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12 優しい瞳1

演劇祭の準備は終盤を迎えた。

役者の生徒達は毎日練習を重ね、道具係や衣装係など裏方の生徒達も毎日学校に残って準備をしていた。卒業したら、家のために跡取りとしての本格的な仕事が始まったり、結婚へ準備をしたりなどする役目を持つ貴族の貴族たちは、自由な学校生活最後の大きなイベントということで、特別な気持ちで臨む人が多かった。


リリーは、3回目の演劇祭にして初めての裏方役だった。自分の役目にばかり懸命になっていて、周りを見る余裕がなかった前世では、こんなに裏方が大変だとはリリーは知らなかった。それでも、同じ大道具係の生徒達と協力して、顔に絵の具がついたのを笑い合ったりして作業することは、とても楽しかった。





「だいたい、脚本に対するリスペクトってものがないのよ」


カフェテリアにて、リリーとカトレアがお互いの演劇祭に関する作業を終えた放課後、2人は集まってお茶をしていた。カトレアは拗ねたようにコーヒーをごくごくと飲み干し、頬杖をついた。リリーはそんな彼女を心配そうに見つめる。


「自分ならこう言いたいから台詞を変えろ、自分ならこう行動するから話の流れを変えろって、あなた方の話じゃなくってよ…!」


カトレアは悔しそうに唇を噛んだ。どうやら、ヒロインであるモニカが、劇のヒロインの言動が気に入らなかったようで、複数の箇所について変更するように希望したらしい。それに応じなければ彼女が拗ねることは脚本役の生徒達にも、他の役者達にも目に見えていたため、変えざるを得なかったらしい。それをみた他の数人の生徒達も、変更を希望してきて、脚本役たちは本番を前にして修正地獄の大混乱に陥っているらしい。ちなみに、その変更を希望した生徒の中に主役であるルークもいたらしい。

リリーは、そんなカトレアの背中をさすり、お疲れさまです、と労った。カトレアは、唇を噛み締めたま、リリーを見あげた。


「…そもそも私の脚本の中では、あなたがヒロインだったのよ」


カトレアの言葉に、リリーは、え、と声を漏らす。カトレアは、目を伏せた。


「…でも、お姫様はみんなが思う美人じゃないといけないって脚本役たちの中での共通認識だったから、私、あなたを推せなかった。私本当は、ヒロインはあなたにしてほしかった。…あんな底意地の悪い人じゃなくって…」

「カトレア…」

「そもそも、どうして舞台に立つヒロインは美しくないといけないのかしら。美しくなければヒロインにはなれないの?」


カトレアが、はあ、と大きなため息をつく。リリーは、そんなカトレアに言葉が詰まる。

前世では、リリーは美しくなければいけない呪いにかかっていた。誰かと比較して、その誰かより美しくなければならないのだという呪いに。誰かより美しいからこそ他者に認められ、自分が自分でいられるのだと。それでも、そんな考え方は、彼女にとっては合わないものだった。美しさにしがみついて精神を削った先に彼女に残されたものは、化け物となった自分だけだったのだから。

そして3回目の人生で、リリーはとうとう美しくありつづけることをやめた。誰に見惚れられて振り返られるわけでもなく、美しいと噂されるわけでもない人生になった。そんな人生が、今までの美しくあれないことを恐れるリリーが想像したようなものだっただろうか。


「(…ううん、違う)」


リリーは、そう確信を持って言えた。美味しい物を美味しいと笑って食べられる。甘いものを美味しいと、とろける気持ちで食べられる。誰かと顔をしわくちゃにして笑いあえる。そんな人生を歩んできたリリーは、両親に愛されて、叔父と叔母にも愛されて、もちろん彼女も彼らを愛して、心通いあえる友人をたくさん見つけられた。ありのままのリリーに対して心ないことを言う人もいる。それでも、周りから称賛され続けるために美しさに執心して精神をすり減らしたかつての自分よりも今が幸せだと、リリーは胸を張って言えた。美しさこそ一番の幸福だと言う人もいるだろう。しかし、リリーにはその価値観が合わなかったのだ。そんなことに、ようやく彼女は気がついたのだ。


「…私、舞台に立てなくたっていいの」


リリーは、そう言葉を発した。カトレアは、リリーの方を分厚い眼鏡の奥から見つめた。リリーは、カトレアの方を見て微笑む。


「もちろん、舞台に立てられたら素敵よ。それに値する能力や、努力の結果が認められることだもの。でもね、私には柄じゃないの。私は今みたいに、舞台の下でのびのびと生きるほうが性に合ってるのよ」


そう言うと、リリーは胸の奥が晴やかになるのを感じた。3回目の人生にしてやっと、呪縛から解かれたようだった。結局リリーは、他人に自分の幸せの判断を委ねていた。しかも、美しさという、いつかは必ず衰えるものを尺にして。

カトレアは、コーヒーの入ったカップをソーサーに置いて、少しだけ息を吐いた。


「…なんだか、舞台に上がれないことが不幸だって、そう思うことが驕りよね。なんだか、考えさせられちゃった」

「カトレア…」

「うん、よし!私、舞台裏の仕事を胸張って頑張るわ。絶対に成功させたいから」


カトレアは、もう一度ごくごくとコーヒーを飲むと、台本の入った鞄を持ち、ちょっと図書館行ってくる、と言って立ち上がった。リリーは、がんばって、とカトレアを励ました。


「また、色々言われて訂正する前の話、あなたに読んでほしい」

「ええもちろん。楽しみにしているわ」


カトレアは、眼鏡の奥の瞳を細めると、それじゃあね、とリリーに手を振った。





そうして、演劇祭の日がやってきた。リリーは、大道具役として、舞台が始まる前から同じ係の仲間たちと準備をした。別室で最後まで練習をしていた役者の生徒達は、準備ができてからやってきた。皆、緊張した面持ちをしていて、前世の自分もこんな感じだっただろうか、とリリーは思った。あのルークやモニカもいつもの表情がぎこちなくて、いつもとかわらないのはマークだけだった。


下級生たちが会場に集まり、舞台の客席からざわざわと声が聞こえてきて、3年生たちはどんどん緊張がましてきた。リリーは本番でも、何回か舞台の場面転換の際に仕事がある。それを上手くこなすことができるように、リリーは祈っていた。


時間になり、幕が上がった。リリーは舞台の裏側で、光の当たる舞台を舞台袖から少しだけ覗く。笑いが起きる場面や、息を呑むような場面が流れ、観客たちの表情に、ああカトレアたちの脚本はやっぱり素晴らしいのだとリリーは再確認した。

そして、ルークが登場したり、かっこいい立ち回りをするたびに上がる黄色い悲鳴に、リリーは苦虫を噛み潰したような顔になった。


「何事もなく進んでるな」


シリウスがリリーの隣にやってきた。リリーは、ええ、と小声で頷く。


「なんだか、何回も練習風景を観ているのに、本番だと初めて観るような感動があるわね」

「確かに。マークも様になってるな」

「そうよね。最初配役を聞いた時は、マークと正反対だから勝手に心配してたけど、そんなの無用だったわね。本当に演技上手よね」

「ああ。マークからは想像できないな」

「いいえ、彼にはその素質があるのよ」


リリーとシリウスの間から、ぬっとカトレアが顔を出した。2人はびくりと体を震わせて、カトレアの方を振り向いた。


「そ、そしつ?」


シリウスが首をかしげる。カトレアは、もちろん、私の妄想の中でだけどね、と付け足す。そんなカトレアに、リリーはくすくすと笑った。



劇は、盛大な拍手の中幕を下ろした。結ばれた王子と姫が抱き合い、見つめ合う様子を、観客たちは涙を浮かべて祝福した。リリーたちの演劇祭は大成功のうちに終わった。








劇の片付けを終えて、生徒たちは打ち上げの会場に向かった。カトレアたちと打ち上げに行こうと話が上がったので、今世ではリリーは打ち上げに参加することにした。しかし、教室に忘れ物をしたことに気がついたリリーは、カトレアたちには先に会場に向かってもらうことにした。

騒がしい演劇祭の音が、まだリリーの頭の中では反響しているのに、教室へ向かう廊下は静かで、リリーはなんだか不思議な気持ちがした。胸がドキドキとしていて、何とも言えない充足感があった。

教室で忘れ物を見つけて、会場へ早足で向かう途中、男子クラスの教室の前を通ったとき、教室から出てきたシリウスと出くわした。シリウスは勉強道具を抱えており、どうやら図書館に向かうようだった。


「シリウス、今から図書館?」

「ああ。君は?」

「私は打ち上げに向かう前に忘れ物を取りに来たの。今から向かうから、シリウスも一緒に行きましょうよ」

「もうすぐ卒業だから、後悔しないように、勉強したいんだ」

「あら、図書館での勉強はまだできるけど、演劇祭の打ち上げは一生の内今日しかないわ」


リリーは、ね、とシリウスを見上げる。シリウスは目を見開いた後、少し困ったように視線をそらした後、まあ、たしかに、と素直に頷いた。そんなシリウスに、リリーはゆっくり微笑む。


「なら、決まりね」


リリーは、そう言って歩き出した。シリウスは、それに続いた。他に誰もいない廊下は静かで、2人の足音が響く。


「そういえば、もう卒業なのね」


リリーは染み染みとしながらそう言った。シリウスは、そうだな、と言った。


「なんだか、卒業するのが寂しいわ」


リリーは、自分の口からこんな言葉が出たことが驚きだった。今までなら考えられなかった。


「シリウスやカトレアやマークたちとまだまだ一緒に、難しい問題を教えてもらったり教えたりしたいし、他愛ない話もしたいし、あ、図書館でまだ読みたい本がたくさんある」 

「そうだな、楽しかったな」


シリウスは懐かしそうにそう言ったあと、そういえば、と話しだした。


「前に借りた、【愛とはいずれ】やっと読んだんだ。物語なんて読んだことがなかったから時間がかかったけど、面白かった」

「そう、それはよかった」

「それに、兄さんはこんな話が好きで、よく読んでたんだなって思ったら、なんだか兄さんが近くに感じられて、嬉しかった。ありがとう」


シリウスは、そう言って小さく口元をほころばせた。リリーはそんなシリウスを見あげて、ううん、と頭をふった。


「お礼を言われるほどのことじゃないわ」

「言われるほどのことだよ」


リリーとシリウスは目を合わせて、そして2人して小さくくすくすと笑った。リリーは、笑いながらシリウスを見つめた。笑い合えたことが嬉しいはずなのに、なぜか胸の何処かが苦しくて切ない。


「ねえ、シリウス」

「なんだ?」

「私たち、卒業してもまた会えるのかしら」


リリーの言葉に、シリウスは目を丸くした。


「俺に会いたいと思ってくれるのか?」


シリウスがリリーに尋ねた。リリーは、え、と声を漏らした。リリーは少しだけ黙って考えた。リリーは、胸の奥が強く強く締め付けられるのを感じた。お腹の底からどきどきして、呼吸すら苦しい。リリーは、しばらく考えたはずなのに、ほとんど衝動的に口を開いた。


「私、あなたに会えなくなることが寂しい。とてもとても、さみしい」


リリーは、そう言い終えた後、さらに胸の鼓動が高鳴るのを感じた。頬が内側からかっと熱くなって、どんどん赤く染まっていくのを肌で感じた。

シリウスは、そんなリリーを真っ直ぐに見つめた。そして、なら、と口を開いた。リリーはシリウスをみあげる。シリウスの優しい青緑色の瞳が、リリーを映す。


「なら、俺と結婚しよう」

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