19 心のありか2
テストが終わり、その結果が発表された。生徒たちはそれぞれ重苦しい顔をしたり、前回より良くなって喜んだりとそれぞれだった。そんな生徒たちのほとんどは放課後になれば、テストから解放された晴やかな気持ちで教室を後にしていった。
今回のテストでもリリーは2位となり、1位のマークには及ばなかった。リリーは荷物をかばんに詰めながら、今日は3人で恒例のテスト見直し会だ、と心のなかでつぶやく。
テストの返却があったその日は、3人でカフェテリアに集まってそれぞれの間違えたところやわからなかったところなどを確認し合う、ということになっている。見直しが終われば、マークとリリーは紅茶かコーヒー、それにケーキを頼み、シリウスはコーヒーだけを頼み、その会に参加する。リリーは、テストを頑張ったご褒美ということで、その日はケーキを罪悪感なく食べていた。
「(まあ、その後しばらくは食事制限だけど…)」
「ねえリリー、少しいいかしら」
カトレアといつも仲良くしている女子生徒2人に呼び止められて、リリーはそちらへ向かった。彼女たちは、返されたテストを広げていた。
「どうしたの?」
「ここ、どうしてこんな答えになるのかわからなくて…」
ジェーンが困ったように言う。リリーは問題を読んだあと理解して、ここはね、と説明をしだした。それを熱心に彼女たちは聞き出した。
「…そうだ、いまからマークとシリウスとカフェテリアでテストの見直しするんだけど、よかったらみんなも来ない?」
「えっ?」
ジェーンとケイが顔を見合わせて困惑した。でも…、マーク様となんて…と、かなり遠慮している様子だった。
「私は恐れ多いし、やめておくわ…」
「私も、せっかくだけれど…」
「そう…。なら、わからないところだけ今見せてみて」
リリーはそう言うと、2人から聞かれた場所を回答していく。大体の疑問が解消したらしい2人は、ありがとう、とリリーにお礼を言った。
「また聞いてもいい?」
「もちろん。いくらでも聞いて」
「…本当に、私、誤解してた。あなたって、ほら、あっちの人たちと仲が良いから、あなたも、その、…気が合わないかなって」
「…実は私も。でも、今は違うわよ?」
ジェーンとケイは慌てて手を振る。そんな2人に、わかってるわよ、ありがとう、と微笑み返す。2人はリリーに礼を言うと、それじゃあ帰ろうかな、と言って帰り支度を始めた。そんな彼女たちに、本当に帰るの、とカトレアが聞いた。
「私は恐れ多くとも参加するわよ」
残っていたカトレアが、にやりと口元を緩めた。リリーはそんなカトレアに微笑んだ。
「それは嬉しいわ。一緒に行きましょう」
「彼の闇を直に感じてみたかったのよ」
カトレアがそう意味深な笑みを浮かべながら言う。そんな彼女に、ジェーンとケイが、また変なこと言ってる、と笑う。
「またカトレアの妄想?」
「ねー」
2人と一緒にリリーも笑う。そして、リリーだけ笑いを止めて、真面目な顔でカトレアの方を見た。
「…一応聞くけど、あなたの妄想よね?彼は本当に良い人だからね?」
「当然よ。あなたが幸薄いってのも私の中の妄想よ?」
「はいはい」
リリーとカトレアのやりとりを見て、ジェーンとケイがくすくすと笑う。そして2人は、それじゃあ、とリリーとカトレアに手を振った。その時、教室の扉が開いた。そこには、シリウスとマークがいた。
「…!!!」
マークの登場に、ジェーンとケイは驚きのあまり手を取り合った。リリーは、どうしたの、と2人に声をかけた。
「リリーがなかなか来ないから、どうしたのかな〜って」
マークにそう言われて、リリーははっとして時計を見た。すると、約束の時間からしばらく経ってしまっていた。リリーは、ごめんなさい、と謝った。
「今行くところだったの、待たせてしまってごめんなさい」
「ううん。変なことに巻き込まれてたらって心配してただけだから。ね〜、シリウス」
「…」
マークに振られても、シリウスは特に何も答えない。なんなら、リリーの方すら見ない。リリーは、ぐぬ、と心のなかで歯を食いしばりつつ、表面では笑顔で、ありがとう、でも本当にごめんなさい、と言った。
すると、ジェーンとケイがおずおずと話しだした。
「あの、ごめんなさい、私たちが引き留めてしまったから…」
「リリーは私たちにテストでわからなかったところを教えてくれていたんです…」
申し訳なさそうに、そして恐る恐る2人はそう言った。マークは、そうなんだ〜と相変わらずの朗らかな笑顔で返す。
「それなら、一緒に見直ししようよ〜。僕たちも今からするところだから」
マークの提案に、ジェーンとケイは絶句した。あわあわと、焦りが見える。そんな2人の背中をぽんとカトレアがたたき、マーク様からのお誘いなら断れないわよね、と意地悪そうに告げる。2人は顔を見合わせたあと、顔を赤くしながら、それではお言葉に甘えて、と言った。マークは、それならいこう、と笑顔で言った。
カフェテリアについて、テストの見直しが始まった。それぞれのわからなかったところ、疑問におもったところなどを話し合い、そして教えあうというものである。教えあう、といっても、ほとんどマークかリリーが答えるのであるけれど、人から尋ねられて教えると、自分の知識の再確認になり、それもまた勉強になると、リリーは思っている。
カトレアは、ジェーンとケイと一緒になって、マークから問題の解説を受けていた。リリーはその様子を眺めていたけれど、あの顔のカトレアは、話を聞いているようで、マークの顔を見ながら彼の様子を伺っているようだった。リリーは、あのマークのどこに闇が見えるのかと、半分あきれながら小さなため息をついた。
「…ここ、聞いても良いか」
シリウスが、リリーにテストの答案を持って尋ねてきた。リリーは、えっと、といいながらシリウスの聞いてきた問題を確認する。そして、シリウスが間違っていた部分の考え方について説明する。
「(…勉強のときだけは、普通に会話ができる…それが嬉しい…)」
リリーは、説明をしながら、そんな哀しい喜びを噛み締める。本当に前世で勉強してよかった、と思いながら。
見直し会が終わり、ちょっとしたお茶会が始まった。カトレアとシリウス以外は皆ケーキも頼んで、紅茶と一緒に楽しそうにケーキを頬張った。リリーももちろん、ダイエットをこの時だけ忘れて楽しんでいた。
「これ、新作のケーキだよね?美味しいよね〜」
マークがそう、嬉しそうに笑う。リリーも、ほんとよね、とため息混じりにつぶやく。リリーはまじまじとお皿に乗ったケーキを眺めながら、うんうん、と頷く。
「本当に芸術品よね…」
「あはは、わかるかも〜」
マークがくすくすと笑いながら、リリーのマネをするようにケーキを眺めた。そして、うん、芸術品だね、とリリーに微笑んだ。そんな、天使のように優しいマークに、リリーは癒されながら、ちらりとカトレアの方を見た。ほら、マークは本当に良い人でしょう、という気持ちを込めてカトレアに視線を送る。しかしカトレアは、紅茶のカップに口をつけたまま、じーっとリリーとマークのやりとりを見つめている。
「(…あの笑顔の下にどんな裏があるのか、想像するだけでわくわくするわ…っていう顔をしている…)」
リリーは、妄想中のカトレアには何を言っても駄目だ、と思いながら、今度は紅茶を一口のんだ。すると、シリウスがジェーンとケイと3人で楽しそうに話している声がきこえた。リリーははっとして、声の方を見た。
「でも、私、わかるかもしれない」
「そうだろ」
「ええー…私は…うーん…」
そんな間の後、またくすくすとジェーンとケイの笑い声が聞こえる。それにつられるように、シリウスも少しだけ口元を緩める。
「(…私以外となら普通に話すんだ、そうか、そうよね…)」
リリーは、2人と話すシリウスを横目に、気分がずんと落ち込むのを感じた。もう紅茶すらのどを通らなくなり、しかし和やかな空気は壊せず、自分の感情を隠してなんとか平静を装って過ごすしか無かった。
「それじゃあ、そろそろお開きにしようか〜」
しばらくの間雑談をしたあと、マークがそう言った。その言葉に、皆机の上の片付けを始める。しかし、カトレアだけは、私たちは少しだけ話していくわ、と言った。リリーは、そんなカトレアの方をちらりとみた。すると、ジェーンとケイも、ええそうね、とカトレアに同調した。リリーは2人の方をまたちらりとみて、そして、合わせるように、ええ、と頷いた。
「(話し足りないのかな、カトレアにしては珍しい…)」
「そう?それじゃあ、気を付けて帰ってね」
「じゃあ」
シリウスとマークは、荷物を持つと、宿舎のほうへ帰っていってしまった。その背中を見送ると、ジェーンとケイは、はあ、と肩の力が抜けたようにため息をついた。
「き、緊張した…」
「でも、マーク様は噂通りお優しくて素敵だった…」
「あら、それならこれからも参加しましょうよ」
カトレアの言葉に、2人は固まって、そしてゆっくり2人で顔を見合わせた。そして、もう心臓が持たないから遠慮します、と苦笑いを漏らした。
「(…そっか、マークには何か粗相があったら、とか思っちゃうのかな?もし何かあってもなにも言わなさそうな、優しい人なのにな…)」
「でも、本当に楽しい時間だった」
「ありがとう、リリー」
ジェーンとケイは、リリーにお礼を言った。リリーは、私はなにも、と手を振る。
「人数が増えて、なんだかいつもとちがって楽しかった。またよかったら一緒にしましょう?」
「ふふ、次はリリーだけのときにしようかな」
「もう緊張してだめ私…」
そんな2人は、しかし慌てて、でも本当に楽しかったわよ、と付け足した。そんな2人に微笑むリリー。
「とっても勉強になったわ」
「お話も楽しかったし」
「シリウスのことは知らなかったけど、良い人でよかったわ」
「ね、ほんとよね」
ジェーンとケイがそう楽しそうに話したので、リリーは先ほどの傷がえぐられて、ぐぬ、と心の中で耐える。すると、ちらりとリリーの様子をうかがう3人の顔が見えた。
「…どうしたの?」
リリーが首を傾げると、今度は3人で顔を見合わせて、そしてくすくすと笑った。ジェーンとケイは笑いながら口を開く。
「リリーったら、隠し通してるつもり?」
「顔に出過ぎよ」
2人の言葉に、リリーはわけがわからずまばたきをする。そんなリリーの肩を叩くカトレア。
「もうバレてるみたいよ。シリウスが好きだって」
「えっ」
リリーは、ジェーンとケイの顔を交互に見た。2人は楽しそうににこにこ笑いながらリリーを見ている。
「私たちがシリウスと話してたら明らかに暗いんだもの、ばればれよ、笑っちゃった」
「あのリリーに好きな人かあ…。どうなの、上手くいってるの?」
友人からの素朴な疑問に固まるリリー。カトレアは2人に、上手くいってないみたいよ、とリリーに聞こえるように耳打ちをした。2人は顔を見合わせて、まあ、と呟いた。
「リリーに振り向かない人がいるなんて」
「ねえ」
「…慰めをありがとう」
リリーは俯きながらジェーンとケイに礼を言った。2人は、沈むリリーに困惑して顔を見合わせる。
「お父様からも反対されてるみたい。家に見合わないからって。当のシリウスだって、自分から身を引いたみたいよ」
カトレアがそう言うと紅茶を一口飲んだ。ジェーンとケイは、まあ、と声をもらす。
「そうよね、リリーのお家なら、仕方ないわよね」
「リリーも辛いわね…」
ジェーンとケイが、憐憫の目でリリーを見つめる。そんな2人にリリーは、やはり自分ばかりが駄々をこねていて、シリウスやエドモンド侯爵の反応の方が正しいのだとあためて気付かされる。
「(…4回も…4回も生きているから…しかも前世では実っているから…だから諦められない…諦めきれない…
!)」
「リリーにとって、良い結末になると良いわね」
ケイが、そうリリーに微笑む。リリーは、え、とケイの方を見る。すると、ジェーンも微笑んでいるのがみえた。2人の、気の毒だけど、でも落ち込まないで、という励ましの顔に、リリーは言葉をつぐむ。
「(…ああ、やっぱり、私はもう、シリウスとはどうともなれないところまできてるのかな…)」
今まで考えないようにしてきたことが、ふと、自然に脳裏に浮かんだ。醜くあがいていた。少しでも休んだら沈んでしまうから、溺れないように、必死に動き続けてきた。
「(…苦しかった)」
シリウスとの重苦しい雰囲気を思い出すと胸が詰まる。彼はずっとリリーに、もう諦めろというサインを送っていた。それを見ないふりして、リリーだけがから回っていた。
鏡が見たい。
リリーはそう心の中で呟く。自分はずっと、最後のやり直し人生を、すべて叶えようと必死になってきた。上手くやってきたつもりだった。家族とも仲良くしてきた。友だちもできた。シリウスとだって途中まではうまくやってきた。それなのに。
「…もう帰りましょうか」
リリーの暗い表情に気がついたカトレアが、そう声をかけた。ケイとジェーンが、そうね、と返したのに少し遅れてリリーも頷いた。
宿舎までは、3人で他愛もない話をした。気の合う友達と、些細なことで笑い合える。リリーは、なんて自分は幸せなんだと思う。素敵な友達がいて、優しい両親がいて、可愛い妹がいて、さらに家は何不自由なく裕福で大きなところ。
自分は確かに幸せだ。けれどどこか満ち足りない。
「そういえば、…モニカ、大丈夫かしら」
ジェーンが、周りに人がいないことを確認して、そうひそひそと話した。ケイも、ほんとよね、と呟く。リリーは、そんな2人をみて、ああ…、と呟く。
モニカがカトレアを虐めた翌日から、明らかにルークの輪から外されるようになった。モニカも最初はなんとか輪に入り込もうとしていたけれど、だんだん入れなくなり、とうとう完全に追い出されてしまったようだ。
リリーがルークの輪にいるとき、誰に何を直接言われているわけではないけれど、じわじわとモニカの居場所がなくなっていくさまを、リリーは傍観していた。恐らく、モニカのあの姿を見たルークが、モニカを拒絶することを決めたのだろう。ルークの輪は、ルークのモニカへの明らかに今までと違う対応に最初は困惑していたけれど、暗黙のうちにそのルークの行動に従い、モニカへの対応をルークの意に沿うようにしていた。ただ、今日はモニカへの当たりが普通だな、とリリーが感じる時はいつもマークがいたので、マークの前ではルークの輪はモニカに対して普通に接していたらしい。(マークは当然状況は知っているだろうけれど、モニカには普通に接していて、そこは流石だとリリーは思った。)ただ、その落差がよけいにモニカにはこたえたようで、モニカはじきにルークの輪から外れるようになった。
モニカがルークから見捨てられたことは周囲の目から見て明らかで、ルークに対して何かやらかしたらしいモニカのことを、周りは避けるようになってしまった。
いつもクラスの中心にいたモニカは、ルークの一存で、あっという間にひとりぼっちの存在になってしまった。
「なんだか気の毒よね」
ジェーンがそうため息をつく。ケイが、そうよね、と頷く。
「最初のうちは私たち、彼女から冷たくされてたけど、リリーと仲良くなってからは普通に接していただいてたし、だから、なんだか彼女がこうなってしまうと…」
「お可哀想よね…」
「あらそう?私は当然の報いだと思うけど」
モニカからぶつかられて嘲笑までうけたカトレアは、平然とそう言い放つ。しかしすぐに、可哀想と思うなら、こちらに呼んで差し上げる?と言った。カトレアの言葉に、ジェーンとケイは顔を見合わせたあと、困惑したように笑った。
「まあ、お可哀想ではあるけれど…」
「私たちとお話が合うかと言われたら…」
2人は顔を見合わせて、ねえ、と苦笑いをした。彼女たちと、あのモニカの気が合うとは思えない。リリーも苦笑いを返して口を開く。
「陸に打ち上げられて可哀想だからって、海の魚は淡水では生きられないもの」
「あら、私たちはなんで川側なの?」
「…もののたとえよ。別に私たちが海で、彼女が淡水魚でもいいのよ?」
「海も意外と住みやすいかもしれないわよ」
「…えっと、カトレアはモニカと仲良くなりたいの?」
「なりたくないわ」
きっぱり言い切るカトレアに、リリーはジェーンとケイと一緒に脱力しながら笑った。




