12 優しい瞳2
「聞いたわよ聞いたわよ!告白、したんですってね!」
演劇祭の翌日も普通の授業の日だった。授業の合間の休み時間にカトレアと話していたところにサーシャが間に入ってきて、興奮した様子で話しかけてきた。サーシャの言葉に、リリーは、動揺して目がまん丸になり、体が大げさなほど震えた。カトレアは、呆れたように、また誰かが誰かに告白したの、と聞いた。リリーは、ばくばくと心臓の鼓動がうるさいまま、顔をうつむかせた。
「誰って、知らないの?モニカよ、モニカ・コリンズ!モニカがルークにとうとう告白したのよ…!」
「も、モニカ?」
リリーはマヌケな声が出たあと、自分のことじゃなかったことに安心してため息が出た。
演劇祭の日の、打ち上げ会場にシリウスと向かう途中、リリーはシリウスになんとプロポーズをされたのだ。顔を真っ赤にしたリリーとは対照的に、シリウスはいつもの様子だった。リリーが動揺していると、また考えておいてくれ、とだけ言った。その後2人で打ち上げへ向かった。友人や、大道具役として働く中で親しくなった生徒たちと色々会話をした気がするけれど、正直リリーはほとんど記憶がない。
「(私は一体、シリウスとどんな顔をして会えば…)」
「モニカ…そういえば、今日休みね」
「傷心で寝込んでるんじゃない?打ち上げの最中ルークに告白したらしいけど、玉砕したらしいわ。数人が、バルコニーでモニカがルークを呼び出して告白するところを見かけたらしいんだけど、私はその場に居合わせなかったの!嗅覚が冴えてなかったわ…本当に残念」
「モニカがルークにねえ。劇のお話通りには行かなかったのね」
カトレアがそう、特に興味もなさそうに返す。サーシャは、それでね、とそんなカトレアに構わず興奮した様子で続ける。
「代わりに、エリックが例の妹役の女子生徒に告白したところは見かけたのよ!でも、イマイチ伝わってなかったみたいだったわ。というよりも、相手にのらりくらり上手くかわされてた感じね。気の毒だったわ〜」
「エリックが、ねえ…」
リリーは、あの日彼に豚呼ばわりされたことを思い出し、何も気の毒には思えなかった。サーシャは、ああいう純朴な少年が振り回されるのは気の毒よ、だからああいう守ってあげたくなるようなオーラを出す女は気をつけなきゃ駄目なのよ、と熱弁する。リリーは、エリックのことを考えたくもなくて顔がこわばる。
「(純朴な少年が人を豚だなんて言うかしら)」
「サーシャって、本当にかよわい女子生徒が気に食わないのね。男子に人気だから?」
「かよわいフリをした女子生徒よ。訂正しておいて」
「はいはい」
カトレアは、サーシャが楽しそうで何よりだわ、とさして興味なさそうに返す。サーシャは、ルークとモニカの噂話をしだした女子生徒の存在に気が付くと、それじゃまた、と言って素早く去っていった。カトレアは、その背中を見送った後、それで、とリリーの方を見た。
「あなたに色々聞きたいことがあるわ。今日のお昼はお弁当を買って中庭で食べましょう」
「ええ。でも、ここでは聞けないこと?」
「サーシャ・ベルの目があるところではね」
カトレアの言葉にリリーは、彼女には察しがついているのか、と気が付き、顔を赤くして伏せた。
お昼休みになり、リリーとカトレアは、カフェテリアでランチボックスを購入すると、人けの少ない中庭にやってきた。ここは、前世でルークがここで隠れて会おうと言ってきた場所で、リリーはなんとなく微妙な気持ちになった。
2人はベンチに腰掛けて、ランチボックスのふたを開けた。おいしそうなサンドイッチにリンゴが入っていた。
「それで?シリウスと何があったの?」
カトレアが、サンドイッチを片手に取り、リリーに尋ねた。リリーは、顔を赤くして、ぐぬ、と言葉を詰まらせた。
「ねえ、なぜ私たちに何かあったってわかるの?」
「2人で打ち上げパーティーに来たかと思ったら、そのまま2人が別々にばらけるし、あなたも心ここにあらずだし、これは何かあったなって」
「…」
「喧嘩したの?」
「ちっ、違うわ」
「それならプロポーズかしら」
「…」
リリーは、顔を赤くして黙り込んでしまった。それに、なるほどね、とカトレアは頷いた。
「リリーって、婚約者はいたかしら?」
「いいえ、いない、わ」
「シリウスのことが嫌い?」
「いいえ、彼はとってもいい人だから…」
「それなら、悩むことないじゃない」
「…」
「シリウスの家の経済状況が良くないから不安?」
「(そ、そういえばシリウスの家って貧乏だって言ってたわね)…それは、まあ、お互い様だし、私の家も小さなものだし…」
「それなら、何を悩んでいるの?」
「…」
リリーは、自分で自分に問いかけた。私は、何が引っかかるのだろう。なぜ手放しで、シリウスの申し出に応えられないのだろうか。
リリーは、しばらく黙ったあと、私ね、と口を開いた。
「私、ずっと好きな人がいたの。もうずっと、ずーっと昔から」
カトレアは、黙ってリリーの瞳を見ていた。リリーは、自分の膝の上にある手を眺める。そして、スカートの裾をぎゅっと握りしめた。
「その人に、最近、本当に最近、失恋したの。…思いを伝えたわけじゃない。その人の今まで見たことのない一面を知って、失望してしまったの」
初めて学校であったときの、リリーを嘲笑する顔。豚と言ったエリックに同調して笑うあの顔。ルークの今までの優しくて誠実な姿が、美しいリリー相手だからこそのものだと知って、どうしようもなく気持ち悪くて、気味悪くてたまらない。相手の容姿に対して土足で踏みにじるその態度が許せない。そして、昔の自分もまた、同類であったことも、更には、一人の女性を虐めてしまったことも、腸が煮えくり返るほどの怒りが湧くし、そして、哀しくなる。
「それでも、私はつい最近までその人のことを想っていたし、…私自身も、その人に対して失望した一面を持っていたこともわかっている。私なんかには、シリウスを好きになる資格がないの」
リリーはそう言った後、唇が震えた。自分と他人の容姿を見比べて感じた優越感を思い出して胸が詰まり、リリーは、はあ、と重い息を吐いた。カトレアは、そんなリリーを見た後、何を言っているの、と笑った。
「好きな人なんて、どんどん変わるものよ。ずっとその人を想っていたから、新しく自分を想ってくれる人に失礼なんて考えはナンセンスよ。それに、昔のあなたは酷い一面があったかもしれない。それでも今、あなたはそれを酷いと理解している。そうやって変わっていけばいい。少なくとも私の目から見える今のあなたは、軽蔑するような側面なんかないわ」
カトレアは、そう言うと彼女の鞄から一冊の冊子を取り出した。そして、リリーに差し出した。冊子には、演劇祭でした劇の題名が書いてあった。
「これは…」
「これが、前に読んでもらいたいって話した、修正する前の台本」
リリーは、カトレアから台本を受け取った。カトレアは、眼鏡の奥の瞳をまっすぐにリリーに向ける。
「あなたをヒロインと思って書いたって、話したわよね?」
「…ええ」
「少なくとも私からは、あなたはこう見えていたわ。…ただの妄想だと言われたらそれまでだけれどね」
カトレアは、ランチボックスの蓋を閉めると、また時間がある時に読んで、と言って、リリーを置いてベンチから立ち上がって歩き出した。
リリーは、カトレアの背中を少し長い間見つめた後、視線を台本に移した。リリーは、少し悩んだ後、ゆっくり表紙をめくった。
ストーリーは、とある国の姫と、その隣国の王子のラブストーリーである。友好国同士の王族である2人は幼い頃から会う機会があり、愛を育んでいたが、次第に両国の関係は悪化し、とうとう2人の愛情は戦火に巻き込まれていく、というものだ。最後に2人は、国を捨てて、2人が共に生きられる場所を探しに行く。
リリーは、ゆっくりと読み進めた。劇でした話よりも、姫はずっと優柔不断で、他人の幸せを願う余り自分を不幸にしてしまっている。そして王子は、もっと寡黙で、自分の頭で考えすぎる余り言葉が足らず、他者とすれ違うことが多い。
「(…この王子って…)」
リリーは、この王子が、王子という側だけで周りはルークを推していたけれど、この役の中身はルークでは全くないことに気がつく。
「(背がぐんと高くて体が大きい、黒髪に涼し気な瞳…)」
王子の容姿を表現した部分に、リリーは、カトレアが姫の相手である王子を、シリウスと思って書いていたことに気がついた。
「(…カトレアは、前から私がシリウスに惹かれていることに気がついていたんだ…)」
カトレアから見ても、リリーがシリウスに恋していたのが明白だったのだろう。前はルークのことがリリーは好きだった。けれど、いつの間にか、自分でも気が付かないうちに、リリーはシリウスに恋をしていたのだ。
リリーは、震える指先でまた1枚また1枚とページを捲る。
「…他人はあなたのことを許さないかもしれない。だからこそ、あなたが自分を許してあげなさい。愛してあげなさい。あなたが愛されるに値する人間だということを、私は知っているのだから……」
劇にはなかった、王子から姫への言葉をリリーは小さな声で読み上げた。リリーは、その言葉を読み上げたとき、目に涙が浮かんだ。
自分を許す。自分を愛する。そんなことができるだろうか。簡単そうに見えて、リリーには途方もなく難しく思えた。ずっとリリーは、自分の見た目に気を使ってきた。他人にどう思われるかを気にしていた。それでも、自分を愛せていただろうか。自分が美しくても、他人から容姿を褒められても、鏡に映る美しい自分に満足しても、自分で自分を愛せていただろうか。これから先、間違えた人生を送って、過ちをおかしてきたきた自分を許せるだろうか。
「(…わからない)」
リリーは、台本を捲る手が止まった。目に浮かんだ涙を指で拭い、リリーは俯く。
「あれ?リリー」
声がして、顔を上げると、そこにはマークとシリウスがいた。
「あっ…」
「珍しいね、ここでお昼ご飯なんだ」
「えっ、ええ…」
「僕たちもたまにここで食べるんだ〜」
ね、とマークはシリウスに話を振った。シリウスは、そうだな、といつもの無愛想な様子で返した。二人の手には、ランチボックスがあった。リリーは、シリウスの顔を見られない。
マークは、リリーとシリウスの顔を順番に見た後、あっ、と声を漏らした。
「僕、先生に呼ばれてたんだった。先に2人で食べててよ」
じゃあね〜と、マークは朗らかに言うと、足早に去っていった。リリーは、えっ、と声を漏らしてマークの背中を見つめた。
「(…ふ、ふたりきりにしないで…!)」
「…わざとらしいな…」
シリウスがため息をつきながら、髪をかいた。リリーは、恐る恐るシリウスを見上げる。シリウスは、リリーの視線に気がついて、リリーの方を見た。リリーは、ばっと視線をそらした。心臓がシリウスに聞こえそうなほど速く脈打つ。リリーは、どんどん赤くなる頬に焦る気持ちが湧き上がる。
「(どうしよう、一体こういうとき、何を話せば…)」
「…困らせたか?」
「えっ?」
リリーは、シリウスの方を見た。シリウスは、リリーから視線をそらして空を見上げた。そして、そりゃあ困るか、と呟く。
「え、えっと…」
「返事はいつでもいい。断るなら構わず言ってくれ。恨んだりしないし、もう君の前に二度と顔も見せない」
「えっ、え、ええ、え、あの…」
シリウスは、それじゃあ、と言うと、リリーに背中を向けた。リリーは、口をパクパクとさせた。何を言っていいのか、言葉が何も浮かばない。それでも、今シリウスに言わなければ、このまま終わってしまうと、リリーは察した。そして、それだけは絶対に嫌だと、リリーは思った。
「私、あなたに好かれるような価値、ないかもしれない」
リリーは勢い良くベンチから立ち上がった。リリーの言葉に、シリウスは立ち止まった。そして、リリーの方を振り向いた。
「あなたに好かれるような、たいそうな人間じゃない、あなたが想像するような良い人間じゃない、そう思ったら、…怖くって」
リリーは、腕の中にある台本を抱きしめる。恐怖に体が震えた。胸の鼓動が速くて、倒れそうなほど息が苦しい。
シリウスは、そんなリリーを少し長い間見つめた。そして、目を伏せた後、リリーの瞳をまっすぐに見つめた。
「俺は、俺が知っている君のことが好きだから、心配するな」
シリウスの言葉に、リリーは力の抜けた、え、という声が漏れた。
「そもそも、全て他人が想像する通りの人間なんて存在するのか?いたら恐怖だ」
「そ、それは、そう、か…」
納得した様子のリリーを見て、シリウスが小さく吹き出した。リリーは、そんなシリウスを見上げる。シリウスはリリーに、悪い、と少し笑いながら続けた。
「可愛いと思って」
「え?」
「君が、途方もなく」
リリーは、顔がどんどん赤くなるのを感じた。可愛いや美しいなんて、いくらでも言われてきた。それなのに、こんなにも胸の奥がくすぐったいような、恥ずかしいような、そして、嬉しいような気持ちになったのは初めてだった。それは、シリウスが、見た目だけを見て言っているからではないと、リリーがわかっているからだ。
シリウスは、少しバツの悪そうな顔をして、頭を掻いた。
「…前は、雑なプロポーズをして悪かった」
「え?」
「初めてあんなことを言ったから、どう言ったら良いのかわからず、あんな言い方しかできなかった」
昨日、プロポーズをしたシリウスの顔をリリーは思い出した。いつものぶっきらぼうな様子だったシリウスは、実は内心色々考えていたのだと思うと、リリーは、胸がきゅんとするのを感じた。
シリウスは、一度目を伏せた後、まっすぐにリリーを見つめた。シリウスの優しい瞳に、リリーが映る。
「正直、俺の家は裕福じゃない。それでも、必ず君を幸せにすると誓う。だから、どうか俺と結婚してほしい」
リリーは、そんなシリウスを見つめる自分の視界が、どんどん涙でにじむのを感じた。
自分を許せるだろうか。自分を愛せるだろうか。
リリーはまた自分自身に尋ねる。できるのかわからない。そんなこと、できるのか。それでも、この人が私を愛してくれるのなら、そうだというのならできるのかもしれないと、そうリリーは信じられた。
「私も、シリウスの事が好き。あなたと結婚したい」
リリーがそういったとき、頬に涙が溢れた。そんなリリーを、シリウスが抱きしめた。シリウスの大きな腕と体に包まれて、リリーは安心したように目を閉じた。この人のことが好きだ。リリーはまた心の奥底からそう思った。
リリーとシリウスは、ベンチに腰掛けた。草木が青々と茂る中庭を、まだ夢見心地の頭のリリーはぼんやりと眺めた。
「君の家に、了承を得に行かないと」
シリウスが、そう言った。リリーは、確かに、と思った。そのときふと、冬休みに会ったときに聞いた叔父の言葉を思い出した。
「…叔父様、私の結婚相手を探すとか言ってた…」
もし、叔父がなにか縁談を纏めていたらどうしよう、とリリーは不安になった。そんなリリーの手を、シリウスが握った。
「大丈夫だ。俺が説得する、必ず」
シリウスの言葉に、リリーは頷いた。きっとシリウスならそうするのだろうと、リリーは信じられた。
リリーの手にある台本を見て、シリウスは、それ、と指を指した。
「これ、カトレアが書いた台本の大元よ。劇でしたものは、色々あって結構改変したらしいから、もともとのカトレアの台本を読ませてもらってたの」
「そうだったのか。カトレアも苦労したな」
「ふふ。でも、すごく評判がよかったから、劇の内容は、それはそれとして気に入ってるみたい」
シリウスは、そうか、と少しだけ口元を緩ませた。リリーはそんなシリウスを見つめた後、くすくすと笑った。シリウスは、どうしたんだ、と尋ねた。リリーは笑いながら、ねえ、と口を開いた。
「ヒロインと主役のモデル、誰だか知ってる?」
「モデルがいたのか?…想像つかないな」
「私とあなたみたいよ」
「は……」
シリウスは目を丸くしてかたまった。リリーはそんなシリウスを見てまた笑った。
「やっぱり、あなたは王子が似合うのよ」
「やっぱり?」
シリウスが首をかしげる。そんなシリウスに、シリウスが王子みたいだというやりとりをしたのが今世か前世かわからなくなり、リリーは慌てるが、私の中で思ってたの、とつけたした。シリウスは、困ったような、納得いかないような顔をして、俺は王子って柄ではないだろ、と言った。リリーは、そんなシリウスを見つめて、愛しさが溢れる。ああ私はこの人が好きだと、改めてリリーは感じる。
「それでも、私の中ではあなたが王子様だわ」
「それはどうも。…いや、やっぱりやめてくれ、柄じゃない」
とうとう恥ずかしくなってきたのか、ふいとリリーから顔をそむけたシリウスに、リリーはまた、この人が好きだと思った。きっとこれから、何度でもそう思うのだろうと、リリーは信じられた。




