21 悪役令嬢のつくりかた4
「許さないから、アリサ」
リリーはそうアリサに吐き捨てる。アリサは、濡れた頬に手を当てて、半信半疑の表情でリリーを見つめる。
「お、お姉様…」
震える声を漏らすアリサの側に、ルークが駆け寄る。ルークは、濡れたアリサの制服に、自分の制服の上着をかけると、リリーの方を信じられないという顔で見た。
「…リリー、一体どうしたんだ、一体、何が…」
「る、ルーク…」
リリーは、ルークに見られるつもりがなかった、という素振りを見せるために、驚いたふりをして後退る。後から駆け寄ってきたエリックが、リリーとアリサの間に立つ。エリックは、リリーを睨みつける。
「お前…、アリサに何をするんだ!」
「アリサに水を掛けるなんて…どうしてしまったの?リリー?」
モモが、目を丸くしてリリーの方を見る。リリーは皆から視線をそらし、廊下に視線を落とす。一度黙り込んだあと、リリーはふふ、ふふふ、と笑い出した。そんなリリーに、ルークが睨みつける。
「…結局皆アリサの味方なのね」
「…当然だろ。君は今、アリサに水をかけた。どんな理由かしらないけれど、人に水をかけて良いわけなんてあるのかな」
ルークは、冷静に、しかし怒りをにじませた声でリリーに告げる。リリーはそんなルークにまた心の中で青筋を立てる。
「(あなたが言うなって、何度言わせるのよこの男はっ…!)…この子ばっかり自由で、ずるいのよ、私ばっかりがつらい思いをしているのよ」
「そんな理由…、アリサ何にも悪くねえじゃねえか!」
エリックがリリーに詰め寄る。そんなエリックを、ルークが制する。エリックは、ルークに止められておとなしく食い下がる。リリーはそんな2人のやりとりをじっとみつめる。
「(…エリックってルークに飼い慣らされてるわよね…)」
「君は昨日、あんなに御高説を垂れていたのに、今日はこんな卑怯な真似をしているなんて、ずいぶん自分に都合のいい解釈ばかりしているようだね。昨日の君の言い分と今日の君のアリサへの行動は、一貫性がないように俺には見えるけれど?」
ルークが、アリサを庇うように前に立った。さっきの台詞で完全にリリーを言い負かしたと思い込んだようで、ルークは勝ち誇った表情をリリーに向け、かつ、リリーを威嚇してくる。そのオーラは、さすが一国の王子とでもいうのだろうか、風格があり、それにより周りの生徒達は慄いて息を呑む。しかし、リリーはそれにはひるまない。
「あら、あなたこそ、自分の物差しでしか測れないから、私の行動の意味が見つけられないのよ」
「…何?」
ルークが、眉をピクリと動かした。リリーは、ルークへ溢れ出す不満が止まらず、口が動き続ける。
「あなたは全てがわかったように言うけれど、それは見当違いよ。あなたは何もわかっていない。何も見えていない。あなたは結局私のことだって、痩せているか太っているかでしか見られないのよ」
ルークに言い放ちながら、そうか、この立場ならばルークに思っていたことを全部ぶちまけられるのだとリリーは気がつく。
騒ぎに気がついた生徒たちが、どんどん周りに集まってくる。リリーはそれに気が付き、ルークにこれまでの鬱憤を晴らすのが目的ではないと思い出し、ルークの後ろに隠れて怯えるリリーを指して、ぎりっと睨みつける。
「私はねえ、アリサ、あなたのことが嫌いよ!あなたのことを許さない、絶対に!覚えていらっしゃい!!」
リリーはそう言い放ち、図書館へ向かう方向とは反対へ歩いていく。集まった生徒たちのひそひそ話や好奇の目を堂々と受けながら、リリーは歩き進める。
「(…悪役って、こんな感じでいいのかしら?間違ってない?大丈夫かしら??)」
悪役の前科があるとはいえ、演じようとするとなんだか不自然になりそうで、リリーは何が正解か迷子になりそうになっていた。内心そんな不安を抱えつつ、しかし表面上は悪女の顔を作り上げて歩き続ける。
途中、ルークたちから一歩下がって様子を見ていたマークの顔が、面白そう、といいたげな顔をしていた気がして、リリーはマークを二度見した。マークはそんなリリーに気が付くと、リリーから視線をすすすとそらした。しかし押し寄せる笑いをこらえきれずに声を殺して笑っていた。
「(…マークって……)」
またリリーの頭の中のカトレアが得意げな顔を見せようとした時、リリーは群衆の中にいるシリウスと目が合った。シリウスは、何があったのか、と言いたげな、心配そうな表情をしている。リリーはすぐにシリウスから視線をそらし、何も言わずにその場を去った。
リリーが突然アリサに水をかけて、ルークに咎められたところを悪びれない様子で言い返した、という噂は一瞬にして学校中に広まった。
なぜリリーがアリサにそんなことをしたのかという原因については、リリーの思惑通り、サーシャが、リリーは自分は婚約者を父親から決められて不自由な思いをしているのに、アリサばかり自由にしていることに嫉妬した、という情報を回していたため、生徒たちの間でその話はすぐに広まった。
リリーが水をかけた事件の翌日、リリーは普通に教室に向かった。リリーが教室に入った途端、生徒たちはしんと静かになった。リリーはそれを意に介さない表情で、普通に授業の準備をする。
「(……視線が、視線が痛い……)」
リリーは、不安で震える指を隠しながら平然を装う。相手に、しかも妹に水を掛けるという蛮行をしたリリーに、クラスメイト達は恐怖すら感じているようで、遠くからリリーを見つめて、ひそひそと噂話を繰広げる。
すると、教室にアリサがやってきた。アリサは席に着くと、授業の準備を始めた。リリーは席から立ち上がり、アリサの前に立つ。アリサは恐る恐るリリーを見上げる。リリーは冷たい目でアリサを見下ろすと、机の上に用意されたアリサの勉強道具を手で払い、机の上から落とした。クラスメイト達から悲鳴が上がる。
「さっさと拾いなさいよ」
リリーはそれだけ言うと、教室から去っていった。リリーの通り道にいる生徒たちは、さっとリリーの前からどいた。
リリーは廊下を歩きながら、はああ、と心の中でため息を付く。
「(私って、よくあんなひどいこと1度目の人生でできたわよね…?本当にどんな精神構造をしてたのかしら??自分で自分がわからなくなる…)」
リリーは心の中で頭を抱えながら、先程の怯えた顔をしたアリサを忘れようと必死になる。あんなアリサを前にしてよくも最初の人生の私はあんなひどいことができたものだと、リリーは自分で自分が未知の物体のように感じられた。
しかし、今後アリサにこういった仕打ちをし続けなくてはいけない。もっと他にバリエーションがないか、リリーは、うーん、と頭の中で考える。
「(あんな感じでいいかしら…。もっとこう、陰口とかのほうがいいかしら…)」
モニカがしていたように、友達とくすくすとアリサの陰口を叩こうかとも一瞬思いついたが、しかし、自分と一緒にアリサを虐めてくれる友達などいないし、共犯になってくれる友達がいたとしてもそんなことリリーは頼まない。リリーはどうしたらいいだろうかと考える。
「ねえっ!」
声がして、振り向くと息を切らしたカトレアがいた。教室からリリーを追いかけてきたらしい。
「…なにかしら」
「あなた本当にどうしちゃったの?ねえ、何があったの?」
カトレアが、メガネの奥の瞳をゆがませる。こんなカトレアを見ることが初めてで、リリーは息が詰まる。自分のことを本当に心配してくれているのだと気が付くと胸が張り裂けそうなほど痛んだ。
「…何もないわよ」
「…今から時間ある?話、聞かせてよ」
カトレアがリリーの腕を引いて歩き出す。リリーが、今から授業よ、と言えば、そんなのどうだっていいわ、とカトレアが強く返す。カトレアは立ち止まり、リリーを見上げた。
「放課後を過ぎるくらい時間がかかってもいい。明日にまたいでもいい。いくらでも聞く。だから話して。…おねがいよ」
カトレアが、リリーに懇願するように言う。そんなカトレアに、リリーは心臓が潰れたような心地がした。
「(私はこの人を、この人との大切な日々を、思い出を捨てようとしている。台無しにしようとしている…)」
リリーは、分厚いメガネの奥のカトレアの瞳を見つめる。
「(…でも、1度目の人生の私ではあなたに出会えなかった。何度も人生をやり直した私だからあなたに出会えた。友達になれた。…本来の私の人生には、あなたはいなかった。そう思えたら…)」
リリーの喉の奥がぎゅっと締まるのを感じる。張り裂けそうな心と体をなんとか抑え込み、リリーはカトレアの手を振り払う。カトレアの絶望した瞳が見えた時、リリーはとうとうやってしまったと、そう思った。
「…もう私に話しかけないで」
「…リリー、あなた、」
「さよなら」
リリーはそう言うと、立ち尽くすカトレアを置いて歩き出してしまった。
こうして、リリーの悪役令嬢人生は再び幕を開けた。リリーは特にルークの前でアリサに辛く当たるようになった。リリーに虐められるアリサを、白馬の王子様であるルークが庇い、悪女であるリリーから助け出した。周囲の生徒たちは正義感に溢れるルークを称え、身勝手な悪事を働くリリーをひどく責めた。リリーに対して苦言を呈する生徒たちはもちろんいたけれど、特別な美貌を持つリリーに氷のような表情で睨みつけられると大抵の生徒たちは縮み上がってしまうため、結局ルークくらいしかアリサを虐めるリリーに立ち向かえる生徒はいなかった。
リリーとアリサは、宿舎での時間、声をひそめて進捗状況の情報を共有した。アリサから聞くルークの態度は、リリーが悪役に回ってからわかりやすく変わっており、確実にアリサに惹かれているのをリリーは感じていた。その事実にリリーは胸を撫で下ろす。このままいけば、きっと上手くいく。リリーはそう確信していた。
「(…これがしばらくずっとつづくのね…)」
リリーは気が重くなって頭を垂れる。しかしこれも、アリサとルークが結ばれるため。それに、アリサを虐めて、それからルークとアリサが結ばれるというのは1度目の人生と同じ流れなのだから、本来リリーがたどるはずだった人生なのだから、受け入れるべきだともリリーは考える。
「(ただし、1度目の人生と決定的に違うのは、アリサは傷つけていないということ。この事実さえ変えられたのなら、やり直した意味もある、…そう思わなきゃ…)」
リリーはまた肩を落とす。そう思わなきゃ、やっていられない。本当にリリーは、アリサの恋の成就以外すべてを失ってしまったのだから。
「…お姉様、おつらくありませんか?」
アリサが心配そうに尋ねる。リリーはそんなアリサに、辛くないわけがないでしょうと毒づきたくなるけれど、笑顔で、大丈夫よ、と答える。
「(もうアリサに八つ当たりはしない。アリサのせいにしない。私は本来生きるべきだった人生を生きているだけ。アリサを傷つけない人生に変えられたのだから、そこだけでも幸運に思うべき)」
リリーはそう自分に言い聞かせて、さあねましょう、と小声でアリサに告げる。誰が聞いているかわからないからである。アリサは、小声ではいと答えると、部屋の電気を消した。




