7 忘れたい気持ち1
こうして、静かなリリーの学校生活がやってきた。
リリーは特に友人を作ることもなく、周りと深く関わることもなく、学校生活を送った。自分が望んだ、目立たない人生を歩んでいた。
最初は流れていたらしいルークとリリーの噂はたちまち消えていった。
友人は特にいなかった。アリサとはもちろん話したし、時々図書館で勉強するシリウスを見かけては話したり、手を振ったりはしたけれど、特に親しくはしなかった。
ルークたちは相変わらず目立っていた。ルークの輪の誰かに誰が告白したとか、そういう噂はリリーにまで回ってきた。アリサやモニカは変わらずルークたちと仲良くしていたし、彼女たちも噂の的だった。前世と比べて、自分だけがそこにいない、という状況だった。
特に波のない学校生活を送って、とうとう3年生になった。年が明けて春になろうとしている時に、3年生の生徒たちは何やらそわそわとしだした。何かと思えば、演劇祭が2ヶ月後に控えていたのだった。
演劇祭といえば、3年生が学年で一つになって、自作の劇を下級生たちに見せるというものであった。演劇祭は役割が多数あり、演者から小道具作りまで様々だった。前世ではルークが主役の王子役をやり、リリーがヒロインの姫役をやった。
3年生の生徒たちが講堂に集まり、教師主導のもと、役割が立候補制で振られていった。ふと、ルークやアリサたちが近くに集まって座っているのが見えて胸が痛み、リリーはそこから目をそらす。
脚本役だけは随分前から決まっていた。脚本をやりたいと言ったのは、クラスでは特に目立たないタイプのカトレア・グレンだった。グレン男爵家の令嬢で、前世でもほとんど会話をした記憶がリリーにはなかった。小柄で、分厚い眼鏡をかけていて、素顔がほとんど見えないような長い前髪というスタイルの彼女だった。そんな彼女が自ら立候補したことに周りは驚いていた。前世でも確か彼女が脚本をしていた気がするとリリーは思い出す。その時にふと、リリーはとんでもないことを思い出した。
「(そういえば、彼女がヒロインは私が良いって、名指ししていたような…)」
リリーは、講堂の端に座りながら、背中が冷っとした。主役がルークだというのは、満場一致で決まった。しかし、ルークが主役ということで、ヒロイン役をやりたい女子たちの思惑が絡まり、なかなかヒロインは決まらなかった。そんな時に、カトレアの鶴の一声があった。この役は、リリーを想像して書いたのだと。脚本役は数人いたけれど、その考えは共有されていたらしく、脚本家が言うのならと、周りはリリーで文句がないということになった。
「(いや、でも、さすがに、今回は私目立たない存在になっているし、さすがにないだろう…)」
脚本役の生徒たちが、この脚本にでてくる登場人物を書き出し、それに歓声が上がる。周りは、主役はルークで決まりだという流れになる。そして、それを聞いた女子たちが、それならヒロインをやりたい、という空気が流れる。女子たちのピリピリした空気が流れ出し、前世と一緒だ、と思いリリーはハラハラする。
「あの、」
カトレアがおずおずと話し出す。生徒たちの視線がカトレアへ行く。カトレアは、分厚い眼鏡に長い前髪のため、どんな表情をしているか全くわからない。しかし、視線は間違いなくリリーにあった。リリーは呼吸が止まるのが分かった。
「なかなか決まらないのなら、その、この役は、リリー・エドモンドで想像して書いたので、…脚本を担当した身としては、彼女を推したいです」
カトレアの言葉に、脚本役たちが、僕も私もと賛同する。すると、生徒たちの視線がリリーに集まる。
前世では、あのリリーなら申し分ないか、という空気だった。しかし今は、この子で大丈夫だろうか、という顔を生徒たちがしている。リリーは、耐えきれずに顔を伏せる。
「脚本家が言うなら、それでいいんじゃない?」
ルークが手を挙げて、そう言った。リリーはルークの方をぎょっとしながら見た。ルークはリリーの方は見なかった。
生徒たちはルークが言うのならと、リリーが主役をやることを認めた。リリーの意見は聞かれずに、ヒロイン役のところにリリーの名前が書かれた。
「(…最悪だ)」
教室に戻り、リリーは頭を抱えた。まさか、今世でも主役になるとは思わなかった。ほかにもっと、主役にふさわしい人はいたはず。リリーが、もんもんと考えていると、ぽんと肩を叩かれた。振り向くと、カトレアがいた。
「あっ…」
「私、余計なことを言ってしまったかしら」
カトレアは、おずおずとリリーに尋ねた。リリーは、い、いいえ、そんなこと…と嘯いた。カトレアは、リリーの嘘に気が付きながら、ごめんなさい、と謝った。そんなカトレアを責める気持ちにリリーはなれなかった。
「…ひとつ聞いてもいいかしら」
「ええ」
「なぜ、私をヒロインと思ってお話を書いてくれたのかしら。私って、ほら、目立たないし」
「目立たない、かしら…」
カトレアはきょとんとしていて、そんなカトレアに驚く。リリーは、え、えっと、と声をもらす。カトレアは、分厚いメガネの奥からリリーをじっとみつめる。
「確かに目立たない、か、そうね、そうですわね。私の好みの顔だから、私が注目してしまうだけね」
「そ、そうなの?」
「放っておけないわ、こんな美しい人。なんでみんなわからないのか不思議でたまらないわ」
「え、ええと、あ、ありがとう…」
「それに私、あなたの少し陰があるところが特に好きなの」
「かげ…」
「ええ、なんていうか、…幸薄そうな…こんなに美人なのに幸せになれなさそうなところが」
カトレアの言葉がリリーの胸に深く刺さった。カトレアは慌てて、勝手なイメージよ、イメージ、私の妄想の中での話、と付け加えた。
「(でも、図星…)」
「でも、ありがとう、あなたがヒロインを引き受けてくれたから、脚本が報われるわ」
カトレアは口元を綻ばせる。そんなカトレアに、リリーは、それならよかった、と少しだけ嬉しい気持ちで答えた。
カトレアと別れたあと、すぐにアリサとモニカがリリーのそばに来た。
「お姉様、主役おめでとうございます」
「あっ、ありがとう…」
「私は、ルークの敵国の女騎士。どう?似合うでしょ」
「私は、お姉様の妹役、ですわ。役っていうか、本当にそうですけれど」
前世でもそうだったな、とリリーは思い出す。アリサは、ふふ、と微笑んだ後、寂しそうに目を伏せて、お姉様はいいなあ、と呟いた。そんなアリサに、リリーははっとした。
「(そうか、アリサはルークの相手役になりたいに決まってるよね…)」
前世ではアリサのそんな気持ちには当然リリーは気付いていない。リリーは申し訳ない気持ちでアリサを見つめる。すると、おーい、と声がした。振り向くと、エリックが手をふっており、その横にマーク、そして、ルークがいた。
「(あっ…)」
リリーはさっとその場から逃げたくなったが、モニカに腕を引かれ、アリサといっしょにそちらへ向かうことになった。
「えーっと、マークが敵国の王子役で、エリックがルークの騎士の役よね」
「僕が悪役なんてね〜」
「似合わねえよな」
エリックとマークが笑う。そんな2人につられるように、アリサとモニカも笑う。リリーは作り笑いをするが、目の前にいるルークのせいで上手く笑えない。
ふと、演者の数は、小道具役や大道具役、衣装係など裏方役に比べたら数は少ないのに、このグループ全員演者だなんて、やっぱり目立つグループなのだな、と2回目の人生にしてリリーは知った。
ふと、リリーはルークと目が合った。ルークは、にこりと微笑を浮かべると、よろしく、とだけ言った。そんなルークに、気まずく思いながらも、リリーは、こちらこそ、と返した。




