18 小賢しくとも3
ルークから見えないところまで歩いたリリーは、すう、と息を大きく吸って、そして吐いた。
「(やっぱり、前世のままだ…私が絶対に受け付けない男のままだ…)」
リリーは、震える拳を握りしめたままで歩き続けた。あの男は今世でも変わらず、豚と呼ばれたリリーを笑う男のままだ。
「(大体何?暴言と冗談を履き違えるな??自分の適当な物差しではかってんじゃなくってよ……!!)」
リリーは、あの豚事件からずっと腹の底で燻っていた苛立ちが頂点に達するのを感じた。かつてあの男を好きだったこともさらに苛立ちを助長させる。リリーはこの苛立ちを心の中にしまうことができず、手に持っていた勉強道具の入った鞄を、無言で自分のお腹にばしばしと打ち付けるしかなかった。
「えっと、どうしたの〜?」
背後から聞き覚えのある声がして、リリーははっとして振り返る。そこには、リリーの奇行に少し引いている笑顔のマークがいた。リリーは体が固まり、少しずつ顔を赤くなっていくのを感じた。マークは、そんなリリーを見ながら朗らかに笑った。
「大丈夫!僕以外周りにはいなかったから〜。リリーって目立つから人からよく見られるし、色々つらいこともあるよね〜」
「…お恥ずかしいところを…」
「へいきへいき〜。今から図書館だよね?一緒に行こうよ〜」
マークはそう言ってリリーの隣に立って歩き出した。リリーは、恥ずかしい気持ちはありながらも、マークと一緒に歩き出した。
「あの、マーク、さっきのこと…」
「気にしないで〜。誰にも、あっ、シリウスにももちろん言わないから心配しないで」
ね、とマークは微笑む。そんなマークがリリーは光り輝いて見える。リリーは、マークのことを、なんていい人なのだろう、と感動しながら見つめる。
「(マークって優しいし、頭が良いし、精神が落ち着いてるし、すごいな…)」
マークは、ルークの友だちではあるけれど、エリックたちと違い、豚事件の場にいなかったから、リリーにとっては悪い印象などなかった。それどころか、仮にあの場にいたとしても、マークは一緒になって笑ったりはしなかっただろうという予想さえリリーはしてしまうほどだ。
「(…まあ、マークがいたらそもそもそんな話はしなかったか…。フィリップス家の人の前で、ましてやマークみたいなタイプの人の前で、女性の体型を笑うような下世話な話ができるのはよほど空気が読めない人だろうし…)」
「もうすぐテストだよね。どう?はかどってる?」
マークに尋ねられて、考えを巡らせていたリリーは、あわてて、え、ええ、と笑って返す。
「次こそはマークに勝ちたい!…って頑張ってはいるんだけれど…」
リリーは苦笑いを返す。テストは何度か行われたが、毎回マークが学年1位で、リリーが2位である。4度同じテストをしているはずなのに、勝てないマークにリリーは恐怖すら感じていた。次のテストで、なんとかマークに勝てないかとリリーは勉強をしているが、おそらく勝てないだろうという悲しい予想をしている。マークは、あはは、と笑った。
「なんだか、追われてると思うと燃えるね〜。僕もがんばるよ〜」
「ふふ。…そういえば、前にマーク、家が特殊って言ってたけど、やっぱりお父様かお母様が勉強がお好きだったりするの?」
リリーの質問に、うーん、とマークは苦笑いを漏らす。
「上手く言えないけど、まあ、彼らの夢のためと言うか」
「夢?」
「その夢に、僕の理想が合致するから、彼らの方針に付き合ってる、っていう感じかな?」
「へ、へえ…」
わかったようなわからなかったような、そんな気持ちで相槌を打つリリー。マークはにこりと笑って、テスト終わったらまた3人でケーキ食べようね、と言った。リリーは笑って、そうね、と返した。マークも一緒に勉強しているときは、前世のように、マークから休憩しようといい出して、カフェテリアへ向かうことが多々あった。
「(ケーキを食べる日は、夕飯を調整すればいいしね)」
リリーは、エドモンド侯爵がつれてきた美容体操の教師という人物から教わった、食べたあとの食事を気をつける、という方法を実践しており、ケーキを食べたければ無理に我慢せず、その後の食事で調整するようにしていた。しかしその方法では気が緩んで、スカートのウエストがきつくなることも多々あるため、そういう場合はまた地獄の食事制限で無理やりスタイルを保っていた。
「(まあ、つらいけど、目標のためならがんばれる…)…あ!」
「え?」
リリーは、図書館へ入ろうとするカトレアの姿を見かけた。怪我はないだろうか、リリーはそう思うと、マークに、ごめんなさい、勉強会今日はお休みするわ!と言うと、カトレアを追いかけた。マークは、うん、わかった、と去っていくリリーの背中に伝えた。
リリーは、図書館の中にはいり、本棚の前で本を探すカトレアを見つけた。そして、彼女の様子をうかがいながら彼女の後を追った。図書館内では、一部の決められたスペース以外での私語は禁止なので、静かな館内をなるべく足音を立てずにカトレアを尾行した。
「(みたところ、怪我はなさそう…)」
リリーはそう思いながら、カトレアが本を選び、それをカウンターで借りる手続きをしたあと、図書館を出るのを見守った。
図書館から出た瞬間、カトレアは立ち止まった。そして、ねえ、と言ってリリーの方を振り返った。
相変わらずの分厚いメガネと長い前髪が特徴の少女で、小柄な彼女はリリーを前世と同じように見あげていた。リリーは、なんだか安心して笑みが漏れる。しかし、今世ではほとんと会話をしたことがないカトレアは、訝しげにリリーを見つめる。
「あなたは、リリー・エドモンドよね?」
「え、ええ、あなたはカトレアでしょう?カトレア・グレン」
「ええ、そうよ。何か用かしら?さっきから私を追いかけてきていたでしょう?」
「用、ええと…(ば、ばれていた…)」
リリーは少しだけ固まる。しかし、カトレアの手にある本が、【愛とはいずれ】であるのが見えたため、それ、その本!と指差した。
「私も借りたかったのだけれど、あなたに先に借りられてしまったから、その、いつ読み終わるのか、聞きたくて…。それに、私もその本が好きだから、同じ本を好きな人がいることが嬉しくて、それで…」
「そう。…それじゃあ、図書館に入るところからずっと私を追いかけてきたのはなぜ?」
「え」
分厚いメガネの奥から光るカトレアの瞳に、リリーは背中に汗をかきながら固まる。リリーは、え、ええと、と目を泳がせる。
「(そ、そこまでばれていた…どうしよう、カトレアって、鋭いし、頭もいい…。ずっと後をつけてたことがバレているなら、下手なウソをついても無駄よね…)」
「…ねえ、どうして?」
「それは…」
リリーは、カトレアの体を一瞥した。モニカとぶつかった拍子に傷などないかと改めて確認するためである。ちらりと見たところ、何もなさそうでリリーは安心する。言葉にして直接カトレアに尋ねようかとも考えたけれど、カトレアはリリーとモニカが親しいと思っているだろうし、困らせるだけだと思ってやめた。
それならなんて言おう。どう取り繕おう。
リリーは考える。スカートに糸くずがついていて、いつ伝えようか迷っていたの、ほらとれた、それじゃあ失礼、くらいが一番無難だろうか。そう考えたけれど、急に、カトレアと仲良く過ごした日々が恋しくなってきた。友達になりたい、私はあなたと、やっぱり今世でも、友達になりたい。
リリーは、少しずつ顔が熱くなるのを感じた。今まで、アリサとルークの未来のためにと思って打算的に考えた台詞ばかり言ってきて、そこに自分の本心があるのかと言われれば微妙だったから、だから、改めてカトレアに、友達になりたいという本心を言うことが照れくさく思えたのである。リリーは赤い頬を少し俯かせて、あなたと友達になりたくて…と伝えた。カトレアは、へ、と間抜けな声をもらした。
「友達?」
「…駄目かしら?」
「駄目、ではない。構わない、けれど」
カトレアの言葉に、リリーは心底安心した。リリーは微笑んで、ありがとう、ほんとうにありがとう、とカトレアに告げたりしかしカトレアは、訝しそうな顔をやめない。
「けれど、…ごめんなさい、予想外だったから」
「予想外?」
「ええ。あなたって、目立つ人たちと仲良くしてるから、まさか私のことをそんなふうに思ってるなんて思いつかなくて」
「…ちなみに、どんな予想をしていたの?」
「…そうね、…うーん、…予想すらついてなかったわ。不可解過ぎて」
カトレアとのやりとりが懐かしくて、リリーはなんだか嬉しくて吹き出した。カトレアはそんなリリーに目を丸くしたあと、口元を緩めた。
「(…私がカトレアといれば、モニカは変な手出しはしないと思う…だから、もう安心して)」
リリーは、そう心の中で呟く。カトレアは、そんなリリーに首を傾げる。
「どうしたの?」
「えっ?あ、ええと、ごめんなさい、嬉しくって。私、あなたと仲良くなりたかったから」
「私たち話したことほとんどなかったと思うけど…なんだか変わってるわね、あなたって。こんなに美人なのに幸薄そうだし」
「えっ」
「あら、ごめんなさい、私の中の勝手なイメージだから気にしないで。ちなみに褒めているから」
「(…前世でも言われたな…)」
「さて、女子寮に帰りましょうか。友だち記念に、夕食でもご一緒する?」
カトレアのとびきり素晴らしい提案に、リリーは久しぶりかもしれない心からの満面の笑みで、もちろん!と答えた。




