最終話 悪役令嬢のその先に2
フィリップス家でのお茶会へと、リリーとシリウスは向かった。今日のお茶会はガーデンパーティーで、青空の下華やかな集いが繰り広げられていた。
リリーは、会場の入り口となっている薔薇のアーチの前で深呼吸をした。目の前には、たくさんの貴族達が談笑する姿が見える。その姿を見ながら、まるで自分の悪口をまた言われているような心持ちになる。背中に嫌な汗が伝ったとき、リリーの手をシリウスが握った。リリーはゆっくり顔を上げた。
「大丈夫だ。俺がいる。それに、駄目ならすぐに帰れば良い」
そう言って、シリウスは口元を緩める。リリーはそんなシリウスを見つめながら、ゆっくりと微笑む。そして、ありがとう、と呟く。シリウスの言葉に、リリーはまた深呼吸をすると、意を決して会場に足を踏み入れた。
リリーの登場に、参加者たちは一瞬で視線をそちらに集中させた。リリーは、意気込んだはずなのに怯んでしまう。しかし、シリウスはしっかりとリリーの手をつないだまま、堂々と会場を歩く。そんなシリウスを見あげながら、リリーも一緒に隣を歩く。歩くうちに、大丈夫だ、とリリーは思えた。この人の隣なら、歩けるのだ、と。
「リリー」
懐かしい、けれど聞こえるはずのない声がした。リリーははっと息を呑んで声の方を見た。そこには、カトレアがいた。
「か、カトレア…」
「あなた…」
カトレアはリリーのそばに歩いてきた。そして、眼鏡の奥の瞳を少しずつ涙でにじませていく。
「…何があったのか、あなたが言いたくないのなら聞かない。でも私はいつでも、いくらでもあなたの話を聞く準備がある」
「…カトレア、私、…私あなたに、謝らなくちゃって…ずっと、…あなたに会えたら、謝りたいって、…でも、会えるはずはないんだって、私…」
「何言ってるのよ、私はね、あなたと話したい本の話が、何十冊分もあるんですから」
「…カトレア」
リリーは、カトレアに抱きついた。小柄なカトレアはリリーにすっぽり埋まってしまい、苦しいわよ、と笑いながらカトレアがリリーの背中を撫でた。
シリウスが、少し席を外すと言ってリリーとカトレアを二人きりにしてくれた。リリーはカトレアと、また目を合わせて、そして微笑んだ。
「シリウスと結婚するんですって?おめでとう」
「ありがとう。…あんなことがあったのに、カトレアとまたこんな話ができて…。」
「もう、いつまで言ってるのよ」
カトレアはそう言ってリリーの肩を叩く。リリーはそんなカトレアに微笑みながら目に涙がにじむ。
「そうそう、私、結婚したのよ」
「えっ?そうなの?本当におめでとう!」
「ありがとう。今の私の夫は私の演劇祭の脚本を見て私のことが気に入ったみたいなのよ。その人が劇団を持ってる人でね、そこの脚本を書いてるの。私の書く脚本がすごく好きみたいでね、いつもここが良かったとか、この人はなんでこんなことを言ったのかとかすごく話してくるの。だから話を考えるのも大変で大変で…。まあでも、結構充実してるんだから」
カトレアの幸せそうな表情に、リリーはつられて頬が緩む。自分のあずかり知らないところでも、大切な人は幸せになっていく。自分なんかの力はごくわずかで、それなのに、自分なら他人を幸せにできるなんて、あまりにも奢っていたのかもしれない。こうやって、人はどんどん時間によって変化していくし、そのすべてを自分が背負わなくてもいい。そんなことをしなくてもこんな風に、友だちの幸せな顔を見られる。
「ジェーンとケイはどうしているのかしら」
「彼女たちも結婚したわよ。いい奥さんしてるみたいよ2人とも…あ」
カトレアが言葉を止めた。カトレアの視線の先を見ると、ジェーンとケイがこちらに向かっていた。カトレアが、こっちよ、と二人に手を振る。
「リリー」
「ああリリー、よかった」
二人はこちらに来ると、それぞれがリリーの手を握った。そして、眉を悲しそうにひそめてリリーの方をまっすぐに見つめた。
「リリー聞いたわよ、あの豹変の理由を」
「ええ私も聞いたわ」
「アリサがあんまりにも意地が悪い人だったから、その性根を叩き直すためにあんなことをしていたのよね?」
「え?」
「私が聞いたのは、ルーク様が王子様って知っていたリリーが、アリサが隣国に嫁ぐのが寂しくてそれを阻止するためにあんなことをしてたって…」
「え?」
リリーは交互に彼女たちを見た。彼女たちはお互いの顔を見ながら首を傾げる。カトレアが、あら、と声を漏らす。
「噂が色々回ってるみたいね」
「私が聞いた噂とも違うみたいだわ」
ぬっ、とカトレアの背後からサーシャが現れた。リリーとジェーンとケイが、体をビクリと震わせる。
「あらサーシャ。結婚するのは一旦やめて、世界中を旅してジャーナリズムについて考える、って聞いていたけれど」
「そうよ。でも、あのマークからの招待だから慌てて参加したのよ。今日はきっと何かある、そうに違いないもの」
「なにか?」
「だって、あのフィリップス家の高貴な集まりに私たちクラスの貴族は普通なら呼ばれない。だからきっと、何かあるに違いないわ…!」
サーシャがそう息巻く。リリーは、同学年だったよしみかしら、と首を傾げるケイを見ながら、少し黙る。
「(…そっか、もしかしてマーク、私と彼女たちを会わせてあげようと…)」
ますますマークのことがわからなくなったリリーの隣にいたカトレアが、サーシャに話しかけた。
「そうそうサーシャ、あなたの聞いた噂っていうのは何?」
「ああ私?私はね、」
サーシャが、ふふん!と得意げに鼻を鳴らす。
「あのリリーのヴィランへの豹変は、身分の差によってシリウスとは結ばれないと悟ったリリーが、狂人を演じることで評判を落とし、婚姻の話を来なくさせて、そうしてシリウスと結婚するためよ」
それを聞いた4人はサーシャを見ながら固まる。サーシャはそんな空気には気が付かずに話し続ける。
「あの演劇祭でのリリーとシリウスはもはや伝説ですもの。あの2人なら結ばれて然るべきのはずなのに、身分の差がそれを許さない。だからあなたは悪役になった。そうよね?」
「…それはどうかしら」
「かなり無茶のような…」
苦笑いをするジェーンとケイに、カトレアが、あなたたちの噂も似たようなものよ、と答える。サーシャが、ええっ、と不服そうに唇をとがらせる。
「なんでみんなしっくりこないの?私、もうこの話を少なくとも100人くらいには流しちゃったわよ」
「ジャーナリズムを考える旅行の成果はまだ出てないみたいね。…まあ、本人がいるんだから正解を聞いたらどう?」
カトレアの言葉に、4人の視線が集まる。リリーは全員の顔を順番に見ながら、ご想像におまかせします、と苦笑いを漏らした。そんなリリーに、なあにそれ!と皆が笑った。
「…でも私、またみんなとこんなふうに話せて、…あんなことがあって、私、謝りたくて、でも、あんなことをしてしまったから、もうみんなとは会えないって思ってたから、…こんなに幸せなことになれるなんて、私、夢みたいで…」
そう言って涙ぐむリリーの背中を、ぽんとカトレアが、叩く。ジェーンとケイも、優しく背中をなでる。
「もう、泣かないで」
「そうよ、私たちだって、あなたとずっと会いたかったのよ」
「…ジェーン、ケイ…。私本当に、幸運だって、本当に思うわ」
「運じゃないわ。あなたがこれまで積み重ねてきたものを見てきたから、私たちはあなたを信用したのよ」
カトレアがそう言って笑う。リリーはそんなカトレアに、また目に涙が浮かぶ。
「そうよ。私が同じ事してもこんなふうにはならないんだから」
そういうサーシャに、確かに、とジェーンが苦笑いをこぼす。そうやって自分で言えるところがあなたの良いところよ、とカトレアが冷静に分析する。そんな様子を見て、リリーとケイはくすくす笑う。
「あれ、盛り上がってるね」
「俺たちも交ぜてもらおうかな」
また聞き覚えのある声がしてリリーが振り向くと、オクトー公爵家のツインズ、ルイとレンがいた。リリーは、あっ、と声を漏らす。
「あなたたち…」
「元気になったみたいでよかったね」
「これでも心配してたんだよ俺たち」
「ねー、君のことを心配して夜しか眠れなかったよね」
「昼寝もしたかな」
「…それはどうも、ご心配をおかけしました」
リリーは苦笑いを漏らす。突然の双子の登場に、他の3人が驚いた顔をする。そんな彼女たちを見たリリーが、顔をしかめて双子の方を見た。
「あの、今久しぶりに友達と話しているんです。後にして頂いてもいいですか?」
「えー、つめたー」
「そんな冷たくしないでよ。姉妹そろって心がないなあ」
レンの言葉に、リリーは、え、と声を漏らす。
「姉妹揃ってって、…アリサがどうかしたの?」
「あれ、知らない?アリサ様、ルーク様と結婚してわりとすぐ、あんまりにも王家の資産を食いつぶすものだから、王家に総スカンくらって、今は追い出されてエドモンド侯爵家に戻されてるらしいよ」
「ルーク様もルーク様で、アリサ様が良く考えたらそんなに好みの顔じゃないからって、結婚して早々アリサに冷ややかな態度とってたみたいだし、追い出されたアリサ様のこと庇いもせずにいるんだって」
「ねー、王家だからやすやすと離婚なんかできないのにどうするのかな?」
「ねー。まあ俺たちの知ったこっちゃないけど」
ルイとレンが、ねー、と顔を見合わせて言う。リリーは、そうなんだ…、と呟く。
リリーは、1度目の人生でアリサとルークが抱き合っていたシーンを思い出す。あれは多分、リリーと王弟との婚約が決まったのを契機に、ここぞとばかりにルークにアピールをしていた場面だったのだろう。彼女の計算高さと腹黒さにリリーはため息をつく。彼女に騙されていたうちの一人が自分でもあるから、ため息が重くなる。
アリサへの罪滅ぼしにと1度目の人生と同じようになるように奔走したけれど、結果アリサとルークには悪い結果になってしまっただろうか。リリーはぽつりと考える。しかし、いいえ、とリリーは頭を振る。これ以上私が背負うことではない。これは1度目の人生の彼らが望んだ未来だし、彼らは多分、これから彼らなりの幸せを見つけていくのだ。そこにリリーが関与する必要はない。
「なるほど、隣国のスキャンダルね…」
サーシャが、目を輝かせて双子の話を聞いていた。2人は、あっ、と声を漏らす。
「これもしかして、余計なこと言った?」
「またお父様に怒られるかな」
「かもね」
「あらま」
双子は悪びれずにそう言う。サーシャは良いことを聞いた!という顔をして、それじゃ!と言ってこの輪から去って、別の貴族の輪に入っていってしまった。カトレアはサーシャの背中を見つめながら、あら、と呟いた。
「これは秒で広がるわね」
「俺たちしーらない」
「退散しーよう」
悪びれない双子はそそくさとこの場から逃げてしまった。その背中を、リリーは苦笑いしながら見つめる。
しばらく三人で話していたけれど、ジェーンとケイは、それぞれの夫が迎えに来たため、輪から離れていった。そのため、それからはリリーとカトレアの二人で話していた。モニカも結婚して幸せに暮らしていること、エリックはモモにプロポーズしたけれど振られてしまったことなど、しばらく家に閉じこもっていたリリーの知らなかったさまざまな話をしていたけれど、カトレアも自身の夫が遠くで彼女を探しているのがみえたため、そろそろ行くわね、とリリーに言った。
「シリウスはすぐ見つかりそう?一緒に探しましょうか」
「大丈夫よ、ありがとう」
「…やっぱり一緒に探すわ。あなたを一人にするの、なんだか心配だから」
「ありがとう、本当にだいじょう、」
「リリー…」
また聞き覚えのある声がした。リリーは、ぎくりとしたあと、ゆっくり振り向いた。そこにはなんと、ルークがいた。相変わらずこの国では目立つ青い髪に青い瞳、そしてその端正な顔立ちに周囲はルークを振り返る。その非凡な容姿と佇まいに頬を赤く染める御婦人も少なくない。しかも、あの一件から隣国の王家の人間だとこの国の貴族社会に広まったからか、周りのルークへの関心は以前にもまして高まっているようである。
リリーは目を丸くしてルークを見上げる。あの日の出来事がフラッシュバックしてめまいを起こしそうになる。
「る、ルーク…」
「あんなことしておいてよく話しかけられるわね」
リリーの横にいたカトレアがぼやく。ルークは、周りの視線を一切気にする様子もなく、リリーの方に真っ直ぐに歩いてきた。そんなルークにリリーは一歩後ずさる。しかしルークはそんなリリーの様子などお構い無しに、リリーの目の前に来た。そして、じっとリリーの顔を見た。以前の美しさを取り戻し、更に、シリウスとの結婚が決まったことや、母やテラー子爵夫妻、アンナたち心許せる使用人たちとの穏やかな日々を経て、憑き物が落ちたようにすっきりとしたリリーの姿は、彼女の見た目からくるものとはまた違う、内面からの美しさも醸し出ていた。
周囲の貴族たちは、リリーとルークが向かい合う姿にざわつく。以前の出来事があったにも関わらず2人で向かい合う姿に違和感を感じるものもいれば、浮世離れした美しさを持つ2人の絵に感嘆を漏らすものもいた。
ルークは、以前にも増して人目を引く美しさを持つリリーに目を奪われた後、切なそうに眉をひそめて微笑んだ。
「…相変わらず綺麗だね、君は」
「え、ええ、ありが、…とう」
「…前はすまなかった。君に酷いことをした」
「酷いっていうか、悪趣味だったわよ」
隣のカトレアが、グラスに入ったジュースを飲みながら野次を入れる。リリーは心の中で、一応隣国の王子だから、とカトレアへ念を送る。
ルークは周りのざわめきや、カトレアの茶々など一切気にせず、リリーだけをまっすぐに見つめる。
「俺が君のことを誤解していたんだ」
「はあ…誤解?誤解…とは?」
「君は俺とアリサの結婚を阻止しようとしてくれていたんだよね?」
「え?」
「アリサの本性を知っていた君が、俺がアリサに惹かれないようにって、そうしてくれてたんだろ。…君の気持ちを知らなかったとは言え、君を裏切ってしまった。…君が俺を大切に思ってくれて、そうしてくれていたんだって、気がつくのに時間がかかりすぎてしまったよ。本当にごめん」
ルークはそう言って、リリーの手を取った。リリーは呆れすぎて何も言えなくなる。カトレアが、すごいわね、脚本家になれそう、とルークへ皮肉の拍手を送る。カトレアの横にはいつの間にか彼女の夫もおり、カトレアといっしょに2人のやりとりを興味深そうに傍観している。カトレアたちだけではなく周囲の貴族たちも、あの大国の王子ルークと悪女リリーとのやり取りに目が釘付けになっている。
「(…というか、アリサと別居状態になったのはアリサの本性にも呆れただろうけど、アリサの顔がタイプじゃないとかいうめちゃくちゃな理由も大きいんでしょうがこの男…。何アリサだけのせいにしてるのよ…)」
「君の気持ちを知ってから、…君とのことを思い出していた。君はいつも俺に優しかった」
「え、そ、そうだったかしら?」
「その笑顔が忘れられないんだ。君さえよければ、」
「俺の妻に何か御用でも」
リリーの手をつかむルークの手を、シリウスが払った。シリウスはリリーの前に立ち、ルークとリリーの間の壁になった。リリーはシリウスの大きな背中を見上げる。8歳の誕生日の時に見た背中を思い出す。あの時は大きく見えたけれど、今と比べるととても小さかった、とリリーは心の中でそんな事を思い出す。シリウスはルークの顔を確認すると、ああ、と声を漏らした。
「あなたは、アグラス国の王子ではありませんか。以前は私の妻が大変な無礼を働き申し訳ありませんでした。こうやって言葉をかわすことさえ憚られるほどです。もう二度と、王子の前に顔は見せません。失礼致します」
シリウスはルークにそう言うと、リリーの肩を抱いてルークに背を向けて歩き出してしまった。ルークは、こういう風に言われては何も言うことができず、悔しそうに去る背中を見つめるだけである。
リリーは、シリウスに連れられて歩きながら、どんどん頬を赤く染めていく。シリウスのことが好きだと、そんな気持ちが溢れてくる。
「…ルークの方に行きたかったか」
シリウスの言葉に、リリーは、へっ、と驚きすぎて声が裏返る。シリウスは、バツが悪そうに視線をそらしている。恐らく、これから始まる裕福とは言えない2人の暮らしが後ろめたいのだろうか。リリーはそんなシリウスを見つめて、いいえ!と力強く否定する。リリーの言葉に、シリウスは立ち止まりリリーの方を見た。
「あと数秒あなたが来るのが遅かったら、私が手を払っていたくらいよ。あなたのおかげで隣国にまた喧嘩を売らずに済んだわ」
「…またって…」
リリーのブラックジョークに苦笑いをするシリウス。しかし、ゆっくりリリーの方を見つめて微笑む。リリーがシリウスの瞳を見ようとしたとき、ふと、目の前に誰かが立っているのが見えた。そこには、マークがいた。マークは、さきほどのルークとのやり取りを見ていたのがわかるような、今にも笑い出しそうな顔をしてそこに立っていた。
「やあ、2人とも、来てくれてありがとう〜」
「マーク。招待ありがとう」
シリウスがマークにそう言うと、マークは朗らかに笑う。
「結婚おめでとう〜。2人のことずっと見てたから、自分のことのようにうれしいよ〜」
「(本心はどっち?学生時代助けられたことは何度もあったけど、どっち、どっち?)」
「あっ、そのドレスは僕が贈ったものだね〜。着てくれてうれしいよ〜」
「…素敵なドレスをありがとう。まるでシリウスと結婚することを読んでいたような贈り物に驚いたわ」
「あれ〜、君たちの結婚が決まってから贈ってなかったかな〜?」
とぼけるマークに、リリーは、読めないこの男は本当に…、と慄く。マークはそうそう、とぱんと手を叩く。
「君たちに来てもらったのはね、話がしたかったからなんだ〜。シリウスに話があるんだけど、リリーにも聞いてもらおうかなあ」
「俺に?」
「うん〜。部屋に案内するからこっちに来て〜」
マークに促されるまま、リリーとシリウスは部屋へ向かった。




