2 2度目の初対面2
リリーの8歳の誕生日パーティーが始まった。テラー子爵家の古いが広い屋敷の庭は、この日のために更に綺麗に手入れされていた。この日は天気が良く、ガーデンパーティーにはもってこいの春の青空だった。
リリーが会場に到着すれば、温かい拍手が彼女に降り注いだ。クリーム色の大人しい装飾のドレスを纏ったリリーは、このパーティーの主役かと言われたら微妙だったが、それでも、目立ちすぎないこの格好に、リリーは満足げだった。
「相変わらず可愛いお嬢様だこと」
「いつみても美しいわ」
周りがリリーを見てそう囁く。そんな言葉がどうしてもリリーの耳に入ってしまうが、リリーは気にしないように努めた。そういえば、自分には容姿に対する賞賛がついて回っていたな、とリリーは遠い昔のことのように思い出していた。
「(気にしない、気にしない、何を言われても、素知らぬふり……)」
頭の中でそんなことを唱えながら歩いていると、リリー、と声がした。顔を上げると、満面の笑みを浮かべたテラー子爵がそこにいた。
「あっ、お父様…!」
懐かしい顔に、リリーは目に涙が浮かんだ。この数年後、彼は病気でこの世を去ってしまう。どちらかというとクールであまり笑わないエドモンド侯爵とは正反対で、感情表現の豊かな温かい父親だった。彼が亡くなった時、リリーはどれほど泣いたかわからない。
リリーは気がつくと彼に駆け寄り、抱きついていた。そんな娘を、テラー子爵は、どうしたんだ、と笑いながら受け止めた。
「レディが走ってはいけないよ。こけてしまってはことだからね」
「…はい、お父様」
リリーは父親の胸に顔を埋めた。そんな娘の頭を、父は優しく撫でた。
「あらリリー、急に甘えたじゃない」
声がして、顔を上げると、若い頃の母がいた。お母様、とリリーは声を漏らす。
「お客様にご挨拶は済んでるの?」
「いいえ、まだです」
「では、今からみんなでまいりましょう」
ほら、行きますよ、と優しい顔でリリーに言う母に、リリーはそういえば、お母様ってこんな感じの人だったな、と思い出す。エドモンド侯爵と再婚して、アリサにきつく当たる彼女ばかりみていたから、リリーはすっかりそんなことを忘れていた。
「(どうしてお母様は、アリサにあんなにきつく当たっていたのかしら)」
参加者たちへの挨拶を終えたリリーはふとそんなことを考える。いままでは、前妻の子どもであるために嫌っているのだと、それ以上のは考えなかった。いくら自分と血がつながっていないからといって、こんなに優しそうな女性が、あんなに豹変するものだろうか。
「(…って、私だってアリサを虐めていた)」
リリーは、そう思い出してまた自省した。はあ、とため息をついたとき、目の前においしそうなケーキやマフィンやクッキーが見えた。リリーは、ふらふらとそれらの前に吸い寄せられた。そんなリリーを見て、両親が、あらあらと微笑ましそうに笑う。
「(ああ、スイーツってなんでこんなにキラキラしているのかしら…)」
どれを食べようか、と目移りしていると、周りがざわつくのがわかった。リリーは、はたと、ケーキを選ぶ手が止まる。
「あの方はどなたかしら…」
「オクトー公爵のところへ養子に入られた方だそうよ」
「あら、あそこはご子息が2人いらしたはずだけれど…」
「リリーも美しいけれど、あの方はもっと目を引くわね…」
「まるで女の子と見間違えるくらいに可憐だわ」
周りの言葉に、リリーはごくりと生唾を飲んだ。奴だ、奴がいる。リリーは背中に嫌な汗が垂れるのを感じていた。
「リリー・テラー、だよね?今日の主役の」
そんな声がして、リリーは体を震わせる。恐る恐る振り向くと、そこには記憶にあるよりも幼いルークがいた。青色の大きな瞳は太陽の光を浴びてきらきらと輝いている。この国では珍しい青みがかった髪は、隣国の人間特有のものなのだろう。
最後に見たルークの、こちらを敵対視する瞳がフラッシュバックして、リリーは背筋が凍った。好きだった人に向けられるあの視線は、とても恐ろしかったからだ。
しかし、ルークは優しい瞳でリリーの方を見つめていた。そうだ、自分がしたことはなかったことになっているのだとリリーは思い出して安心した。人懐っこい笑顔をリリーに向けるその少年に、リリーは安堵を感じたあと、胸が高鳴った。昔は、自分よりも目立つ人間があらわれたことへの絶望で気がつけなかったが、今はこのとんでもない美貌の少年のすごさを間近で感じ、リリーは感動すらしていた。
「(…って、だめだめ、ルークとは最低限の関わりしかしないんだって決めたんだから…)」
「あれ、君がリリーじゃなかった?」
「あ、失礼、ええ、リリーよ、リリー・テラーが私、私のことよ」
しどろもどろになりながらリリーは答える。最低限の関わりといっても、度合いが難しい。リリーは目をうろうろと泳がせて、当たり障りのない言葉を探す。
「えっと、今日はお越しいただいてありがとうございます。来ていただけて嬉しいわ」
リリーは定型文を口から紡ぐと、ドレスを手で軽く持ち上げてお辞儀をして、ルークに微笑んでみせた。そして、それではお楽しみになって、と言うと、そそくさとルークの前を去ろうとした。しかし、ルークが、ねえ、とリリーを止める。
「(ぐぬ、まだ何かあるのかしら…)」
「君の髪って、とっても綺麗だね」
ルークは、そうフレンドリーな態度でリリーに話しかけた。リリーは自分の髪を触り、あら、ありがとう、とお礼を言った。
「あなたも、綺麗な髪ね、この国の人じゃないみたい」
「え?」
「あ、えっと、珍しい色よね。綺麗な海の深い青みたいで綺麗だわ」
リリーは、口が滑った、と思いながら、早口で捲し立てた。
「(オクトー公爵家に身を隠している隣国の王子、っていうのは極秘情報よね、気をつけないと…)それでは、失礼しますわ」
リリーは、ほほほ、とぎこちなく返すと、ようやくルークの前から去った。
リリーは、両親と一緒に一通り参加者に挨拶をして回ったあと、ようやくデザートにありつけた。テーブルに並ぶ宝石のようなスイーツたちの中から、生クリームのたっぷり入ったケーキと、チョコレートが濃厚そうなガトーショコラを選んだ。
「(うふふふ、今日だけは2つも食べちゃうもんね)」
リリーは、にやけが止まらない様子でケーキをお皿に盛って、フォークをケーキに差し込んだ。そして、一口口に放り込んだ。
「(あまあ……い……)」
幸せ…という気持ちが溢れながらリリーはケーキを味わった。世界にはこんなに美味しいものがあったのか、そう思いながらリリーはケーキを味わう。
「(明日からまた食事制限すれば大丈夫大丈夫)」
リリーはそう自分に言い聞かせながら、また一口また一口と口に運んでいく。
「そんなに美味いのか」
そんな声がして、リリーは振り向いた。すると、そこには同い年くらいの少年がいた。背がリリーよりも、ルークよりもうんと高く、体格が良い。黒い髪に、青緑色の瞳をしている。その瞳の色がテラー家の避暑地がある土地の湖の色に似ていて、その湖が好きだったリリーは親しみを覚える。涼しそうな目元に、どこか武骨そうな雰囲気を纏った少年だった。
「(この人、さっき挨拶した参加者の中にもいたけど…確か、学校でも一緒だった気がする…)」
リリーは記憶を手繰り寄せる。これから通うことになる学校で同じ学年の生徒だった気がするけれど、彼とはそこまで親しくはなかったような覚えがあった。リリーは、口に入っていたケーキをごくりと飲み込むと、ええと、と話しだした。
「シリウス・ワグナー、よね。ワグナー男爵家の」
「…他に参加者いっぱいいたのに、俺のことなんか良く覚えてるな」
「お、覚えてるわよ…(前世で学校も一緒だったし…とはいえ、ここが彼とも初対面だったっけ…)」
リリーは、もごもごとそう言ったあと、ごほん、と咳払いをした。
「ええと、何だったかしら?」
「いや、あんまりにも美味そうにケーキを食べてるから」
「…」
リリーは、なんとなく恥ずかしくなって顔が赤くなる。リリーは、べ、別にいいでしょ、とシリウスに返す。
「久しぶりに食べたから、美味しかったの!」
「…そんなにテラー家って困窮してるイメージなかったけど」
「ひ、控えてるの、体型維持のために…」
「ああ…」
リリーは、何となく食べにくくなったので、フォークを置いた。するとシリウスが、どうした、とリリーに言った。
「食べないのか?」
「そんなに見られたら食べにくい…」
「そうか、悪かったな」
シリウスはそう言うと、それじゃあ、たんまり食えよ、と言ってリリーの前から去った。リリーはそんなシリウスの背中を見て、なんだそれ、と小さく笑った。
「リリー!」
背後から声がして、リリーは体を震わせた。恐る恐る振り返ると、またルークがいた。
「る、ルーク…どうしたの?」
「リリーの姿が見えたから」
ルークはそう言うとにこりと微笑む。そんなルークに、周りが黄色い声を小さく上げる。リリーは、う、と固まる。
「(そうそう、こういう奴なのよ、やたら人懐っこい奴なのよ…)」
「ねえ、食べてばかりいないで、お花でも見に行こうよ」
ルークはそう言うと、リリーの手にあるお皿を使用人に渡すと、ほら、と言ってリリーの手を引いて歩き出してしまった。ルークの無邪気な横顔に、リリーはこころがときめく。そう、私はずっとこの人を見つめてきた。そんな想いが蘇り、リリーの心臓は速く脈打ちだす。
リリーはルークに手を引かれながら、私はこの人になびかない、絶対になびいたりしない…!と赤くなっていく頬のままそう何度も心の中でつぶやいた。