11 初恋は腐り落ちた2
年が明けて、もうすぐ春になろうというころ、3年生は講堂に集まって、教師主導のもと演劇祭の役決めが始まった。生徒たちは、自分が何になるのかそわそわしていたが、カトレアは、無事脚本役に選ばれたため、この役決めの場では落ち着いていた。
リリーはカトレアやクラスの仲良くしている女子たちと固まって、隅の方で座っていた。ルークやモニカたちは講堂の中心に集まって座っていた。
今までの通り、主役はルークが満場一致で決まった。そして、ヒロイン役はすぐにモニカが手を挙げ、それに対抗する生徒はおらず、そのままモニカで決まった。
「(…今までは女子たちの思惑がからみまくってたのに…)」
「女帝には逆らえないわよね」
リリーとカトレアの間から、いつの間にいたのか、ぬっとサーシャが顔を出し、面白そうにそう小声で言った。リリーは、え、と小さな声を漏らした。
「女帝って?」
リリーがひそひそとサーシャに尋ねると、モニカに決まってるでしょ、とサーシャが小さな声で面白そうに返した。
「モニカ様がやりたいなら、周りの女子は反対できない。怖いものねー」
「(まあ、わかる…)」
「ルーク狙いの彼女がヒロインをやりたがるの、私は読めてたわよ。でも、この心優しいヒロインってのとは真逆だから、劇見てたら笑っちゃうかもね」
サーシャの言葉に、サーシャの友だちがくすくすと笑う。カトレアは、無念そうにヒロイン モニカ と書かれた黒板の文字を眺める。
「…彼女の演技が素晴らしいことをいのるわ」
「見た目は美しいから、舞台映えはするわよ」
サーシャが、慰めのようなそうでないようなことを言う。カトレアは、それだけが救いね、と自虐的に返した。そんなやりとりに、モニカたちに虐げられてきたリリーの友だちたちも、カトレアを不憫に思いながらも、小さくクスクスと笑う。
すると、サーシャが、あ、と声を漏らした。
「エリック、やっぱり主役の騎士役に立候補したわね。あの役の恋人役であるヒロインの妹役があの子だから、なりたがると私は読んでたわ」
「え?どうして?」
「知らないの?エリック、あの妹役の子が好きなのよ」
サーシャの言葉に、黒板に書かれた名前を見る。モモ・ダンという名前の彼女は確か、モニカと一緒にルークの輪にいる女子の1人である。雰囲気はほんわかしていて、癒し系と周りからは言われているが、モニカと一緒になってリリー達を嘲笑する側の人間なので、リリーは敵対視している。
「(前世はアリサで、今世ではあの女の子が好きなわけね、エリックは)」
「男性ってああいう、守ってあげたくなるタイプがどうして好きなのかしらね。あー、やだやだ」
サーシャは、つまらなそうにそう吐き捨てる。そんな彼女に、カトレアが、そういうものよ、と達観したように言う。そんなカトレアが面白くてリリーは吹き出すが、ふと、またアリサのことを思い出して笑顔が止まった。
アリサはどうしているのだろうか。リリーは、折に触れてはアリサのことを思い出していた。自分がエドモンド侯爵家に行かなかったから、アリサはこの学校には来なくなったのだろうか。アリサはどうしているのだろうか。考えても考えても、何もリリーにできることはなかった。
役決めはスムーズに終わり、リリーはカトレア以外の友だちと一緒に大道具役となった。シリウスも大道具役で一緒だった。マークは敵国の王子役となっており、そこはカトレアの妄想通りだったらしく、これだけで脚本書いた甲斐があった…!と感動していた。
前世では主役級だったので、台詞を覚えることや演技に苦心していたけれど、大道具役はかなりの体力を使うことに苦心した。人数が多いから、そこまで自分の仕事は割かれないかな、と楽観視していたがそんなことはなく、ほとんど毎日、放課後に集まって、日が暮れるまで作業をした。リリーは、その作業の後図書館へ向かって勉強をしたり、本を読んだりしていた。そして、タイミングが合えば、リリーは同じ大道具役のシリウスと一緒に図書館へ向かっていた。
ある日の作業終わりに、リリーが図書館へ向かおうとしていると、シリウスが声をかけてきた。
「今から図書館か?」
「ええ。シリウスも?」
「ああ。でも、教室に忘れ物をしたんだ。先に行っててくれ。すぐ追いつく」
シリウスはそう言うと、急いで教室へ向かった。リリーは、少し迷ったあと、最初から一緒に図書館へ行こうと思い、シリウスの後を追いかけた。
めったに来ない、男子クラスの扉の前にリリーは来た。シリウスを探すために部屋を開けようとしたら、中から騒がしい声がするのが聞こえた。扉の小窓から覗くと、どうやら、ルークとエリック、それにモニカとその女子の友だち3人が教室で集まって話し込んでいるようだった。
シリウスは、自分の席に座り、机の中から何かを探しているようだった。すぐに一冊のノートを取り出すと、シリウスは席から立ち上がった。すると、そんなシリウスに、エリックが話しかけた。
「なあ、シリウスって、あの豚と仲良くしてるんだろ?」
エリックが、嘲笑うようにシリウスに話しかけた。シリウスは、エリックの方を見た。
「豚?」
「リリー・テラーだよ。大道具の仕事終わった後、よく2人で図書館行くとこ見かけるぜ」
「あんなデカい子といたら、恥ずかしくない?」
モニカがくすくすと笑う。それにつられるように、女子たちも笑う。リリーは、頭の中が真っ白になった。自分が豚だと言われて笑われている。そんな事実が目に入るけれど、頭で上手く理解できない。手足が震えて、背中に汗が伝う。自分の見た目が笑われている。醜いと、笑われている。
「豚って…」
そう言ってルークも笑っていた。リリーは、可笑しそうに仲間と一緒に笑うルークの顔を見て、心の中で何かが崩れ落ちるのを感じた。
やっぱり。
本当は、わかっていたことかもしれない。ルークは、美しいリリーが好きで、今の醜いリリーは嘲笑の対象なのだ。私は彼を、誰にでも平等で、正義感の強い人だと思っていた。でもそれは幻想で、実際は、見た目のことだけで人を一笑いのネタに使ってしまうような男だったのだ。リリーは、頭の中が真っ暗になって、視界がチカチカするのを感じた。
「笑えねえよ」
シリウスの冷たい声が響いた。その声に、周りの笑い声がすっと止む。
「何も面白くねえから」
シリウスはそう言うと、ルークたちの方は一切見ず、扉の方へ向かってきた。エリックは、冗談も通じねえのかよ、と不服そうにしていたが、それにもシリウスは一切反応しなかった。そしてシリウスは扉を開けた。そのとき、扉の前にいたリリーとシリウスの目が合った。
「あ…」
ルークとその仲間たちが気まずそうに声を漏らす。シリウスは、行くぞ、というと、リリーの腕を引いて早歩きでその場を去った。
図書館の前まで、ただ黙々とシリウスはリリーの腕を引っ張った。リリーが、足、速いよ、と息切れ切れで言うと、シリウスは足を止めた。そして、悪い、と呟いた。リリーは、ううん、と頭を振った。シリウスは、そんなリリーを見て、すぐにリリーから視線をそらした。そして、少し黙ったあと、聞こえたか、と尋ねた。
「え?」
「いや、…なんでも」
「…豚の話?」
「まあ、聞こえてるよな…」
「いいの、本当のことだから」
リリーは、シリウスに心配かけたくなくて、無理に笑ってみせた。シリウスは、そんなリリーの目を見て、自分の瞳を心配そうに揺らした。
「…」
「…」
シリウスが、何か言いたそうに、しかしなんと言って良いのか迷っているような、そんな顔をした。前に、ルークと学校で久しぶりに会ったときも、シリウスはこんな顔をしていたようにリリーは思った。シリウスは視線を、リリーと外の風景とで何度も行き来したあと、やっとの思いで口を開いた。
「…あの誕生日パーティーの日、初めて君に会ったとき」
「ええ」
「…自分の意に反して、ルークと離れようとしているように見えた」
シリウスの言葉に、リリーは目を丸くした。
「君は、ルークが好きなんだろ?…だから、さっきのこと、傷ついているんじゃないかって、思ったから」
シリウスはそう言って、余計なこと言ったなら謝る、と言った。リリーは、胸の奥がざわついた。
ルークが好きだった。初恋だった。3回も人生をやり直したのに、リリーはずっとルークが好きだった。それなのに、結局のところルークはリリーの顔が好きなだけだった。そして、醜い人にはひどい仕打ちをしても構わないと思っている男だった。
リリーは、好きだった人がこんな奴だったという事実に、悲しみが湧くかと思ったら、強い怒りが湧いてきた。ルークに対する怒りか、こんなことも見抜けなかった自分への怒りか。
「好きだった…そうね、そうだった」
リリーは拳を強く握りしめた。リリーはルークが好きだった。でもそれは、今となってはもう過去の話。あんな、見た目しか見ないようなつまらない男、しょうもない男、こちらから願い下げである。
「でももう、私の中でどうでもいい人になった。長い時間がかかったけれど」
リリーは、深呼吸をした。ふうー、と長く息を吐いた後、よし、と気合を入れた。なんだか胸がスッキリとした、とリリーは思った。自分の中でルークがどうでもいい人に成り下がったおかげで、今まで胸の奥で支えていたものがとれて、心がすっきりとしたのだ。
シリウスは、そうか、としかし心配そうにリリーの方を見た。リリーはそんなシリウスの方を見て、本当にありがとう、とお礼を言った。
「私一人じゃ、あそこから動けなかったかもしれない。シリウスのおかげ」
「…礼を言われることじゃない」
「礼を言われることよ!ありがとう、シリウス。あなたはいつも私を助けてくれる」
「…他に助けたことあったか?」
シリウスの言葉に、前世で倒れた日のことを思い出しながら言っていたリリーは、しまった、と慌てた。すぐに、色々よ、記憶にないの?と誤魔化した。
「でも、リリーがそういうのなら良かった」
シリウスはそう言った。リリーはシリウスを見あげて微笑む。そしてまた、ありがとう、と言った。シリウスは、いや、と頭を振る。
「自分でも許せなかったから」
「え?」
「君のことを何も知らないで、勝手に言う奴らのことが。君が、こんなにに良いやつだって知らないで。どんなに良い家の出か知らないが、あんなのは品がない。気にするな。…って、もう君にとってはどうでもいいやつのことだったな」
シリウスの言葉に、リリーは目を丸くした。シリウスは、そんなリリーに、どうした、と首を傾げた。
「いえ…」
リリーは、何か言葉を紡ごうと思ったけれど、瞳に涙があふれて上手く言えなくなった。リリーは必死に涙を堪えるけれど、こらえきれず、大粒の涙が頬を伝った。
「リリー」
「ごめん、ごめんなさい、嬉しくって」
「嬉しい?」
リリーは、溢れる涙を指で拭った後、ハンカチを取り出して改めて拭いた。今まで、リリーが家族以外から褒められることと言えば、見た目のことばかりだった。自分が美しいから周りは自分に注目してくれた。だから、ストレートに内面を褒めてもらえて、リリーは心が震えるくらいにうれしかったのだ。
呪いが解けていく。リリーは、そんなことを心の中で感じた。ずっと根深く彼女に住み着いていた呪いが、やっと解かれたのだと。
リリーは顔をクシャクシャにして泣きながら、しゃくりあげた。
「だ、だって、い、いい奴だって、言ってもらえたから」
「そんなことでそんなに泣くか?」
「うっ、嬉しかったの!私にとっては!」
リリーはそう言って、涙を零しながら笑った。リリーを見たシリウスが、なんだそれ、と言ってゆっくり微笑む。そんなシリウスを見たリリーは、おかしくて嬉しくて、目を細めたらまた涙が一粒溢れた。




