参 復讐の遊女
◆20:00頃投稿していきます。
遅くなりました!
鬼の住処“鬼ヶ島”。
鬼ヶ島へ向かうには、分かっているだけで島へと向かう舟と瘴気に打ち勝つ手だてとが必要だ。
それに三人で行くよりも、仲間は多いほうがいい。
一行は、港町“ワシウ”へ向かうことにした。
頬を撫でる風が湿り気を帯びはじめ、鈍色に疼く海が見えてきた。
「賑やかなところだ……ミナギ村とは比べ物にならないな、シロ」
「ヒトが、おおいな」
魑魅魍魎のはびこる世界で人間だけが溢れかえっているというのはむしろ珍しい光景である。
幼い頃から山深い村で過ごしてきたふたりはそわそわと落ち着きなくしていた。
「夜は治安が悪くなるらしいからな。一層気をつけねばならん」
そう言ってエンキは槍を背負い直す。
旨い食べ物に美しい工芸品、女も猛者も金持ちも全て揃う華やかなこの町は昏い裏の顔を持っていた。
博打に密輸、人身売買と何でもありの、ヒナやシロはもちろんエンキでさえ想像の及ばない世界だ。
町の中を進んでゆくと、路地に人が入っていくのが見えた。
女がひとり、数人の男に引きずり込まれたように見えなくもない。
「なんだか怪しい。シロ、エンキ殿、行ってみよう」
そこには大きな笠をかぶった娘が柄の悪い男たちに囲まれていた。
娘は着物を乱暴に引かれるのを嫌がっている。
「その人を離せ!」
ヒナは娘から男たちの手を払い除けると、その間に割って入った。
男たちは抵抗するでもなくさっさと逃げ帰ってしまった。
「助けていただきありがとうございました」
「礼には及ばないよ。そんなことより、怪我はないか?」
娘は着衣の乱れを整え頷く。
笠を下げ、か細い声で言った。
「これはほんのお礼でございます。では……」
娘はヒナの手に小さな包みを握らせると、足早に去っていった。
その姿が見えなくなった頃、ヒナは渡された包みを開けてみた。
それは景気の良い音を立てながら勢いよくこぼれ落ちた。
「これは……小判じゃないか、しかもこんなにも!」
ほどなく辺りの店は提灯に明かりを灯し始めた。
並んでいるのはどこもかしこも珍妙な店ばかり。ヒナは固唾を飲んだ。
「あらあら!“いけめん”の殿方がおふたりも!
かわいい剣士さんも一緒にいかが?」
美しく着飾った女たちに、一行はあっという間に取り囲まれた。
「シロ、“いけめん”とは何だ?」
「男をほめるとき使うことばだとおもう」
すると……昼間のごろつきたちが提灯の灯った建物へと入ってゆくではないか。
「しっかりしてくれエンキ殿、あの店に昼間のご婦人がいるかもしれないんだ」
ヒナとシロ、そして客引きに手を取られ骨抜きになっているエンキは提灯の店へ入ってみることにしたのであった。
「これだけつぎ込んでもまだご不満かい。
相場は三回目からって聞いたんだ。もうそろそろなんかないと……ねえ?」
一行は店の入り口から中の様子を伺っていた。
「お雉?あの娘は高いわよォ、矜持も、値段も」
店にいた女のひとりがヒナに声をかけた。昼間の娘は名を雉姫というらしい。
雉姫はこの花街きっての遊女と名高く、港町の領主からも指名がある程なのだという。
ヒナには指名だの何だのといったことはよくわからなかったが、とにかくすごいということだけは理解できた。
雉姫に手渡された包みをちらりと見やる。
人が人にいかほどの値を付けているかなど知る由もない。
ヒナはもう、いてもたってもいられなかった。
「……雉姫を」
声をかけてきた遊女に小判を袋ごと全部渡すと、彼女はワッと声をあげて驚いた。
報われない説得を続けているごろつきたちの合間を縫って、遊女は雉姫のもとへ向かった。
「お雉、可憐なお嬢さんからのご指名よ」
雉姫は、ヒナのほうをじっと見つめていた。
用意された部屋は城のような一等室で、煌びやかな装飾と季節の花々、そして古今東西、用途不明の道具が数え切れないくらい置いてあった。
雉姫は路地で出会ったときの憂いを帯びた面持ちでじっと黙っている。
一方シロとエンキは室内の小間物に興味津々だ。男なんてそんなものである。
雉姫が酒の代わりに茶を注ぐ。
手渡された器を受け取ると、ヒナは軽く頭を下げてから口へと運んだ。
沈黙の中、雉姫が口火を切った。
「昼間わたくしを助けたのは、わたくしが金持ちに見えたからでございますか?」
ヒナはいや、と首を振った。
「目の前で困っている人をみすみす放っておくわけにはいかないよ。
先ほどは咄嗟の判断で使い果たしてしまったが、本当は君にあの金を返しに来たんだ」
「優しいお方……そうだ、あなたお名前は?」
「私はヒナ。そしてこちらが、シロとエンキ殿だ」
紹介された二人は、遅れて会釈した。
「……ヒナ様、強くて心優しいあなたにお願いがあるの」
雉姫の突然の切り出しにヒナは狼狽える。
手を握り懸命に訴える雉姫の目があまりにも美しすぎて、ヒナは咄嗟に目を反らせた。
「と、突然どうした?」
「……四年前、妹が鬼除けの人柱として役人に連れて行かれました。
何も知らなかったその頃のわたくしは、彼らの通告を鵜呑みにしました。
ですが、よく考えれば分かることだったのです。
妹をはじめとする拐われた娘たちがどうなったかを知ったとき、わたくしは決意しました。
捕らえた娘たちを売り飛ばしていることはわかっている。
ならばそれに扮して、薄汚い女衒どもを皆殺しにしてやるまで、と」
雉姫の声色が陰る。
「君は彼らを殺すつもりなのか?」
ヒナは慌てて問うた。雉姫は「ええ」とためらうことなく頷いた。
「君の話が確かならば、それは決して許されることではない。
しかし……だからといって人殺しを容認することはできないよ」
「わたくしの討ちたい相手が、鬼たちと関わっていると言ったら?」
雉姫は全てを見透かしたように微笑んだ。
ヒナの必死の説得により、妹の居場所を教える、売られた女たちを解放する、鬼ヶ島へ舟を出す、そのすべてを守ったら彼らの命は助けると雉姫は約束した。
一行は、復讐の遊女雉姫の仇討ちに協力することとなった。
「旦那様は満月の夜に必ずいらっしゃいます。
たとえ月が姿を見せてくれなくとも」
この日、ワシウの空は厚い雲に覆われていた。
ヒナの役目は遊女に化けて今宵やって来る領主メオウを捕えること。
雉姫は化粧道具を取り出すと、器用に化粧を施し始めた。
彼女の手は触れるたびひんやりし、化粧筆は触れなくてもむずむずした。
ヒナは薄目で雉姫を覗き見た。豊かな睫毛、左目の泣きぼくろ。
紅い唇は薄すぎず厚すぎず、端整な顔立ちをより一層際立たせていた。
かぐわしい花のかおりも相まって、ヒナはすっかり雉姫に見惚れてしまっていた。
「もう。私の顔ばっか見てないで。遊女に化けるんだからちょっとは自分を魅せないと」
「……化粧などしたこともないよ」
「大丈夫大丈夫。自信を持って笑っていれば誰だって美しくなれるわ」
「君に言われても……説得力がわかないよ」
「そりゃあ私だって、日々努力してますから」
町一番の美女といえど、年の近い一人の娘である。
ヒナは少しくだけた雉姫の言葉を耳にして、表情を綻ばせた。
「ごらんなさい!とってもきれいじゃない!」
ヒナは雉姫から受け取った手鏡を覗いた。
見たこともない自分の姿に感動し、目を潤めた。
「雉姫……すごい、私、まるで嫁に行くようだ」
「あっバカ、泣いたら化粧が台無しに……!」
はっと我に返り、ヒナは化粧を崩すまいと涙を堪えた。
夕方。花街に明かりが灯りはじめた。
着飾った女たちがはびこり、男たちは店に飲み込まれてゆく。
ヒナは武者震いを抑え、自分は遊女なのだと言い聞かせる。領主メオウは、まだいない。
ヒナと雉姫は一等室で、シロとエンキは襖一枚を隔てた隣部屋でじっと待機していた。
遠くで雷の音がきこえる……雨も降り出したようだ。
「……笑わせんじゃねえよ……」
雨音のおかげで他の誰にも聞こえなかったであろう雉姫の独り言に、ヒナはいやな予感を覚えた。
雉姫/きじひめ
攫われた妹を探している売れっ子遊女。
遊郭で働きながら女衒たちの命を狙う。
メオウ
港町を治める領主。
遊郭の常連で雉姫をかわいがっている。
港町・ワシウ
メオウが治める町。
華やかだが治安はあまりよくない。