陸 武鬼
◆20:00頃投稿していきます。
遅くなりました!
乾いた空気と赤い大地。人知れず行われた古の研究。
“楽園”とは、ワシウとは打って変わる山脈の集落にあった。
「鬼、怖くないの?ほんとは行きたくなかったんじゃない?」
アマハはエンキに話しかける。
「鬼を恐れてなどいない。
それに、仇を討つ覚悟はできている。この右腕に誓ってな」
アマハはつまらなさそうに視線をヒナの方へと移した。
シロがいないと、普段よりひとまわり小さく映る。
ヒナは半身を失ったような喪失感に押しつぶされていた。
それに重ね、ウルシの一件が目の奥に焼きついて離れようとしない。
……心の底から、傷ついていた。
「大丈夫であろうか、ヒナ殿……」
「んなこと言ったって、あのでかいふわふわ担いでくわけにもいかなかっただろ?
おれはああいうの見てるとどうにもイラッとする質なんだ。あんた声かけてやれよ」
アマハに背を押され、つんのめりながらもしぶしぶヒナの隣に座るエンキ。
……話すことがない。
何度声をかけようとしても、言葉になって口から出ることはなかった。
「エンキ殿」
先に口火を切ったのはヒナの方だった。
驚いたエンキは、咄嗟に背筋を伸ばした。
「私が弱気じゃだめだよな、私が頑張らなくちゃ。
シロを元に戻して、鬼たちの悪行を食い止めて、
宝剣を取り戻す……それまでは、私が頑張らなくちゃ」
「ヒナ殿……シロ殿ほどは頼りにならないかもしれぬが……あまり気負いすぎるでない」
ヒナはそれでも涙ひとつ流さなかった。
笑顔のヒナを見るのが、エンキには耐えられなかった。
三日ほど歩き続けると、エンキの故郷が見えてきた。
昨日まで人が住んでいたかのような家々に、あの傷痕がいくつも刻まれている。
一軒一軒覗いてまわったが、当然のことながら誰もいない。
「こりゃあひどい。あんたも大変だったんだな」
アマハは閑散とした民家を見ながら言った。
「人がいない方がまだよい。
あの日ここには、数えきれないほどの亡骸が山積みにされていた」
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在りし日のエンキは妻と子供といつものように暮らしていた。
何の変哲もない一日を、いつものように終える。
……そう、誰もが思っていた。
『鬼だー!鬼が攻めてきたぞーッ!』
外から聞こえる村人の声。
悲鳴が悲鳴を呼び、そしてひとつずつ消えてゆく。
『おまえたちはここに隠れていろ!』
エンキは槍を持って家の外へと飛び出した。
鬼とは人非ざる者である。
額から角を生やし、手には人では操ることのできない大きな武器を持って歩いている。
“人非ざる者”。それなのに、彼らは人と同じように涙を流していた。
エンキは自分の家を狙う鬼に槍を向けて言った。
『妻と子供には、指一本触れさせない……!』
震える腕を必死に従え、鬼めがけて突撃した。
『奇遇だな、私にも妻と子供がいたんだ。人間どもに、殺されるまでは』
鬼はエンキの槍を腕ごと攫っていった。
肘から先が、槍とともに遠くへ放たれた。
エンキは腕を押さえ叫び声をあげた。
『……同じ苦しみを味わうがよい』
鬼はのたうち回るエンキを蹴飛ばし家へと入っていった。
妻と子供の悲鳴が聞こえなくなるまでの間、意識は腕の痛みすら忘れるほどに鮮明だった……。
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「その日我は武鬼の存在を、鬼の襲撃の意味を知ったのだ。
しかし、何の罪もない村人を虐殺した鬼を、理由がどうあれ許すわけにはいかない」
酸鼻な過去を聞かされ、ヒナとアマハは黙り込んでしまった。
「二人とも、なんて顔をしておる!」
エンキは笑って見せるが、作り笑いは意味をなさなかった。
その刹那、遠くの方から爆発音が聞こえた。奥の小屋から煙が出ている。
「誰かいるのか?」
駆け寄ってみると、簾の中に男がひとり倒れていた。
ヒナが起こすと、その者の額には二本の尖った角が生えていた!
アマハは小太刀を構えるが、エンキはそれを慌てて止めた。
「待たれよアマハ殿、彼は……」
唸り声をあげながら、壮年の男がむくりと起きあがる。
ヒビの入った眼鏡をかけ直すと、三人をじっと見つめた。
「失礼」と会釈だけして、何事もなかったかのように作業に戻る。
知り合いなのか?ヒナが問うと、エンキは少し困ったような顔をした。
「僕はマキメ。マッキーとでも呼んでくれ給え。あ、それと客人。
ここに他の人間がいないことは重々承知だろうから僕に用があってやってきたという認識でいいよね?
だったら話が早い。つまるところ僕は今新しい研究で忙しいから、三日ほど待ってくれるとありがたいんだけれど。それと……」
「……マキメ殿、覚えているか?
我が名はエンキ、五金の力を授かった者だ」
エンキが割って入ると、マキメは動きを止めた。
エンキはマキメに診せるため、小手を外した。
うっすらと人の顔にも見えるそれは、何度見ても気味が悪い。
「マキメ殿。エンキ殿の腕はどうなっているんだ?」
ヒナはおぞましい物体から少し視線を外して訊いた。
「なに、眠っているだけだよ。起こしてやればいいのさ。
ただ起こし方を間違えると、取り返しのつかないことになるけど」
マキメは棚から一升瓶を取り出した。
中身は分からないが、なんとも毒々しい色をしていた。
古びた盃にそれをなみなみと注ぐと、エンキの腕にある口(のような部分)に流し込んだ。
アマハは口を覆いうずくまる。ヒナも耐えられず、目を瞑った。
すっかり飲み干したそれは、目(のような部分)を開いた。
腕のそれが、大あくびをする。
エンキにとっても初めてのことなのか、驚いて声をあげた。
「やあやあ、お目覚めかな?」
マキメが腕のそれに声をかける。
「何年ぶりだろうか……宿主も……知らぬ間に立派になったようで」
腕が話している。目は目で、口は口だ。
やはり腕のそれは、顔だったのだ……!
「寝てばっかじゃ脳みそ溶けそうだ。
誰かと話すってのはやはりよいものよ」
狒狒のような顔が笑う。
「神槍はどこだ」と顔に問われ、エンキは慌てて左手で槍を握る。
顔は安堵の表情を浮かべながらゆっくりと目を閉じた。
「社も身体も木っ端微塵。
散々な目に遭っても、俺とこいつが同じ場所にあるのはお主のお陰だ。
用があったらまた声をかけな、じゃあな」
顔は顔のような模様と化した。
そして、腕は元どおりエンキの意思で動くようになったのだった。
「ああよかった、思っていたより従順だった。
宿主の君がいい人だったからだね」
一人合点で頷くマキメに、ヒナは薬について聞いた。
「マキメ殿、その薬は誰にでも効果があるのか?」
「……というと?」
「腕ではないのだが、おそらく同じ原因で眠ったままの仲間がいるんだ。
それを使えば、彼もまた目覚めるのではないかと思って……」
「起こし方を間違えなければね」
「起こし方?」
「うん。寝起きの機嫌を損ねなければこんな感じでうまくいく」
適当な説明に不安を抱きつつも、ヒナはマキメにその薬を分けてもらうことにした。
これでシロを眠りから覚ましてやれる……ヒナの目に、光が戻った。
「ありがとうマキメ殿!」
「薬が役に立つことを祈っているよ。
武鬼のことで何かあったらまたおいで」
ヒナは薬を懐にしまうと、小屋を出ようとした。
すると、アマハはマキメを指さして言った。
「おい、ちょっと待てよ。こいつ鬼なんだろ?
なんでひとりでこんなとこに暮らしてて、しかもすんなり協力してくれるわけ?
人見つけたら殺すのが鬼なんじゃないのか?」
「そうか、坊やぐらいの子たちにはそう教育されちゃってるよね……うんうん」
マキメは自分の角に触れながら言った。
ヒトと鬼とが隔てられてから育った世代。
無理もない。鬼と悪とが結びつくよう言い伝えてきたのは、“そのとき”を生きたヒトなのだから。
マキメは眼鏡の位置を整えながら続けた。
「僕は鬼だとかヒトだとかいうのにさして興味がない。
ただ最強の兵器を作ろうとしたのがヒトで、その材料が鬼だった……それだけ。
結局、誰もいなくなってしまったけどね」
マキメはアマハの頭をぽん、と撫でた。
「鬼が人間を殺したことも、事実だもの」
アマハはマキメの手を振り払って俯く。
「あんたはそんなんでいいのかよ」
「言ったでしょう?鬼だとかヒトだとかいうのに、興味ないって」
マキメ
蔑称“楽園”で暮らしている研究者の鬼。
人と鬼の闘争を中立の立場で見守っている。
アカガネ
エンキの腕に寄生する武鬼。
蔑称“楽園”
エンキの故郷。
現在はマキメがひとりで暮らしている。