22 待ちわびた瞬間4
リリーと王弟クリフとの婚約が決まった。リリーが再来月に18歳になるのを待って、正式に結婚をする運びとなった。
リリーは何度も王弟クリフと会うことになった。リリーのことをずいぶん気に入ったクリフが、リリーに会いたいと言って聞かなかったようだった。
会食の際は、必ずエドモンド侯爵が同席していたけれど、少しでもエドモンド侯爵が席を外せば、クリフはリリーに触れてきた。リリーにはそれを断る選択肢はなかった。
ある時に、エドモンド侯爵もクリフの下心をわかってわざと席を外して2人きりにするタイミングを作っているのだとリリーは悟った。自分は自分としてここにいるのではなく、ただの若くて美しい女としてしか存在していないのだと思えば、更にリリーの感情が失われていった。
リリーが王弟と結婚することが決まってから、母はいつもエドモンド侯爵に、こんな話は破談にしてほしいと泣きついていた。エドモンド侯爵がそんな妻の言葉に耳を貸すはずはなかった。それでも諦めずに懇願する母のことを、エドモンド侯爵は次第に疎ましく思うようになっていった。
リリーの結婚についての話が進む間、アリサは順調にルークとの愛を育んでいるようだった。リリーはそんなアリサを見ることだけが生きる喜びだと思うようになっていた。
リリーの結婚式を来月に控えたある日、マークから贈り物が届いた。そこには手紙も付いていた。リリーが手紙を開くとマークの字で、パーティーでドレスを汚してしまったことのお詫びであることと、よければいつかこれを着てほしい、ということが簡単に書かれていた。贈り物の包みを開けると、そこには一着のドレスが入っていた。
「(…この色…)」
ドレスを両手で広げながら、リリーは胸が締め付けられるのを感じた。リリーと一緒にドレスを見ていた、一番リリーの世話をしてくれる使用人が、まあっ、と感嘆の声を漏らした。
「なんて素敵なドレスでしょう!フィリップス家の方は服のセンスまで素晴らしいんですね…!」
「…そうね」
リリーは、使用人に気持ちを悟られないように笑顔を作る。
このドレスの色。きれいな青緑色のそのドレスは、リリーの大好きなテラー子爵家の湖の色と同じであり、そしてシリウスの瞳の色と一緒だった。
「(…この前、マークに言い返すようなことをしてしまったから、こんな嫌がらせをしてきたのかしら)」
リリーは内心苦々しい気持ちでマークのことを思い出す。こんな癖のある人が甥っ子になるのかと思うと先が思いやられる。
「(…甥っ子とチクチク言い合う人生も、まあ悪くないのかな。あんな人のお嫁だけれど、王族に入るわけだから、生活には困らない。…いや、王族のしがらみによってがんじがらめになって、生活していくのに困ることもあるか…。いやでも、クリフは次期王の第1候補。順当に行けば私は将来的に王女になれる。破格の大出世じゃない、そうよ、そう、幸せになれるわよ…幸せに…)」
リリーは、はあ、とため息をつきながらも、自分が考え抜いた選択肢で辿り着いた人生だと、そう思い直す。この選択肢を後悔させない未来に自分がすればいいのだと、リリーはそう考える。
「(それに、アリサがルークと結婚できるのなら、それだけでもう良いんだから)」
リリーは、恐らくもうすぐ開かれるであろうルークからの招待状を待ち遠しく思った。
マークからドレスが届いた日から数日後に、リリーのもとにオクトー公爵家からパーティーの招待状が届いた。
リリーは、パーティーの準備をいつもの使用人とともに始めた。ふと、マークから届いたドレスのことを思い出した。その色がリリーには毒で、ドレッサーには飾らずに箱に入れたままクローゼットの奥に隠しておいたのだ。
「(…いや、止めておこう)」
リリーは、そのドレスを引っ張り出すことはやめて、他のドレスを探した。すると、最初の人生で着た真紅のドレスが目に入った。
「(…このドレスを見るたびに嫌な記憶が蘇ってた。…でも今日でその記憶を塗り替えられる)」
最初の人生で化け物になり、断罪された記憶を、自分のアシストによって成し遂げたアリサの婚約発表を幸せに聞いた記憶に塗り替えよう、リリーはそう思い、そのドレスを着ていくことに決めた。
ルークのパーティーが開かれる前日、リリーはアリサと話をしようかと、アリサの部屋の前で立ち止まった。しかし、いいえ、やめておこう、と考え直した。
「(最後の最後で、二人でいるところを見られて、なにかが漏れたりしたら台無し。最後だからこそ、虐める悪役を徹底しなくては)」
リリーは、アリサの部屋のドア越しに、おめでとう、とアリサに向けて心のなかでつぶやいた。そして、リリーは自分の部屋に戻った。
オクトー公爵家で開かれるパーティーの日がやってきた。リリーは真紅のドレスを着て、会場にたどり着いた。もちろん、アリサとは一緒にきていない。
オクトー公爵家のパーティー会場は、とても豪華だった。有力貴族ばかりが参加しており、その中に学校時代の同級生たちの姿があった。そこにモニカやシリウスの姿はなかった。
王弟の婚約者であるリリーは、悪女と噂されていたころとはうってかわって、ひどく丁重に参加する貴族たちから扱われた。しかし、リリーの前ではひどく下手に出る貴族たちも、リリーから離れれば、家のためにあんな男に嫁がされるなんて哀れな女だと陰口を叩いた。
リリーは、そんな視線をものともせずに立っていた。カトレアたち見知った顔を見かけたけれど、リリーは近づきもしなかった。ただ、今から聞かされるであろうアリサの婚約発表だけをリリーは聞きに来たのだから。
しばらくすると、ルークがやってきた。ルークのお付のものが、ルークに注目するように周囲に促した。参加者たちは、何事かとルークの方を見た。リリーは、ようやく来たと、そう思った。
「実は私は、隣国アグラス国の王子だったのです。跡継ぎ争いが起こっていたので、危険から身を守るため、このオクトー公爵家に世話になっていました。それも一段落して、私が次期王となる話もまとまったため、来週には母国に帰ることになったのです」
ルークの突然の告白に、会場がざわついた。アグラス国といえば、大国であるから、ルークがそんな国の王子であったことに周囲は驚きを隠せないようだった。ルークは、帰る前に世話になった人たち、そして同級生たちに挨拶がしたくてこの場を設けたということを説明した。
「そして、帰るのは私一人ではありません」
ルークはそう言うと、誰かを手招きした。それに呼ばれてルークの隣に立った女性は、美しくドレスアップしたアリサだった。アリサは頬を染めて、幸せそうにルークの手を取っていた。
リリーは、その光景に胸が震えるほどに感動した。
「彼女、アリサ・エドモンドと私ルーク・アグラスは、婚約して、2人でいっしょに国へ帰ります」
ルークの突然の発表に、周囲は更にどよめく。リリーは、やったと、心のなかで叫んだ。
この瞬間のために、今日までやってきた。リリーは嬉しさの余り泣きたくなるけれど、悪役としてそれは違うと思い必死で堪える。
報われた。
リリーは、体の力が抜けるのを感じた。私はこの日のために今日まで頑張ってきた。アリサにとっては、こうなることが当然であり、リリーにはアリサとルークを結婚させる義務があったから、そうなることが必然ではあった。けれどリリーは今だけは、頑張った自分を褒めてあげたいと、そう思った。
「(これでやっと、自分の人生を生きられる。…王弟と結婚することにはなったけれど、それでもいい、その中でもきっと幸せがある、そうに違いない)」
リリーは、幸せそうにルークと微笑み合うアリサを見つめる。よかったね、本当によかった、幸せになってね、と、直接アリサに伝えられないことがひどくもどかしかったけれど、仕方がなかった。しかし、それでもいい、この光景が見られたのならもう、それで。
リリーが感動に浸る中、ルークの冷めた視線がリリーに刺さった。リリーは、そのルークの表情に見覚えがあり、一瞬固まった。
「(…公開処刑は、ない、はず、だって、アリサにも根回ししたし、だから…)」
リリーは頭の中で混乱する。そんなリリーを置いて、ルークはリリーに向かって話しだした。
「リリー、君は、なぜここにアリサがいるのか、不思議なんだろう」
ルークは、そう言って、アリサと一緒にリリーの前まで歩いてきた。周りの視線がリリーに集まる。リリーは動けないまま、2人を見つめるしかなかった。
「君が、虐め抜き、家に閉じ込めていたアリサがなぜ俺と結婚するのかも、君にはわからないんだろう」
ルークは、怒りを込めた瞳でリリーを見つめる。リリーは、固まったままルークを見上げる。
「(もしかして、もしかして、…悪役に回ったからって調子に乗ってルークにズケズケ言い過ぎたからかしら…!)」
リリーは、溜まりに溜まった鬱憤をルークに晴らしてすっきりした過去が走馬灯のように駆け巡るのを感じた。
「(いいえ、でも、アリサには頼んであったはず…)」
リリーはゆっくりとアリサの方を見た。アリサは、ルークの背中に体を隠して、大きな瞳に涙を浮かべて、お姉様…、と心細そうに呟く。そんなアリサに、リリーは何かを察した。
「(おそらくアリサは止めてくれたけど、この男の成敗したい欲が暴走したのね…そうなのね…?)」
「…君には失望したよ。君がこんなに心の汚い、醜い考えの女性だとは思っていなかった」
ルークのつくため息に、リリーは心の中で青筋を立てる。
「(だからあなたが言うなって言ってるのよ…!というかそもそもなに?こんな大勢の前で人の悪事を晒して辱めるなんてどういう神経していたらできるの?悪趣味なのよほんっとうにっ!!)」
ルークに対しての不満が止まらないリリーを置いて、周りが非難のことばをリリーに投げかける。
なんてひどい女だ。
言われてみれば底意地の悪そうなお顔をされているものね。
王子様の婚約者になんてひどいことを。
自分は王弟に身売りさせられたからって、妹に八つ当たりしてたんじゃない。
結果、妹はアグラス国の次期国王と結婚だなんて、可哀想すぎて笑える。
周りからのリリーを蔑む言葉に、リリーはしかし怯まない。これはアリサのためにしてきたことである。それがうまくいった。それ以上に幸福なことはないし、それを成し遂げられた自分は他の誰に何を言われても良いのだ。
リリーは、またアリサの方を見た。するとアリサは、びくりと体を震わせて、またルークの後ろに隠れた。ルークは、そんなアリサに、俺がいるから大丈夫だよ、と優しく頭をなでる。アリサは、ルーク様…、と不安そうに声を漏らす。
「私、本当に、…お姉様が怖いんです。あの方に何をされるかと思うと…」
アリサの言葉に、リリーは耳を疑った。2人で計画した芝居をしているから出た言葉なのだろうか。しかしなぜかリリーには、アリサがルークに、この姉をなんとか成敗しろと、そうせがんでいるように聞こえた。
アリサの言葉に周りがさらにリリーを非難する。
ルークはリリーを睨みつけると、警備員を呼ぶようにお付きのものに命令した。リリーは、頭が追いつかずに呆然と立ち尽くす。直ぐに呼ばれた警備員がリリーの腕をつかみ、リリーを外へ連行していく。悪人に相応しい最後に、周囲は満足したような顔をする。もちろんルークも。
リリーはすがるような気持ちでアリサの方を見た。リリーが見えたのは、小動物のように震えながらルークの後ろに隠れるアリサが、連れられていくリリーを見て小さくほくそ笑んでいる姿だった。
「…どうして…」
少しずつ状況を理解してきたリリーが、失意の中絞り出すように声を漏らす。どんどん遠くなるアリサに、リリーは手伸ばそうとするけれど、届くはずがない。
「どうして!!」
喉を枯らすほどにリリーは叫ぶけれど、彼女にはもう届かない。リリーは警備員によって会場の外へ連れ出され、そして、締め出されてしまった。
呆然と立ち尽くすリリーは、何が間違えていたの、と自問自答する。混乱のためか何も分からない彼女は、どんどん気が遠くなる。しかし、妖精の声が彼女に聞こえることはなかった。




