1 悪役令嬢の誕生4
こうして、リリーのアリサへの虐めが始まった。
まず、アリサがいつものようにリリーに近寄ってきても、リリーはアリサをいないものかのように扱った。アリサは、今までと様子の違うリリーに動揺を隠せなかった。
王弟クリフとの食事会の場が設けられた。継父とリリーは2人でその場へ向かった。継父の用意した少女趣味のドレスを着てクリフの前に立てば、クリフはいたく喜んで彼女の容姿を褒めた。
クリフはひどく鋭い目つきで舐めるような視線をリリーに送った。まるで彼女を値踏みしているようで、リリーは鳥肌が立った。
クリフの話は終始つまらなかった。自分の自慢と、王家の素晴らしさばかりを話していた。それに対して、継父は常に彼を賞賛した。
しばらくして、継父が席を外してしまった。リリーと向かい合って座っていたクリフは、継父がいなくなったのを見るとすぐに席から立ち上がり、リリーの側に来て、リリーを抱きしめた。触れられるところ全てにサブイボが立ち、早く彼から離れたいとリリーは願った。
「お前は細いのにやわらかい。この若く美しい体は、抱けばどんな風になるんだろうな」
クリフはそうリリーの耳元で囁いた。初夜が待ち切れない、と言いながらリリーの肩をさするクリフに、リリーは泣きそうになる。あの日見てしまったアリサは、幸せな気持ちでルークに抱きしめられていたのだろうと思えば、自分がもっと惨めになった。
リリーと違い、部屋の掃除などを使用人にしてもらえないアリサは、定期的に自分の部屋を掃除していた。部屋の前の廊下をアリサが掃除していたところに、リリーが通りかかった。アリサは、最近のリリーの様子からリリーに話しかけることができず、リリーから目を逸らした。リリーは、アリサが掃除のために用意した水の入ったバケツを一瞥すると、それを蹴飛ばした。汚れた水が廊下に飛び散る。
「きちんと掃除しなさいよ。あなたの仕事でしょう」
リリーは、感情のない声でアリサに吐き捨てると、さっと彼女の横を通り過ぎていった。するとアリサが、お姉様、とリリーを呼び止める。どうしてこんな風になってしまったの、と言う不安と心配の瞳がリリーを見つめる。リリーは、腹の底から湧き上がる不快感と、彼女への憎しみに、体が裂かれそうなほど痛くなる。リリーはアリサに、なにか汚物でも見るような瞳を送る。
「私は王族に入るのよ?あなたとは格が違うの。軽々しく話しかけないでくれるかしら」
そう言うと、リリーはアリサのそばから離れていった。
リリーは、アリサがさせられる家の雑用の仕事を、見かければかならず邪魔をした。
そして、エドモンド家の令嬢たちにパーティーやお茶会の招待状がおくられてきても、リリーは今までのようにアリサにドレスを貸したりしなくなった。そのために、アリサはそういった社交の場には参加できなくなった。
とある日のお茶会にリリーが参加したとき、いつものようにルークがリリーに話しかけてきた。他愛のない挨拶をしながら、リリーは、自分がこの人と結ばれることはないのだと改めて実感して胸が苦しくなった。ルークは相変わらず美しくて、優しくて、その事実が余計にリリーを苦しめた。
「ところで、アリサは?最近君といるところをみないね」
ルークがそう聞いてきたとき、リリーは表情が凍った。そうだ、ルークはアリサと幸せになろうとしているのだ。その事も改めて知らされて、リリーは、自分にもこんな冷たい部分があるのだとまた気がつく。リリーは、アリサを虐めているとき、アリサとルークの幸せを予想するとき、自分が人間じゃなくなっていくのを感じていた。
リリーはさっとルークから視線を外す。そして、さあ、ととぼける。
「どういう気持ちの変化かわからないけど、最近こういう場に出たがらないのよあの子。昔から、あの子って侯爵家の令嬢としての自覚に欠けてたけれど、最近は本当に酷いのよ。呆れたものだわ」
リリーはすらすらと醜い嘘を吐いた。ルークは、そうなんだ、とだけ返す。リリーは、それじゃあ失礼、とルークの前から去った。
王弟との結婚を来月に控えた頃、オクトー家がパーティーを開くというので、当然リリーはそれに参加した。アリサにも招待状がきていたけれど、両親はアリサに行くように言わなかったし、リリーもいつものようにドレスなどを貸したりはしなかった。
パーティーへ向かう馬車の準備ができたため、リリーが家を出ようとしたとき、アリサがリリーを呼び止めた。
「お、お姉様…」
おずおずと、体を強張らせて話しかけるアリサを、リリーは冷めた目で見つめる。
「…私、急いでいるのだけれど」
「ルーク様から招待状が届いているのでしょう?…私にも。…私も行きたい、…です。行かせてください…」
大きな黒目に涙をためて、必死にリリーに懇願するアリサ。リリーは、そんなアリサを一瞥すると、鼻で笑った。
「どうぞご勝手に。ご自分でドレスもアクセサリーもご用意なさったらいいじゃない。あれば、の話ですけれど」
ふふっ、と扇子で口元を隠してリリーは笑った。あなたは御存知ないかもしれないけれど、その貧相な格好では、会場には入れないでしょうから、お気をつけあそばせ、とリリーは言うと、アリサを置いて去っていった。
オクトー家では、盛大なパーティーが開かれていた。王族の血筋にあるオクトー公爵家は大きな家で、しばしばパーティーが開かれていたけれど、今日のものは特に豪華だった。参加している貴族達も特に家格の高い者達や、有力な貴族ばかりだった。
リリーは、真紅のドレスを着て会場に入り、参加者達と談笑した。もうすぐ王弟と結婚するリリーは周りから丁重に扱われたけれど、かなり年の離れた王弟の後妻として嫁入りするリリーのことを周りがどう思っているのか考えるだけでリリーは惨めで、だからこそ、今日のこのパーティーでもかならず一番美しくあらなければ、という強い意志で参加していた。
パーティーが始まってしばらくすると、ルークの従者が参加者にルークの方へ視線を集めるように促した。
全員が、何事だろう、とルークの方を見た。ルークは真剣な顔をすると、今日はお集まり頂きありがとうございます、と話し始めた。
「実は私は、隣国アグラス国の王子だったのです。跡継ぎ争いが起こっていたので、危険から身を守るため、このオクトー公爵家に世話になっていました。それも一段落して、私が次期王となる話もまとまったため、来週には母国に帰ることになったのです」
ルークの突然の告白に、会場がざわついた。アグラス国といえば、リリーが住む国よりもずっと大きな国である。この国と友好関係にあるため、ルークは一旦国を出てオクトー公爵家に身を寄せることにしたようだ。
「そして、帰るのは私一人ではありません」
ルークはそう言うと、誰かを手招きした。それに呼ばれてルークの隣に立った女性に、リリーは目を見開いた。そこにいたのはなんと、美しくドレスアップしたアリサだった。アリサは頬を染めて、ルークの手を取っていた。
「(アリサ…どうして、ここに…なぜ…)」
リリーは口をパクパクとさせた。展開に頭が追いついていかない。
「彼女、アリサ・エドモンドと私ルーク・アグラスは、婚約して、2人でいっしょに国へ帰ります」
そう言ったルークに、周りは盛大な拍手で祝福した。その歓声に、ルークとアリサは顔を綻ばせる。幸せの渦中にいる2人を、少し遠いところで眺めて立ち尽くすしかないリリー。
すると、顔をしかめたルークが、リリーの方に視線をやった。リリーはルークと目が合うと、体がびくっと震えた。
「リリー、君は、なぜここにアリサがいるのか、不思議なんだろう」
ルークは、そう言って、アリサと一緒にリリーの前まで歩いてきた。周りの視線がリリーに集まる。リリーは動けないまま、2人を見つめるしかなかった。
「君が、虐め抜き、家に閉じ込めていたアリサがなぜ俺と結婚するのかも、君にはわからないんだろう」
ルークは、怒りを込めた瞳でリリーを見つめる。アリサは、ルークの背中に体を隠して、大きな瞳に涙を浮かべて、お姉様…、と心細そうに呟く。そんなアリサに、初めて彼女と出会った日をリリーは思い出していた。
「…君には失望したよ。君がこんなに心の汚い、醜い考えの女性だとは思っていなかった」
君のことは気に入っていたのに、と小さくつぶやいたあと、ルークは重いため息をついた。
周りが非難のことばをリリーに投げかける。
なんてひどい女だ。
言われてみれば底意地の悪そうなお顔をされているものね。
王子様の婚約者になんてひどいことを。
自分は王弟に身売りさせられたからって、妹に八つ当たりしてたんじゃない。
結果、妹はアグラス国の次期国王と結婚だなんて、可哀想すぎて笑える。
それらの言葉がリリーに突き刺さり、リリーは足に力が入らず、立っていられなくなった。床に倒れ込み、リリーは2人をみあげた。手入れされている彼女の髪がだらしなく額にかかる。
「…どうして…」
リリーは震える声で呟く。
「どうして!!」
リリーは悲痛な声で叫んだ。どうして私だけこんなに不幸なんだ。好きでもない人と結婚させられ、好きな人は別の女と幸せになっていくのを目前で見せつけられる。どうして、どうして。
私は昔から完璧に美しくて、周りから褒められて、甘やかされて、幸せに生きてきたのに。
いや、幸せに生きてこられたはずなのに、自分が、そうしなかった。
リリーは、開けっぱなしの目からだらしなく涙をこぼした。そうだ、自分が幸せに生きようとしなかった。いつもいつも、美しくあることにとらわれて、そのせいで自分はいつも満ち足りなかった。誰かと自分どちらが美しいか比べて、自分のほうが美しいと思うことで安心していた。そんな醜い生き様のせいで、私は、常に不幸だった。
急に声を荒げた、隣国の王子の婚約者を虐めていた悪女を、警備の者達が取り押さえた。取り押さえられながら、リリーが顔を上げたとき、会場にある鏡に映る、警備の者たちに取り囲まれる女が見えた。
「(…あれは誰だ…)」
醜く髪を乱し、顔を歪める女は、リリーがいつも鏡で見ていた女ではなかった。
化け物だ。
リリーは、鏡に映る生き物を見ながら他人事のように思った。
私はいつから化け物になっていたのだろう。受け入れられる器もないのに、王弟の後妻になると決めたときからだろうか。ルークとアリサが想い合っているとわかったときからだろうか。いや、もしかしたら、ルークに出会って、自分の見た目にコンプレックスを抱くようになってから、少しずつ自分は歪んでいっていたのかもしれない。
「君って、かわいそう」
どこからか声がして、リリーは顔を上げる。すると、羽の生えた妖精のような生き物が、笑いながらリリーを見下ろしていた。
「やり直させてあげようか?」
妖精の言葉に、リリーは、やりなおす?と頭の中で繰り返す。やり直すったって、どうやって?どこから?私は、どこをどうすればよかったの?
そんなことを考えながら、リリーはどんどん気が遠くなる。視界も真っ暗になり、リリーは完全に意識を手放した。