つ圧倒的なプレッシャーに、体がすくむ。
次の瞬間、岩崎の体がまるで消えたかのように動き、小島の腹部に鋭い一撃が叩き込まれた。
鈍い音。
小島の体がくの字に曲がり、そのまま地面に崩れ落ちる。
彼の意識は、急速に遠ざかっていった。
最後に見たのは、自分を見下ろす、感情のない岩崎の顔だった。
気を失った小島を、岩崎は抱え上げた。
まるで、羽のように軽い、その体。
岩崎の顔に、僅かに苦悩の色が浮かんだ。
「…こうなってしまったら、仕方がない」
岩崎は、誰にともなく、しかし自らに言い聞かせるように呟いた。
小島が自ら危険な場所に踏み込んできた。
このまま放っておけば、『支配派』に捕まるか、あるいはもっと危険な状況に陥るだろう。
彼を『浄化派』の管理下に置き、真実から遠ざける。
それが、今の岩崎にできる、唯一のことだった。
気を失った小島光太を抱きかかえ、岩崎剛は闇の中へと消えていった。
時を同じくして。
「小島君…どこ行っちゃったんだろう…」
街を彷徨う田中健一と加藤莉子。
彼のスマートフォンは、依然として圏外のままだった。
不穏な空気が、彼らの心を覆う。
小島が姿を消したこと。
それは、彼らの平凡な日常が完全に終わりを告げ、
物語が、そして彼らの運命が、「アンダーグラウンドコード」の深淵へと、決定的に動き出したことを意味していた。
そして、彼らはまだ知らない。
小島光太という男が、今、誰の手に落ちたのか。
そして、彼を待ち受ける運命が、どれほど残酷なものなのかを。