6 諦めきれないもの1
リリーとルークとの間であんな話があったあとから、ルークは今までのようにリリーを誘いにはこなくなった。
アリサとモニカはランチの時間や放課後に楽しそうに2人で話しながらルークたちのもとへ向かった。それを横目で見ながらリリーは、これでよかったのだと、そう必死に言い聞かせた。
いつものように、リリーはランチをとりにカフェテリアに向かった。カフェテリアは騒がしく、楽しそうに生徒たちが話しながら昼食を楽しむ。リリーはその間を縫って歩く。前世では、こんなに他の人に埋もれて歩くことはなかったように思う。当然のように、リリーの周りにはルークたちがいて、それに一目置く周りの皆がほとんど自動的にリリーたちの前を遮らないようにしていた。けれど今は、たった一人でリリーは群衆のひとりになる。注目されないことの生きやすさと、一人で黙って歩くことの寂しさが共存する不思議な感情を抱きながら、リリーはいつものサラダとコーヒーをのせたトレーを持って、空いている席に着いた。
黙々と昼食を口に運んでいたとき、向かいに誰かが腰を掛けた。顔を上げると、見知らぬ上級生の男子生徒2人がリリーの方を見ていた。
「…?」
「リリー・エドモンドだろ?いつも1人でいるよな」
「よければこれから、俺たちと食べない?」
2人からの誘いにリリーは目を丸くする。そんなリリーに、2人はお互いの顔を見合わせたあと、にこりとリリーに微笑んでみせた。
「美人と食べると食事も美味しくなるからさ」
「そうそう。どう?」
2人の言葉に、リリーはまた目を丸くした。もしかして、自分は今この2人に誘われているのだろうか。そう考えたとき、そういえば前世では学校でこんな風に声をかけられたことがなかったな、と思い出す。
「(前世だって変わらずに美しかったはずなのに、なぜ私はモテなかったのかしら…)」
見た目が良いと言われている人たちは、婚約者がいなければ告白されたされてないという話がよく流れていたけれど、自分にはそんな浮いた話がなかったことをリリーは思い出す。美しくあらなければというプレッシャーが空回りして、声をかけにくい人になっていただろうかと、リリーはそんな事を考える。
「(まあ、ルークのことが好きだったから、そんなこと気にしなかったけれど…)」
そんなことを考えてまた気持ちが沈む。そうだ、ルークとどうこうはもうなれないとわかっているのだ。ならば、この2人の誘いに乗って、新たな恋を見つけるべきだろうか。
「(…いいえ、どっみちまだ考えられないわ、そんなこと…)」
リリーは、2人の方から目をそらし、目を伏せながら、ごめんなさい、1人が好きだから、と返した。2人の男子生徒はまた顔を見合わせたあと、失敬、と言ってリリーの前から去っていった。リリーは、自分以外の人たちの声が大きく聞こえるようになったのを感じながら、自分は静かに食事を進めた。
移動教室での授業が終わり、リリーは自分の教室に戻る途中にいた。あと1つ授業が終われば放課後というときに、急激な空腹感がした。リリーは、そんな空腹には慣れていたので、しばらくすれば収まるだろう、と考えていた。
しかし、階段を上りながら、体が言うことを聞かないことに違和感がした。いつもとなにかが違う。リリーは、息を切らしながら、それでも教室にたどり着こうと足を動かし続ける。どんどん体に汗が流れるのを感じて、やっぱり何かがおかしい、とリリーは焦る。
「どうしたんだ」
後ろから声がした。シリウスの声だ、とリリーはわかったけれど、振り向く元気がなかった。
「そんなフラフラで、どうした?」
シリウスが階段を軽快に上ってリリーの隣に来た。シリウスの方に視線を動かしたとき、リリーは体がふらつくのを感じた。足にうまく力が入らなくなって、リリーは体ががくんと倒れてしまった。それを、シリウスが慌てて支えた。
「おい、おい大丈夫か?」
シリウスに声をかけられるが、リリーはうまく返事もできなかった。真っ青なリリーの顔を見たシリウスは、こっちに来い、とリリーを姫抱きにすると急いでどこかへ向かっていった。
シリウスに連れてこられたのは、保健室だった。シリウスが、保険医に状況を説明しているのを、リリーは虚ろな意識で聞いていた。シリウスはリリーをベッドに寝かして、布団をリリーにかけた。リリーは、ぼんやりとシリウスを見上げた。シリウスは、隣のベッドに腰を掛けると、ほら、とリリーに何かを差し出した。リリーが視線をやると、クッキーが数枚シリウスの手にあった。
「保険医がくれた。これ食っとけ」
「…甘いものは、食べないようにしてるから」
「ばかっ!こんなときに何言ってんだ!」
シリウスはそう言うと、寝ているリリーの口にクッキーを放り込んだ。リリーは驚いたが、仕方なくそれをそのまま咀嚼した。久しぶりに味わう甘味に、心がほっとするのを感じた。リリーは、クッキーをゆっくり飲み込んだあと、シリウスを見上げた。
「…ありがとう、助けてくれて…」
「礼を言われることじゃない。…ちゃんと食ってるのか?」
「……太りたくないから、仕方ないの」
リリーの言葉に、シリウスが呆れたようにため息をついた。
「太りたくないって…」
「だって太ったら…」
太ったら醜くなる。これまでのように美しくいられない。鏡に映る自分はいつでも綺麗で、スマートで、輝いていないと気がすまない。そう思った時に、はたと、こんな考えから逃げたいのに、と思った。こんな考えに囚われたくない、けれど、前世で染み付いたほとんど病気のようなそれは、今もまだリリーを蝕み続ける。
「太ったら…醜い」
リリーは、シリウスから目を逸らした。シリウスは、そんなリリーを見たあと、自分もリリーから目を逸らし、窓の外を見た。どこかの男子クラスが、スポーツの授業をしている声が遠くから聞こえてきた。
「…俺の90になる曾祖母さんだけど」
少し長い間の後、シリウスがそう話しだした。リリーは、え、と声を漏らした。
「平民だったけど、若い時は村一番の美人で、その噂をききつけた俺の曾祖父さんが、周りの反対を押し切って嫁にもらったらしい」
「…うん」
「そんな曾祖母さんも、もう顔はしわまるけで、腰も曲がってる。体も昔みたいにスマートではない。声もしゃがれてる。君の言う、醜い、なのかもな。でも曾祖父さんは、もちろん家族も、変わらず曾祖母さんのことが大好きで、愛していて、それは変わらない」
リリーは、シリウスの方へ視線をやる。シリウスは、窓の方を見たままだった。
「余計なお世話だろうけど、」
シリウスは、そう続ける。リリーは、その横顔を見続ける。
「容姿はみんないずれ衰えるんだ。もっと変わらないものに重きを置いたほうが良いんじゃないか」
「…かわらないもの…?」
「そんな倒れるまで体型気にしてたら、いつか本当に死んでしまう。死んだら何も残らない」
シリウスは、リリーの方を見た。リリーは、そんなシリウスの瞳を見つめる。青緑の綺麗な瞳に、まだ父が病気になる前の小さい頃の思い出が蘇る。優しい父と、優しい母と遊んだ湖での思い出。あの頃はまだ、手放しで自分は幸せだと、そう言い切れたような気がする。父と母に愛されて、自分は幸せだったと。
「私、…いやだ」
リリーは目に涙が溢れた。細い腕で、その涙を拭う。それでもこぼれる涙は、頬を伝って耳まで進む。
「こんな自分、いやだよ、いやだよう…」
ルークと関わらない、美しさに囚われない、そんな2回目の人生を歩むのだと決めても、結局自分はそれらから逃れられないでいる。自分は結局ルークのことが好きで、美しくありたい。変われない自分が悲しい。そして、変われない自分が行き着く場所が見えているからこそ、恐ろしい。
「…リリー、」
シリウスが何かを言いかけたとき、保健室の扉が開く音がした。血相を変えたルークが、リリーが横になっているベッドに近づいてきた。リリーは、ルーク?と言いながら上半身を起こした。ルークは、リリーの側に来ると、リリー、と言って彼女の手を優しく握った。
「君が倒れたって聞いたから、俺…」
「ルーク…」
「…シリウス、リリーを助けてくれてありがとう。後は俺が代わるよ」
ルークはシリウスにそう言った。シリウスは、ああ、とだけ言うと、すぐに保健室から出ていった。
ルークは、リリーの瞳をまっすぐに見つめた。ルークの瞳が心配そうに揺れている。
「君から、もう関わりたくないと言われたのに、ごめん、君が倒れたと聞いて、居ても立ってもいられなくなってしまって」
「…ルーク」
そうだ、こういう人だった、とリリーは思い出す。底抜けに優しい、そんな人だ。リリーは、私が悪いの、と頭を振る。
「私が、全部私が悪い…」
「リリー…」
ルークは、リリーの手を握る力を強くした。
「俺たち、本当にこのままなのかな…?」
「…」
お願いだからやめてほしい、とリリーは思った。どうせ結ばれないのだから、好きにさせないでほしい、と。リリーは目を伏せる。震える唇を落ち着かせようとしても、彼女にはとても困難だった。
この手を離さなくてはいけない。
前世の二の舞いになりたくない。
ルークのことを好きになりたくない。
「…本当は…」
頭ではわかっていても、心が言うことを聞いてくれない。
「…仲良くなりたい」
言ってしまった後悔よりも、それを聞いたルークの微笑みを見られた喜びのほうが、その瞬間のリリーにとっては強かった。




