7 忘れたい気持ち2
カトレアたち脚本役から台本を渡されたため、それを来週までに覚えてくることを演者たちは課された。
主役級であるリリーやルーク、そしてマークなどの生徒たちの覚えなくてはいけないセリフ量は膨大で、リリーは台本を片手に途方に暮れた。前世で一度覚えた台本だから別にいいか、と思ったけれど、読んでみるとところどころ内容が違い、カトレアがリリーをモデルして書いたというから、今世と前世では立ち居振る舞いが違ったために内容が変わったのだろうか、とリリーは想像してしまった。
結局ほとんど一から覚えなくてはいけなくなり、リリーは1人で図書館の会話してもよいスペースでぶつぶつと台詞を力技で覚えるしか無かった。
「(前世では、みんなで集まって台詞を覚えて、楽しかったな…)」
リリーはそんなことを思い出して、また切なくなった。昼食の時間や放課後、ルークのグループはみんなメインの役だったから、みんなで集まってセリフを覚えた。そんな記憶が眩しいと思いながら、リリーは1人でセリフを頭に叩き込む。
「…あ」
声がして、振り向けばシリウスがいた。リリーは、あ、と呟いた。
「シリウス。今日も勉強?」
「ああ。…ヒロインは大変だな」
シリウスはそう言いながらリリーの隣に座った。リリーは、ええと、と言いながら記憶を掘り返す。
「シリウスは、えっと、」
「大道具役」
「ああ、そうだ。準備はもう始めてるの?」
「ああ。さっきも集まって作ってた」
「そう、お疲れ様」
「台詞は覚えられそうか?」
「どうかしら…」
リリーは苦笑いを漏らす。そして、そうだ、とシリウスの方を見た。
「相手役をやってもらえない?王子との掛け合いのところを」
「いや、やめておく。俺は柄じゃない」
「柄じゃないって…私だって柄じゃないけど、選ばれたから一生懸命やってるのよ」
「俺に頼まなくても、ルークに頼めばいいだろ」
シリウスの言葉に、リリーは固まる。そんなリリーに、シリウスは、あ、と声をもらす。
「…俺、余計なこと言ったか?」
「…いえ、正論を言っただけよ」
リリーはそう言って、台本に目を落とす。そんなリリーを見て、シリウスは少し黙ったあと、ほら、と言った。
「仲いいんだろ、君たち」
「え?」
シリウスの言葉にリリーは間抜けな声が出るが、確かに、シリウスは倒れたリリーを心配して保健室にきたルークの記憶があるのだから、そう思うのも仕方がないか、と考えた。
「家柄が良い者同士、気が合うだろ」
「家柄って、シリウスだって貴族じゃない」
「貧乏男爵家と君たちを一緒にしたら申し訳ない」
「なあに、それ」
リリーは少し笑ったが、シリウスは真面目に言っていて、リリーは笑うのを止めた。そして、少し黙った後、仲良くないわ、とリリーは言った。
「…そうなのか?」
「…うん」
「……ならやっぱり余計なこと言ったな。悪かった」
シリウスはそう言って、しばらく口を閉ざした後、ほら、と言ってリリーに手を出した。え、とリリーが尋ねると、台本、とシリウスは言った。
「練習の手伝いする。…棒読みなのは勘弁してくれ」
「……ありがとう」
リリーはゆっくり微笑んだ。シリウスはそんなリリーを見て、優しく目を細めた。
こうして、シリウスとの読み合いが始まった。
話の大筋は、前世と変わらなかった。王子は隣国の姫に恋をして、結婚を考えるが、やがて隣国との関係は悪化して、王子と姫は戦争に巻き込まれていく、という話である。
「(前世では、王子と姫はなんやかんや結ばれたけど、今世では結ばれずに悲恋に終わるのよね)」
リリーは台本を読みながら、それもこれも今世の自分の立ち居振る舞いのせいだろうか、と考える。
一通り読むと、シリウスは台本から顔を上げた。
「結構覚えてるな」
「本当?よかった。ありがとう」
「こんな量の台詞覚えるなんてすごいな。俺にはたぶん無理だ」
「そんなことないわよ。やる気の問題よ」
「そうか?」
「そうよ。シリウスも、王子役に選ばれていたら、きっと覚えてたわ」
「ならよかった。俺は選ばれるわけないからな」
シリウスはそう言って得意げに笑う。そんなシリウスに、リリーは笑う。
「でも、シリウスは自分が柄じゃないって言うけど、私は似合うと思う」
「は?なにに?」
「王子役に」
「なんだそれ」
あきれるシリウスに、ほんとよ、とリリーは少しだけムキになる。
「あなたって台本を読むのを手伝ってくれたりして優しいし、倒れた私を運べるくらい力があって、王子様みたいだから」
「それはどうも」
「それに、私、あなたの瞳が好きよ」
「前も言ってたな」
シリウスは驚いた顔をして、それから、少しだけ笑って、ありがとう、と言った。そんなシリウスに、リリーはにこりと笑った。
シリウスと別れた後、しばらく1人でリリーは台本とにらめっこをしていた。台詞の暗記に煮詰まり、少し場所でも変えようかと、リリーは図書館を後にした。そして、校内を動き回り、人けの少なそうな中庭を見つけた。すると、ベンチに座って台本を読むルークの姿が見えた。
「(そういえばここ…)」
リリーははたと、ここが前にルークからここで秘密で会おうと言われた場所だと気がついた。
ルークはリリーの足音に気が付き、台本から顔を上げた。そして、リリーに気が付くと目を丸くした。
「あっ…」
ルークは声を漏らしたあと、少しだけ目を伏せて、そしてリリーの方を向き、やあ、と小さく笑った。リリーは目を泳がせたあと、こんにちは、と挨拶をした。
「君も練習?」
「ええ、なかなか覚えられなくて」
「俺もだよ」
ルークはそう言って苦笑いをする。しかしすぐに目を伏せて、気まずそうに黙る。リリーも、何となく居心地が悪くて、それじゃあ、と言ってその場から去ろうとした。しかしルークが、待って、と呼び止めた。
「一緒に練習しようよ。どうせもうすぐしたら、俺たち顔を合わせて一緒に練習しなくちゃならなくなる。せっかくの演劇祭だから、主役の2人がぎこちなかったらみんなに悪い」
「…」
リリーは、ルークの正論に黙る。そして、そうね、と呟き、ルークが座るベンチのところへ行き、ルークの隣に腰掛けた。
ルークは座ったリリーを横目で見たあと、少し黙り、あのさ、と話しかけた。
「俺が、君をヒロインに後押ししたこと、おこってる?」
「えっ?」
「君は、俺といて、目立つことを嫌がっていたから」
「…」
リリーは少し黙ったあと、怒って、は、いない、と返した。
「(怒ってはいない。…なぜだろう)」
リリーは、自分の素直な言葉に、自分自身がわからなくなる。ルークと仲良くしないようにしたいと決めたのに、こんなふうに演劇祭で関わらなくてはいけないような状態になっても、なぜ自分は、怒っていないのか。
「(ルークのことが、忘れられないからだ)」
リリーは、自分自身に呆れ果ててしまった。こんなに何度も、ルークのことは諦めないといけないと言い聞かせても言い聞かせても、それでも自分は言うことを聞かない。
「怒ってないなら、よかったよ」
ルークは安心したように笑った。リリーは、そんなルークの笑顔に胸が高鳴る。そして、虚しくなる。ルークは、演劇祭の主役同士だから、一緒にいても変な噂は立たないし、立ったとしても、練習っていう理由がつけられるから大丈夫だよ、とリリーに言った。リリーは、そんなルークを見上げる。ルークは、そんなリリーの目を見ると優しく微笑んだ。
「だから、演劇祭の間だけでも、俺たち、仲良くなれないかな」
ルークは、そう少しだけ不安そうに尋ねる。リリーは、そんなルークに目を丸くする。
「…どうして」
リリーは声をもらす。ルークは、え、と呟く。リリーは、やめてほしい、もうやめてほしい、と心の中で呟く。私に優しくしないで、これ以上好きにさせないで、諦めさせて、と。
「どうして、私にそんなに構うの」
リリーはルークに尋ねる。ルークは、そんなリリーに目を丸くする。そして、少し黙ったあと、まっすぐにリリーを見つめた。
「好きだからだ」
「え?」
ルークの青い髪が揺れる。リリーはそれに時が止まったように錯覚する。さっきよりもさらに語調を強めたルークの声が、リリーに響く。
「君のことが、好きだからだ」




