18 小賢しくとも2
今日の授業が終わり、放課後になった。
リリーは帰る準備をしながら、今日も図書館へ行こうか、と考えていた。
シリウスとマークとの3人での勉強会は、基本的に放課後、都合がつく人だけが、図書館の会話ができるスペースに集まる、というものになった。だから、3人で勉強することもあれば、1人だけで勉強することもあった。けれど、基本的にシリウスはいたので、リリーは特段の用事がなければ毎日図書館に通った。シリウスが勉強をする横で、リリーは宿題をしたり本を読んだりしていた。シリウスが勉強の質問をしてきたらすべて卒なく答えられたので、前世で勉強してきてよかった、とリリーは過去の自分に感謝した。
勉強が終われば、いつも宿舎まで一緒に帰った。マークがいれば話が弾んだけれど、2人きりだとあからさまにシリウスは寡黙になってしまった。リリーは、最初のうちはなんとか話題をだして会話をしようとしたけれど、途中から無理やり話すことはやめて、黙って隣で歩くことにした。幼い頃からシリウスと一緒にいて、お互い黙ってお互いが好きなことをするだけという時間はこれまでいくらでもあったのに、この宿舎までのだんまりの時間は重苦しかった。
そしていつも、女子生徒の宿舎の前まで来ると、シリウスは立ち止まり、その時にようやくリリーの瞳をみて、それじゃ、とだけ言った。リリーもそのときにやっとシリウスの瞳を見ることができて、ありがとう、とだけ返すのであった。
「(…これって、もしかしなくても、絶望的なのでは…)」
リリーは、図書館へ向かう廊下を歩きながら、そんなことを悶々と考えた。今日もシリウスはおそらくいるだろう。もしもマークがいなければ、また2人きりだ。勉強中はいいけれど、帰るときになったらまたあの沈黙が始まって…、などと考え出したら、リリーは頭が痛くなってきた。
「(シリウスは、私にもう諦めろと言ってるのよね、そうよね、…でも、諦めたくない、どうしたら…ああもう誰かに話したい…誰かと共有したい…!)」
リリーは、そう考えながらずんずんと前に進む。アリサに話そうか。でも、アリサは控えめな心優しい女の子だから、大変ですね、お姉様、お辛くないですか?とかそんな当たり障りのない返答しかくれないだろう。もっと色々さらけだけるような、そんな相手と話がしたい、そうリリーが考えた時、ふと、カトレアの顔が浮かんだ。
「(そう、そうよ、カトレア。カトレアがいるじゃない!)」
入学して1月が経とうという頃、ようやくリリーは前世での親友と仲良くするという道を思い出した。新生活(4度目)のどたばたや、シリウスとのことでの慌ただしさに追われて、そこまで考えが及ばなかった。
しかしすぐに、いや、駄目か、と思い直す。彼女には彼女の居心地のいいグループがあるし、ましてやあのモニカの輪にいる自分のことは、相容れないと思うかもしれない。無理やり仲良くしたいと自分が言っても、カトレアは困惑するかもしれない。
リリーがカトレアのことを考えていた時、なんという運命か、リリーの進行方向の先に、一人で歩いているカトレアの背中を見つけた。リリーは、話しかけようか、いや、駄目だ、と心の中で葛藤していた。
すると、カトレアが横から歩いてきた女子生徒たちに軽くぶつかられて、その拍子に転んでしまう姿が見えた。女子生徒たちは、お互い話していたのでカトレアに気が付かずぶつかってしまったようだった。ぶつかった主は、モニカともう一人のクラスメイトだった。その彼女は、前世でモニカとともにリリーたちクラスの大人しい女子たちを虐めてきた女子の一人であった。
モニカと女子生徒は、転んで立ち上がろうとするカトレアを一瞥すると、すぐに謝りもせず、くすくすとあの嫌な笑い声をあげた。
「失礼、小さくて見えなかったわ」
「子どもが紛れ込んだのかと思っちゃった」
「あら、ちゃんとみてよ、制服着てるじゃない」
そう言って笑いながら、モニカたちは転ばせたカトレアを置いて歩き出してしまった。リリーは、前世で不当な扱いをしてきたモニカと、これまで波風立てずにやってきた。モニカの顔を見るたびに昔のことが思い出されて、非常に腹が立っても、目標のために、我慢して笑顔を見せてきた。それでも今、リリーは目標のことやこれまでの努力のことなんて考えられず、ただ無心でカトレアのもとまで走り出してしまった。
そんなリリーの腕を、誰かが引っ張り、カトレアの元へ向かう彼女を止めた。リリーは一瞬どうなっているのか理解できずに固まったあと、後ろを振り返った。するとそこには、ルークの姿があった。
「る、ルー、ク…」
「…酷い顔。モニカに何か一言言うつもりだったの?」
ルークの言葉に、リリーはようやく自分の顔が怒りで歪んでいることに気がつく。リリーは眉の上を手のひらで撫でて黙り込んだ。ルークはリリーの腕をつかんだまま、やめておきなよ、と言った。リリーは、そんなルークを見つめた。
「…なぜ」
「女の子は色々複雑なんだって、マークも言ってる。下手にあの場に入ったら、君が巻き込まれる」
「でも、」
「まさか君がモニカを怒鳴りつけるわけじゃないだろう?あそこに割って入って穏便に済まそうと思ったら、相当うまくやらないといけないよ?君にできる?」
ルークの言葉と、少しずつ時間が経っていったことで、リリーはだんだん冷静になってきた。ルークの言う通り、下手にリリーがカトレアを庇えば、モニカの怒りを買って、余計にカトレアに危害が加えられるかもしれない。それに、ルークの輪にいるモニカと不仲になったら、これからのアリサのアシストも難しくなるかもしれない。
リリーは、深呼吸をしたあと、ありがとう、とルークに告げた。ルークはほほ笑んで、大したことじゃないよ、と返した。そんなルークをみて、リリーは久方ぶりにルークがものすごく眉目秀麗な男だったのだということを思い出した。
「(…やっぱり、頭はいいし、気も利くし、…なにより隣国の王子様。…悔しいけれど、アリサに相応しい相手なのかもしれない…)」
リリーはそう考えるが、しかし、この男が太っていた自分にした仕打ちを思い出せば腹が立ってきた。長い間好きだったからこそ余計に。
しかし、リリーは気持ちを落ち着かせるために再び深呼吸をした。
「(今世で私に声を掛ける人たちだって、前世の太った私には見向きもしてなかった。私がルークを嫌いな理論を使えば、極論、綺麗な私に憧れて話しかけてくれる女子生徒たちも嫌わなくてはいけない。…誰にでも、良いところもあれば悪いところもある。ルークの悪いところが特別私の逆鱗に触れただけで、アリサにとってはルークが良い人なんだ)」
何度もアリサのためにルークとくっつけるように頑張ると意気込んでも、心の何処かでつっかえる部分があった。本当にこの人と一緒になって、アリサは幸せになれるのだろうか、と。最初の人生で、アリサを虐めて不幸にしてしまったからこそ、今度こそはどうしても彼女を幸せにしたいという気持ちが強くなる。それでも、アリサはルークが良いのだ。実際、リリーが気に食わないだけで、ルークに良いところはたしかにある。それならリリーができることは、このままアシストを続けるだけ。
リリーはアリサが好きな男はこの男か…という恨めしい気持ちでルークを見上げた。ルークはリリーの視線に気が付くと、にこりと微笑んだ。
「君みたいな美人に見つめられると、なんだか恥ずかしいよ」
「なっ…」
ルークの軽口に対して、リリーは、またそんな思ってもないことを、と返そうとして、言葉を止めた。まるで、最初の人生のときのような関わり方を彼にしそうになっていることに気が付き、リリーは自分を戒める。
「(もっと、ルークが喜ばないような、かといって苛つかせないような返し…)…どうもありがとう。お世辞でも嬉しいわ」
リリーはそう微笑んで返す。ルークは、そんなリリーに、冗談なわけないじゃないか、とさわやかに笑って返す。あははは、と2人で特に深い意味も内容もなく笑い合う。
さあさっさと切り上げて図書館に行こう。リリーはそう思い、それじゃあ、と言おうとした。するとルークが、それでも、と何やら深刻そうなため息をついた。リリーは、まだ何か話があるのか、と思いながら、無視するわけにはいかず、どうかしたの、と聞いてあげた。ルークは、いや、と髪をかきあげた。
「モニカだよ」
「モニカ?」
「あんなふうに女性に対してひどいことをするなんて、失望したよ」
ルークは、はあ、と深い溜息をついた。そんなルークを、リリーは点になった目で見つめた。
「え、…えっと、…モニカがカトレアにぶつかったことがひどいの?暴言を吐いたからひどいの?」
「…みたところ、ぶつかったのはわざとじゃないから仕方ないとしても、あの暴言はひどいよ。一緒に笑っていた女生徒のことも、信じられないよ」
リリーは、ルークの言葉が信じられなかった。リリーは自分の耳を疑いながら、高速でまばたきをした。
「…ルークは、暴言を吐くことが許せないの?」
「もちろん。人としてどうかと思うよ」
リリーは、余りの衝撃に言葉が出なくなり、金魚のように口をパクパクとしてしまった。
ルークが前世でリリーにした仕打ちを思い出す。エリックのリリーに対する豚発言に、モニカのデカくて恥ずかしい発言、そして、それを笑うルーク。何度思い出しても腹が立つ。夜中に思い出すとしばらく眠れないこともあるくらいだ。
「(ぜ、前世のあなたは友だちの暴言を聞いて笑ってましたけど…?なんで急に正義感芽生えてるの…?今世で何かあったの??人が変わる出来事でもあったの…???)」
「…俺の母が、…よく家でそういう目に遭って肩身の狭い思いをしていたんだ。それを思い出して、…だから余計に許せないよ」
ルークが、深刻そうに話す。そんなルークに、リリーははっとして彼の方を見る。
ルークは隣国の王子である。ということは、彼の母は王妃ということになる。王位継承のことでもめたからこの国に逃げてきたと言っていたから、もしかしたら王の妻は複数いたのかもしれない。そんな中で、彼の母は他の妻やその血縁者などから不当な扱いを受けていたのかもしれない。そういったことに対するトラウマをルークは持っており、似たようなことをする人に対して拒否反応がでるのかもしれない。
そうだとしても、前世でのルークの言動とは合致しない。リリーは探るようにルークをみあげる。
「前にエリックが、…ある女子生徒、名前は忘れたけれど、彼女のことを、太ってるとか言って、笑っていたわ。そのときはあなた、何も言ってなくて…むしろ笑ってたけど…」
リリーは、おそるおそるルーク、今世では起こっていない出来事を話す。ルークが首を傾げて、そんなことあったかな、と言うのでリリーはどぎまぎとした。
「でも、エリックは笑ってたし、俺も笑ってたんだろ?覚えてないけど、なら雰囲気は和やかだったんじゃない?」
「えっ、」
「エリックはみんなを笑わせるために言ったんだと思うよ。彼のことだし、悪気はないと思う。さっきのモニカとは全然違うよ」
「え、え、」
「リリー、人を傷つけるための暴言と笑わせるための冗談を履き違えたら駄目だよ」
ルークはそう言って笑う。リリーはまた、金魚になるほかなかった。
「あ、あな、あな……」
「どうしたの?」
「あなたが言うなっ!!!!!!」
喉のすぐ底まで出かけた言葉をリリーは既のところで飲み込む。
リリーは、荒くなりそうな息をなんとか精神力で押さえつける。リリーは必死な思いで自然な笑顔をルークに見せつける。
「あなたの言う通りね。もっと勉強するわ」
「はは、でも、十分リリーは人と関わるのが上手だと思うよ。…そのせいで、いらない虫もついてくるから、こちらとしては大変なんだけどね」
ぽつりと意味深なことをつぶやき、あはは、なんてね、と意味深に誤魔化すルークにかつてはときめいていた自分がいることがリリーにとってはもはや人生の汚点である。
リリーは、え、どうしたの?と、聞こえなかったふりを繰り出した。ルークはそんなリリーを愛おしそうな瞳で見つめ、…なんでもないよ、とまた意味深に返す。リリーはそんなルークに柔らかい笑顔を向けて、それじゃあまた明日、と手を振って図書館の方へ歩き出した。去っていくリリーの背中を見つめるルークの視線に気づきながら、振り向く気など一切起こらず、リリーは無心で廊下を歩き進めた。




