9 3度目の初対面1
「お嬢様?」
リリーの髪を整えていた使用人が、黙り込んで鏡を見つめるリリーを見て心配そうに言った。リリーは、はたと鏡越しに使用人の目を見ると、何でもないの、と言って微笑んだ。そしてまた、鏡に映る自分を見た。
古い窓から見える中庭では、ガーデンパーティーの準備が進められている。今日は素晴らしい天気で、外でパーティーをするにはもってこいの日だった。
「(私は、どうしたい?)」
リリーは鏡に映る自分と見つめ合う。
「(私は結局、ルークのことが好き。でも、大切なアリサがルークのことを好きな以上、ルークが私を好きだと言っても、想いを伝えるわけにはいかない)」
そうよね、とリリーは鏡の中の自分に尋ねる。
だから、今回はもっと目立たなく、ルークとの関わりを皆無にしよう。前回は、関わらないぞという気持ちが甘かった、とリリーは自省した。自分の中でルークへの恋心を捨てきれなかったから、だからあんな結果を生んでしまった。
他人と美しさを比べない、ということは少なからず達成できたように思う。だから最初の人生よりは生きやすいと思うことも多かった。だから、その姿勢は踏襲しつつ、結末をいいものに変えたい。
「(今度こそは、絶対に…ぜったいにっ……っ!)」
リリーは、やるぞ、絶対にやるぞ、と、鏡の中の自分に何度も言い聞かせる。まるで睨みつけるようなリリーに、使用人が、お、お嬢様?と心配そうに尋ねた。リリーは鏡越しに使用人の目を見ると、にこりと微笑み、何でもないの、と返した。
ふと、鏡に映る自分が着ているピンクのドレスが気になった。リリーは使用人に、ねえ、と声をかけた。
「なんでしょう?」
「もっと地味なドレスにしたいわ。色も、もっと地味な…ベージュとかの、…装飾もほとんどないようなやつで…」
「でも、せっかくお嬢様の誕生日パーティーですのに地味な格好なんて…」
「私も大人になってきたし、落ち着いた格好をしたいわ」
「お嬢様はまだ8歳になられたばかりです」
「は、8歳ももう大人よ…!」
リリーの言葉に、使用人は不服そうにしながらも、かしこまりました、と言って、ドレスを探しに部屋を出ていった。リリーは、また鏡を見る。
「(ルークとは関わらない。アリサとルークを結ばせる。王弟とはもちろん結婚なんかしない。そして私は、容姿を必要以上に気にしない)」
リリーは、よし!と気合を入れた。今度こそは上手くやってみせる。そう決心した。
晴れ渡る空の下、リリーの誕生日パーティーが開かれた。たくさんの招待客が、パーティーを楽しんでいた。
リリーのドレスアップした姿を見て、母とテラー子爵は目を丸くした。この世界にこんな地味なドレスがあったのか、というほど目立たないドレスだった。
「リリー、あなた、その格好…」
私が用意したドレスは?と母は尋ねる。リリーは、これがよかったのです、と返す。そんなリリーに母はため息をつく。テラー子爵は、まあまあ、と笑った。
「リリーが着たいものを着るのが一番。それに、何を着てもリリーの本質は変わらない。美しいよ、リリー」
テラー子爵は、優しい瞳でそういう。そんな父に、リリーは目を細める。懐かしい優しい父の声にリリーは安心する。
「さあ、ご挨拶をして回ろうか」
テラー子爵はリリーと母にいう。母は、はい、と頷いてテラー子爵の後ろについていく。リリーもその後に続いた。
長い参加者たちへの挨拶を終えて、少し疲れたリリーの目に入ったのは、用意されている宝石のようなスイーツだった。リリーは、おいしそう…と思いながらそちらへ向かった。
「(2回目の人生では、パーティーに出なかったから、パーティーのときだけスイーツを食べるという決まりのせいでほとんど甘いものを食べなかった…)」
ごくり、とリリーはツバを飲む。そして、とたとたと早歩きでテーブルに向かう。そして、リリーは取り皿を手に取り、ぱぱぱっとケーキをお皿に何個も乗せた。
「(はああ…芸術品かしら…)」
リリーは、目を輝かせながら、お皿にのせたケーキたちを眺める。そして、ぱくり、とケーキを口に運ぶ。優しい甘さが口いっぱいに広がり、リリーは幸福で満たされる。
「(ああ…幸せ…)」
「リリー・テラー、だよね。今日の主役の」
そんな声に、リリーは振り返る。そこにいたのは、8歳のルークだった。大きな瞳に長い睫毛、白い肌は人形のようである。周りはルークのことを、美しい美しいと褒め称えている。もちろん、リリーと比べてルークの方が目立つとも。しかし、3回目を生きるリリーはもう気にしない。リリーは、口の中にあったケーキをごくんと飲み込んだ。そして、にこりと微笑んだ。
「はじめまして、ええと、先ほどご挨拶に回ったのですが、その時はいらっしゃらなかったような…」
「馬車が遅れてしまって。はじめまして、ルーク・オクトーです」
「はじめまして、リリー・テラーです」
リリーは、前回よりも余裕のある気持ちでルークに挨拶をした。ちらりと後ろを見ると、前回の人生最後の日に見た、ルークの義理の兄達とオクトー公爵が一緒に挨拶をして回っているのが見えた。
「あちらの方たちが、あなたのお父様とお兄様たちかしら」
「そうだよ。兄さんは双子なんだ」
「双子…」
リリーは、あの良くしゃべる兄たちを思い出して、なんだか吹き出しそうになった。そのとき、オクトー公爵と双子の兄たちがリリーとルークの元へやってきた。
「ルーク、ここにいたのか」
「お父様。彼女にご挨拶しておりました」
ルークに対して敬語でないオクトー公爵に、人前では親子のように演じているのか、とリリーは思った。双子の兄たちは、リリーを見ると、ん、と目を見開いた。
「えっ、めっちゃ可愛い!誰?誰だよルーク」
「いきなり可愛い子に目をつけて声かけちゃうなんてさー、やるよねールーク様は」
「これ、やめなさい」
オクトー公爵が2人を止める。すると双子は一斉に黙った。そんな2人を見て、リリーは吹き出す。そんなリリーを見た双子は、嬉しそうににやにやと笑う。
「えー、笑うともっと可愛いじゃん。へー!」
「ケーキ好きなの?今度俺たちの街に美味しいケーキ屋さんあるからつれていってあげるよ」
「クッキーもおいしいんだ」
「紅茶もね」
「これっ!!」
オクトー公爵が慌てて止める。すると同時に2人は話すのを止めた。オクトー公爵は少し汗をかきながら、失礼いたしました、とリリーに謝った。リリーは、いえ、と頭を振った。
「パーティーの時間に遅れまして失礼いたしました。私はショーン・オクトー。こっちが息子のルイとレン、そして、養子のルークです。この度はお誕生日おめでとうございます。テラー子爵とは昔から親しくさせていただいておりましたから、ご令嬢のお誕生日をお祝いする場にお呼びいただけて、光栄です」
「ありがとうございます」
「ほら、行くぞ」
リリーの方を見てまだ何かいいたげな双子を引き連れて、オクトー公爵はリリーの前から去った。ルークは双子の兄をあきれた顔で見ながら、ごめんね、とリリーに謝った。
「兄さんたち、騒がしいんだよね」
「いえ、面白い方たちですね」
リリーは、前回のことも思い出してなんだかまた笑えてきた。そんなリリーを見てルークは笑ったあと、ふと、リリーの手にあるケーキを見た。
「本当によく食べるね」
ルークは、驚いたように言った。リリーは、手に持ったケーキを見て、ぎくり、とした。よく食べる女だと思われただろうか。そんな不安に襲われたが、すぐに、別にいいじゃない、と思った。それで何が悪い、ルークにどう思われようと良いじゃないか、と。リリーは、お皿に乗ったケーキをまたフォークですくい、一口口に入れた。
「ええ、好きなのよ」
リリーはそう言って微笑む。ルークは、苦笑いをしながら、食べ過ぎるとよくないよ、と返す。リリーは、そうね、と返す。
「それより、オクトー公爵様が行かれてしまったけれど、あなたも行ったほうがよろしいのでは?」
「えっ、あ、ああ、そうだね」
ルークは、それじゃあ、とリリーに言うと、オクトー公爵家たちの元へ戻っていった。リリーは、そんなルークの背中を見ながら、これで良かった、と何度も言った。こうやって、もう一切関わらないようにする。ルークを拒絶する。そんな人生にする。リリーはまたケーキを口に放り込む。そして、うん、美味しい、美味しい、と噛み締める。
「よく食うな」
感心したような声がして、振り向けばそこには幼いシリウスがいた。リリーは目を見開いて、シリウス!と声を上げた。そんなリリーに、シリウスは驚いた顔をした。
「(しまった、前世のままのテンションで話しかけてしまった…)」
「俺たちって、今日が初対面、だよな?」
「えっ、ええ…」
「友だちかと思った」
シリウスの言葉に、リリーは背中に汗をかく。人生やり直し2回目になるのに、こういった間違いは気をつけないと、とリリーは自分を戒める。そして、シリウスの方を見上げた。シリウスの綺麗な青緑の瞳が驚いたように揺れる。どうにか誤魔化したいと、リリーは言葉を探す。
「い、いいじゃない、今日から私たち友だちということで」
「あ、ああ…」
「なんだか仲良くなれそうじゃない?私たち」
ね、ね、とリリーはシリウスに言う。シリウスはそんなリリーに目を見開いた後、きょとんとした顔で口を開いた。
「君って変なやつだな」
「(私もそう思う…)」
「でも、そう言われて悪い気はしない。よろしく」
シリウスは、リリーにそう言った。最後に見たときよりも随分幼い見た目のシリウスだけれど、相変わらずぶっきらぼうで、そして、優しそうだと、リリーは思った。リリーは微笑んで、ええ、と返した。
「そうだ、あなたもケーキ食べた?美味しいやつを教えて差し上げましょうか?」
「いや、甘いものはそんなに好きじゃない」
「えっ、子どもなのに?」
「…同い年の子どもに言われてもな」
「(そうか、私は今8歳…)」
「最近デザートとかも食事に出るようになったから食べてみたけど、俺の口には合わなかった」
「最近?」
「俺の家、かなり貧乏だから。最近少しずつマシになって、食事も良くなってきた」
「そう、まあ、私の家もそこまで大きいわけじゃないけど…」
テラー子爵家はそこまで裕福な家ではない。エドモンド侯爵家はとてつもなく大きな家だけれど。
はたと、リリーはそんなことを考えて、あることを閃いた。
「(そうだ、王弟の後妻選びパーティーには、それなりの家格の家の娘しか呼ばれない。ということは、母についてゆかず、テラー子爵家にずっといれば、王弟の後妻にはならなくていい)」
さすがのエドモンド侯爵も、一人娘のアリサをわざわざ王弟の後妻にはさせないだろう。エドモンド家の跡継ぎがいなくなってしまうのだから。しかし、隣国の王子にアリサが求婚されたらさすがに断れないから、ルークとアリサの結婚は望める。そして母も、さすがに跡取りとなる一人娘を虐めたりはしないだろう。
そして、リリーとルークが関わらなければ、ルークがリリーを好きにはならないし、ルークの本来の運命の人がアリサであるのなら、リリーのあずかり知らぬところで2人は自然と結ばれていくだろう。
「(そうすれば、そうすればまた違う未来がやってくる…!)」
リリーの瞳が輝いた。そして、お皿に盛ったケーキをまた口に含んだ。幸せな甘さが口いっぱいに広がる。
「ああおいしい…!こんな美味しいものが口に合わないなんて!」
「ほんとうに美味そうに食うんだな」
シリウスはそう言って、口元をほころばせた。リリーは、そんなシリウスの目を見て、目を細める。シリウスはそんなリリーを見て目を少し見開いた後、青緑の瞳を優しく細めた。そんなシリウスに、リリーは少しはっとする。
「(なんだか、今、ときめいた…?)」
「どうした?」
「あっ、いえ、ええと、とても綺麗な瞳の色だなって思って」
「ああ、俺の父さんと同じ色なんだ。自分でも気に入ってる。ありがとう」
シリウスはそう言って少しだけ口元を綻ばせる。そんなシリウスにつられてリリーは笑う。
「楽しそうだね。俺も混ぜてよ」
声がして、振り返らなくてもルークだと、リリーはわかった。リリーは少しだけ深呼吸したあと、ゆっくり振り向いた。
「あら、ルーク」
「やあリリー。ええと、君は…」
「シリウス・ワグナー」
「シリウスだね。俺はルーク」
「よろしく」
シリウスは相変わらずのぶっきらぼうな様子で返す。そんなシリウスに、大げさなほどフレンドリーに接するルーク。
「随分彼とは楽しそうに話してるね。俺のことはすぐに追い払ったのに」
ルークは、棘のある言い方に、すこし拗ねたような素振りでリリーに言った。そんなルークに、リリーは、ん、と不思議に思う。
「(なんか…怒ってる?なぜ?…もしかして…)」
リリーには、こんな態度をとるルークに既視感があった。そう、自分のことを好きだと言った2回目の人生のルークである。
「(…つまり、この時点で私のことが好きということ…?)」
リリーは頭が混乱した。なぜ、なぜだ、私たちはもしかして何か過去にあったのか。リリーは考えを巡らせるが何も思い出せない。
「(これがもしかして初対面ではないの?私とルークに一体何があったの…?もう少し昔に巻き戻せませんか妖精さん…!)」
「ほらほら、食べてばかりいないで花でも見に行こうよ」
ルークはそう言うと、リリーの手にあるケーキののったお皿を取った。そして、使用人に渡した。そして、リリーの手を掴んだ。
リリーは優しく微笑む少年ルークの瞳を見つめる。目の前のルークは相変わらず綺麗で、それが悲しくなる。リリーは唇をかみしめ、ルークの腕を払った。驚いたルークの瞳にリリーは、ごめんなさい、さようなら、と心の中で謝罪する。
リリーは使用人の持っていったお皿を取り返した。そして、ルークの方を見た。
「私、花より団子ですの。お花でしたら他の方と見に行っていらして」
リリーはそう言って、またケーキを一口頬張った。ルークはそんなリリーに目を見開いたあと、つまらなさそうな顔で、それなら、失礼、と言って去っていった。
リリーは、去っていくルークの背中も見なかった。ただ黙々とケーキを頬張り続けた。食べる手を止めたら涙があふれそうで、それだけは嫌だったから、必死に食べすすめた。鼻の奥がツンと痛む。それでもケーキの甘さは優しい。
「素晴らしいな」
シリウスが感心した様子でリリーの方を見ていた。リリーは口の中のものを飲み込み、え、と声を漏らした。
「えっと、なにが?」
「食べ物を無駄にしないなんて」
シリウスが、うん、良いことだ、と頷く。リリーは、え、と間抜けな声を漏らす。ルークにケーキを渡された使用人は、リリーが取り返さなければそのままケーキを捨ててしまったであろうから、ということだろうか。
「(視点が食べ物で苦労してきた人のものだ…)」
どちらかというとエドモンド家での暮らしの方が、物心ついてから数えれば長かったリリーにとっては、新鮮な考え方だった。地に足のついた考えのシリウスが、なんだか新しい風をリリーに吹き込んでくれたような、そんな気がした。
リリーは、なんだか涙が引っ込んだので、くすりと笑った。
「ありがとう」
「え?」
「私、やっぱりあなたと仲良くなりたい」
リリーがそういうと、なれそうだな、とシリウスは言ってくれた。




