22 待ちわびた瞬間1
卒業してからのリリーは、花嫁修業として、家で料理や裁縫などを使用人から習う毎日だった。そして、お茶会や社交パーティーに呼ばれればそれに出かけていった。あんまり目立ちすぎて、今後ある王弟の後妻選びのパーティーのときに目をつけられるのは嫌だったけれど、パーティーに出る姉と、出られない妹という対比をルークに印象付けるために、リリーは社交の場に出るしか無かった。
アリサも家で花嫁修業をしていた。リリーからの妨害により、社交の場にはほとんど出られなかったため、家にほとんどいるようだった。そのアリサのもとに、どうやらリリーの目を盗んでルークが訪れているようだった。ルークは、別の女性の存在を使って自分がアリサのもとへ訪れていることをエドモンド侯爵や母に隠しており、隣国の王子であるルークの徹底ぶりをリリーは感じた。
アリサからは、ときどき周りの目を盗んで、進捗状況を確認しあった。どこからこの芝居が漏れるかわからないので、両親にすら内緒の、二人だけの秘密だったからである。リリーは、二人がうまく言っていることを定期的にアリサから確認すると、これで最後のやりなおし人生はうまくいきそうだと、そう胸を撫で下ろしていた。
エドモンド侯爵は、リリーがアリサに冷たく当たっていることを知っていたけれど、その美しさから様々な上流貴族から婚約の話が上がるリリーには甘い態度をとっており、リリーが機嫌よくいるのならと、リリーの行動には何も言わなかった。
そして、リリーの母は、学校から帰ってきて変わってしまったリリーのことをひどく嘆いた。リリーに冷たく当たられるアリサを可哀想だと涙して、リリーのせいでドレスの用意や、パーティーへ行く準備ができないアリサのために、リリーから隠れて用意をしてあげたりした。母の手助けがあったときだけは、アリサは社交の場に出られていた。
今日は、ハリソン伯爵家が開いたパーティーがある日だった。リリーは当然のようにアリサには参加させなかった。深緑の美しいドレスを身にまとうリリーは、会場に入るなり参加者の視線を集めた。リリーは堂々とした出で立ちで会場を歩く。
ハリソン伯爵家の次男との婚約を父は進めたいらしく、その顔見せも兼ねてのリリーのパーティー参加だった。父からは、この家との婚約の話を考えているのだという話をリリーは事前に聞いていた。
一緒に参加している父は、会場に入るなりリリーを連れてハリソン伯爵を探しだした。父と会場を歩きながら、リリーは周りの参加者たちから噂をされていることに気がつく。リリーの余りの美しさに見惚れる者もいれば、怪訝な顔をしてリリーを見るものもいた。リリーは、そんな群衆にはなれているので、見ないふりをした。
リリーは、同じ学校の生徒だった貴族たちから、少しずつ学校での悪女っぷりの噂を広められていた。妹のことを妬む姉が、妹の恋や自由を不当に妨害している、というふうに噂は流れていた。だから、リリーが顔を知らない貴族たちからも怪訝な顔をされることがあった。しかしそれはもう仕方のないことだと、リリーは飲み込んでいた。アリサの恋を実らせるためにはそれくらいのことは我慢しようとリリーは思っていた。
アリサのいない社交の場では、リリーは悪女として振る舞わなくても良いので、外向きの笑顔と社交性を発揮させた。悪女の噂を知りながらもそんな美しいリリーを見た貴族たちは、もちろんこんな女とは関わらないとする者もいたけれど、こんなに美しいのなら噂など気にしないとする者も多かった。
「お久しぶりです、ハリソン伯爵、お招きいただきありがとうございます」
エドモンド侯爵が、小太りの体型をした初老の男性を見つけると、近づいて声をかけた。ハリソン伯爵と呼ばれたその男性は、エドモンド侯爵の顔を見ると微笑んだ。
「ああ、エドモンド侯爵、本日はご参加いただきありがとうございます」
「素晴らしい会場ですね、楽しませていただいています」
「いやいや。…おや、こちらが噂のご令嬢ですかな」
ハリソン伯爵が、リリーに気が付くと目を細めた。リリーは、はじめまして、と挨拶をする。お辞儀をしてから今一度ハリソン伯爵の目を見て、それからにこりと微笑んでみせた。すると、ハリソン伯爵は、はあ、と感嘆のため息をついた。
「本当に、噂通り美しい…。うちの息子は、ええっと、あっ、こっちだ!」
ハリソン伯爵は、向こうにいた男性を呼び寄せた。ハリソン伯爵に呼ばれた男性はこちらにやってきた。ハリソン伯爵と同じ小太りの体型で、背はリリーより小さかった。リリーは、自分より一回り以上年上の男性が自分の婚約者になるかもしれないという事実に内心震える。
四人で他愛のない話をしばらく続けた。リリーがじっとハリソン伯爵の息子の目を見て話をしていると、それだけで息子はすっかりリリーに心を奪われてしまったようだった。エドモンド侯爵は、その様子に随分ご満悦のようだった。
「そういえば、ご令嬢には最近、妙な噂が回っていますな」
探るようにハリソン伯爵がそう話しだした。するとエドモンド侯爵が、ははは、と笑った。
「ただの噂ですよ」
「はははっ、これだけお美しいと、周りからの嫉妬もあるでしょう。お話していたところ、噂のようには見えませんしな。いやあ、大変失礼いたしました」
ははは、とエドモンド侯爵とハリソン伯爵が笑いあう。リリーはそんな2人を見ながら、笑顔を作ってそこにいた。
「(…アリサのことばかりに気が行ってしまって、自分のことなんて考えられていなかった)」
ハリソン伯爵たちと別れてから、リリーはようやく一人で会場を回れるようになり、ドリンクを手に取りながらそんな事を考えた。
「(このままだったら、お父様に言われるがままの人と結婚しなくてはならない)」
リリーは、うーん、と頭の中で考える。父が探す相手は、本当に家だけが立派で、問題がある人ばかりなのだ。エドモンド侯爵が了承するくらいに家が良くて、素敵な男性は存在しないのだろうか。
「(いそうなものだけれど。…というか、私が探せばいいのか。機会ならいくらでもあるんだから)」
リリーはそう意気込んでみる。誰かいないかと辺りに目線を移す。そのときに、はっと黒髪の男性が目に入って心臓が震える。その人に一瞬目を奪われるけれど、見覚えのない顔の男性で、リリーはがっかりとしてしまう。せっかく奮い立てた誰かを好きになろうという気持ちは急にしぼんでしまった。
リリーは、グラスに映る自分を見つめる。そして、自分で自分に話しかける。わかってる、まだアリサのことが無事に終わらなくては何も考えられないだけ、そうよね、と。
「(そうよ、それだけ、…それだけなんだから)」
リリーは、はあ、とため息をつく。
「(…あれ、そういえば、これまでの経験からしたら私このままだとルークに断罪されるわよね?そういう流れよね?そんなことになったら私、本当に社会的に殺されてしまうんじゃ…)」
リリーは、さーっと顔が青くなるのを感じた。いや、さすがにルークがリリーを大勢の貴族たちの前で断罪するなんて言い出したら、あのアリサなら止めてくれるに決まっている、とリリーは考え直して安堵する。
「(でも一応アリサに頼んでおこうかしら。でもなんて?ルークが私を公開処刑するはずだからとめてね、なんて言えないし…!)」
「自分が美しすぎて、グラスに映る顔まで見てたいの?」
「美人は三日で飽きるなんて嘘だよね」
聞き覚えのある双子の声がして、リリーは恐る恐る振り返る。そこには、オクトー公爵家の双子、ルイとレンがいた。彼らはルークから色々吹き込まれているらしく、それを面白く思った彼らはリリーにちょっかいをかけてくるようになったのである。最初は扱いに困っていたリリーだけれど、最近はまともに相手をするのを止めてしまった。
三白眼の4つの瞳がリリーの方を面白そうに見つめている。リリーは、にこりと微笑みを見せる。
「…ええと、ルークのお兄様たち。ごきげんよう」
「ごきげんよう、リリー」
「悪女っぷりはルークからよく聞いているよ」
「まあ、ひどい。噂を鵜呑みにされているの?」
リリーは、ばっと顔を両手で覆った。しばらく肩を震わせたあと、ゆっくり指の間を広げてそのすき間から乾いた目を覗かせた。双子が、じとーっとリリーの方を見ているのに気が付くと、リリーは無表情のまま手を顔から離す。そんなリリーを見て、また楽しそうに双子は笑う。リリーはそんな双子を見て小さく息を吐くと、それでは、とお辞儀をした。
「私、あなた方とお話するつもりはないの。失礼」
「まってよ、俺らと話そうよ」
「そうそう、こんなパーティーつまんないんだもの」
「私といると、あなた方まで変に噂されますよ」
「別にもともと俺たちにいい噂なんてないしね」
「オクトー公爵家のドラ双子だもんね」
「ねー」
顔を見合わせる2人に、リリーは、まあ確かに、と心の中で呟く。双子が、そういえばさ、と口を開く。
「君の噂はなんだっけ?」
「妹に嫉妬して虐めてるんだって」
「嫉妬?そんなに可愛いの?」
「可愛いらしいよ。俺は顔も思い出せないけど」
「何度かは顔を合わせてるはずなのに思い出せないんだよね、横にいるリリーが可愛すぎるから」
「そうそう大抵の人は霞むよね」
「でもまあルークが好きになるくらいだからめちゃくちゃ可愛いんだろうな」
「あー、ルーク様ってめちゃくちゃ面食いだからね」
「…ルークが面食いなのって、公認なの?」
リリーが双子に尋ねると、双子は口を揃えて、弟とはもうだいぶ長く一緒にいるし、と答えた。
「見てたらわかるよね」
「ルーク様って、父上も面食いだしね」
「てか、ルークって元はリリーのことが好きだったんじゃなかった?」
「そういえば。そのへんどうなったの?」
「もしかして、そのへんがもつれにもつれてアリサを虐めることにしたの?」
「…想像にお任せします」
この双子からいい加減離れよう、そう思っていたリリーの前に、また一人現れた。顔を上げればそこにルークがいた。ルークはあきれたような顔で双子を見ていた。
「兄さんたち、あることないこと言わないで頂けますか?」
「あれ、ルーク」
「やっほールーク」
「もう行きますよ。…この女といると、ろくなことになりませんからね」
ルークは、リリーの方には目もくれずにそういう。双子は顔を見合わせて、それからまたリリーの方を見た。
「この場で仲直りしちゃえば?」
「俺たちが仲介人になってあげるからさ」
ほらほらほら、と、ルイはルークの背中を押し、レンはリリーの手を引いて、2人を向かい合わせた。リリーは目を丸くしてルークを見上げる。ルークも驚いた瞳をしている。リリーは、久しぶりにルークと向かい合って立つことになった。
リリーは、目を一度伏せた。今、悪女を止められるタイミングなのだろうか。今ルークに謝れば、公開処刑はされないし、ここまで親密なアリサとルークならきっと結ばれる。だとしたら、今が悪女を卒業するタイミングだというのだろうか。そうすれば、また新しく生き直せるだろうか。失ったものは取り戻せないとしても、それでも。
「……ごめんなさい、今までのこと…」
リリーは、大きな瞳に涙を浮かべて、ルークを上目遣いで見上げた。リリーの長い睫毛に涙の雫がついて、シャンデリアの光りに照らされてきらきらと輝く。白い肌の頬の部分だけが、薄桃色に染まっていく。ルークは、そんなリリーに目を見開く。ルークは少し視線を泳がせたあと、だんだん赤く染まる頬でまたリリーの方を見つめる。その瞳にもうリリーを敵対視する様子はない。そんなルークを見たリリーは、最初からわかってはいたけれど改めて確信する。やっぱりだめだこいつ、と。
「なんて、私が謝るわけがないでしょう」
リリーは、嘘で出した涙を引っ込めて、ルークを冷めた目で見つめる。そんなリリーに、ルークは、えっ、と声を漏らす。
「アリサを虐める私があなたに謝ってあなたに許してもらう、っていう構図がまずおかしいわ。それで許すようじゃ、あなたの行動にこそ一貫性がないわ」
リリーは、それでは、と言って、固まるルークを置いて歩き出す。ルークは、話の流れをようやく理解したのか、悔しそうにリリーを振り返る。双子は可笑しそうにリリーとルークを見つめる。
リリーは歩きながら、悪女を長い間演じているから、こういう時にまでこんな小賢しいことをしてしまうようになってしまった、と少し自己嫌悪する。このまま本当に性格が歪んでしまったらどうしよう、と。
「(…いや、ずっと小賢しかったか。最後の人生上手くやりたくて、小賢しいことばっかりしてきた。…ずっと、自分の作った台本通りにいくように、作り立ててきた)」
リリーは、会場内を歩きながら、少しだけ深呼吸をする。あと半年、今までの人生から推測すればあと半年ほどで、ルークの王子発表と婚約発表がある。それが終われば、これまで生きたことがない新しい人生が始まる。そこで自由に生きたい。リリーはそう思う。
「(…王子発表と婚約発表、それと、公開処刑か…)」
リリーはふと思い出し、先ほどルークに謝罪しなかったことをほんの少しだけ後悔する。しかし、自分にとってルークに謝罪するなんていう選択肢はない。
「(…やっぱりアリサに根回ししておこうかな、念の為)」
リリーはそんなことを思った。




