肆 ウルシ
◆20:00頃投稿していきます。
遅くなりました!
ワシウの領主メオウは黒髪の男をひとり連れ、一等室へ入ってきた。
「あら領主様、今夜はお一人ではないのですね」
「今日は家来のウルシも連れて参った。
そなたの美貌を、彼にも見せたくてな」
「お上手ですこと」
楽しそうに会話をしているメオウと雉姫。
ヒナは雉姫が早まらないか懸念していたが、雉姫はつんと澄まして笑っていた。
周りを見渡していると、メオウの横に控えているウルシと目が合った。
「こんばんは、初めまして」
外見も態度もいかついメオウと違い、痩躯で物腰も柔らかい男のようだ。
「君の名前は?」
「し、白酒でございます」
するとウルシは突然ヒナの肩をそっと撫でた。
初めての出来事、初めての感情。
耳のあたりがこそばゆい。訳が分からなくなってきた。
これも雉姫の化粧の賜物なのだろうか?
「白酒は新入りかな?初々しくて結構だ」
ヒナは作戦実行の合図を聞き漏らすまいと気を張り続けた。
雉姫たちの楽しそうな会話はやむことを知らない。
「ところで領主様。
近頃このあたりにも鬼が出るというではありませんか」
雉姫がそれとなく本題に寄せる。
「ああ、だが案ずるな。
ワシウに鬼は来ない。なんといっても、儂の町だからな」
「頼もしいですわ、領主様。
でも、どうしてここには鬼が来ないのですか?」
「おなごは知識などつけなくてもよい。
そなたはこうして儂が守ってやる」
メオウの逞しい腕が、雉姫の腰にまわる。
ヒナは雉姫が心配で見ていられない。
雉姫は首を振って、メオウの顔を覗き込んだ。
「そんなこと仰らないでくださいまし。
雉姫は領主様のすべてを知り尽くしとうございます」
うまくいきそうだ、とほっと息をつく。
ヒナは自分にも話し相手がいることをすっかり忘れていた。
……ウルシに声をかけられるまでは。
「わかった、ああいう風にしてほしいんだ?」
隣に座っているウルシにさっと抱き寄せられ、ヒナはびくりと震えた。
「メオウ様はあのようにおっしゃるが、私はそうは思わない。
ひとつひとつ、じっくりと、一緒に暴いていくのがたまらない。
君もそう思わないかい?」
なんとも気味の悪いことをのたまう男である。
ヒナは引きつる口角を精一杯上げて見せた。
「わたくし、聞いたことがありますの。
美しい娘は鬼に連れて行かれてしまうと」
雉姫はというと……よかった、順調に話を進めているみたいだ。
「鬼に美はわからん。やつらは何でも殺す、それだけだ」
「わたくしもいつか喰われてしまうのではと怖くなります。
お殿様が帰られたら……余計に」
「ならば今夜はよく眠れるよう不安を忘れるほどの快楽を与えてやろう」
これはよくない事態になったと察したヒナは、ウルシにある提案をした。
「ええと、その、わたくし剣が強い殿方が好みなのでございまして。
ウルシ様の剣を振るうお姿、見てみたいですわ」
「へえ、珍しい娘だね。
私も可愛い白酒の剣の舞を見てたいな」
雉姫が先程の“バカ!”という目で見ている。
ヒナは重たい着物を引きずりながら、シロたちが潜んでいる隣部屋に刀を取りにいった。
一等室へ戻ったヒナを見て、その似つかわしくない姿にウルシはぷっと吹き出した。
「まさかとは思うけど、その格好で暴れるつもりじゃないよね」
まったくウルシの言う通りである。
自分で自分のなりを見て、さすがに無理かとこぼした。
再び一等室を出る。向かったのは反対の化粧部屋だ。
事情を聞いた新造が丁寧にヒナの鬘を解いてゆく。
優美な着物を脱ぎ、大急ぎでもとの着物へと着替えた。
……勿体ないことをしてしまったと、ヒナは少しだけ後悔する。
最後に桃色の髪留めでいつもよりも少しきつめに束ね、部屋へ戻った。
「そうこなくっちゃ」
ウルシは長い髪をまとめ、にやりと笑う……そのときであった。
構えかけのヒナの刀が、鉄が磁石に吸い付くようにまっすぐウルシの胸へと向かう。
しっかりと抱きしめられ、生温かいなにかがヒナを包み込む。
ヒナは自由のきかなくなった刀を必死に抜き取ろうとするも、
ウルシの鼓動に合わせて溢れ出る彼の鮮血で手が滑って掴むことすらできない。
「可愛い白酒、どこへも行って欲しくない。
だから君には、しるしを付けておくね」
次いで、大きな音を立てて襖が倒れた。
隣部屋からエンキを振り切ったシロが飛び出してきたのだ。
「……裏切り者……コロす……」
雉姫はシロを止めるため近付こうとしたが、メオウにぐんと腕を引かれた。
「ウルシの血は潜んでいる鬼どもを寄せ付け、そして狂わせるのだ。
お前が怖れていた鬼を見つけられて良かったではないか」
「シロっ」
ヒナはとっさに名前を呼んでしまった。
はっと口を覆うヒナ。すべてがもう遅い。
「雉姫よ、こやつらは刺客なのか?」
「……」
「答えぬか」
「……こいつらじゃねえ。“おれ”が刺客なんだよ、このクソ領主」
雉姫は、メオウの懐から何かを抜き取った。
血にまみれた小太刀を睨みつけ、メオウがうずくまっている。
自身も主も死にかけているというのに、血みどろのウルシは笑っていた。
そう。ウルシの傷はとうに塞がっていたのだ。
ウルシが触れたメオウの傷も、見る見るうちに癒えてゆく。
「シロと呼ばれた君、君のせいでせっかくの白酒との時間が台無しだ」
ヒナは事態に驚いて身体が動かない。
助太刀を試みるエンキもなぜだかうまく動けずにいる。
傷が完治するだなんて、聞いていない。
奇襲に失敗した雉姫は、メオウに腕を引かれ畳に叩きつけられた。
乱れた髪がはらりと垂れ下がる。
「思い出したぞ姫岸ミソラ。
……ああ、それはお前の妹だったな」
メオウは奪った小太刀を雉姫の眉間に突き立てた。
「お前の妹を想う気持ちを称えて良いことを教えよう。
真の美とは、美そのものではなく唯一性。
二つ有ってはどちらの魅力をも損なう。
……楽しませてもらったぞ、姫岸アマハ」
部屋いっぱいに雉姫の悲鳴が響き渡る。
雉姫を蹴飛ばし、メオウは小太刀の物打ちを舐った。
一方シロは、自制の利かない体で闇雲にウルシを襲う。
「ヒナに……触るな」
「うるさい犬め」
ウルシは自分の手首を掻き切ると、その血にふっと息を吹きかけた。
血液が、たくさんの紅い蝶となってシロのもとへと飛んでゆく。
「君にはこの美しい蝶をあげよう」
まとわりつく蝶たちがシロに取り込まれてゆく。
振り払ったところで意味もなくシロの身体へと溶けていった。
シロは咆哮だけを残し、そのまま倒れて動かなくなった。
「白酒……いや、ヒナ。君にはこれを」
ウルシはヒナの腕をきつく掴む。
そのまま抱き寄せ、乱暴に唇を重ね合わせた。
もがく力さえなく、ヒナはただただ涙を流した。
「今度会うときは、ふたりきりの時を過ごそうね」
惨劇は、豪雨と雷鳴に掻き消された……。
姫岸アマハ/きぎし・あまは
雉姫として遊女の振りをしていた青年。
メオウとの戦いで顔に傷を負う。
ウルシ
港町の領主メオウに仕えている男。
血液を使った不思議な術を操る。