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はじまりのBLUE、エンドロールブルー  作者: 日高 章
 1 佐久間立夏《さくまりっか》 サファイア色の想い
7/9

  6 想いの受取人

 佐●間■夏 母のネ■クレス


『私には時間も、立ち止まる余裕もなく、ただ時間だけが無常に過ぎ去りました。

体調が日に日に悪くなるのを感じていました。

生きる決意の砂山は、いとも簡単に崩れてゆく。

そういう気配がしては、抗う術もなくなっていました。

私は桜、というものが嫌いです。

母が病に倒れた季節を思いだしてしまうからです。

ある日、私は家の遺品の整理をしていました。

母の装飾品のコレクションの箱が、見つかったのです。

その中に一つ、深い紺碧色をしたサファイアのネックレスがひと際目を引いていましたから、私はゆっくりとそれを手に取りました。

その瞬間、きらびやかに飾った母の幻影が頭に浮かんで、幼い私が言った『じょゆうさんみたいだね』という言葉が思い出されました。

どうしてでしょうか、こういうときに感情が動けばいいのですが、どうにも、なかなか。

しかし鮮明で、されど二度と見ることができない姿です。

散弾銃にでも撃たれた感覚に、私はすぐにトイレで戻しましたから。

思い出を、忘れたくない。

だから私はこのネックレスをずっと肌身離さずに身に着けることにしたのです。

しかし、



 三度目の春を迎えたところで、私はふと気づきました。

あれだけ鮮明だった父と母の思い出が、剥がれて消えていっていることに。

克服することが心を軽くすると同時に、克服が、記憶の欠落を引き起こす。

人間は忘れることでうまく生きていられる生き物だと私は知っていましたから、不自然なことではありません。

しかし、その忘れるという行為が、あの日のいい思い出さえも奪い去ってゆく。

私は日々生きるたびに、薄れる悲しみに恐怖するようになりました。

無理矢理に、笑顔を振りまいていく日々が、さらに加速させてゆきました。

不安に駆られ、母の遺したネックレスを握ることも珍しくはありません。

それでも私の手のひらから、するり、と、抜け落ちてゆく感覚は拭えませんでした。

そしてついに、私は心の底から笑うということを失ってゆきました。

煌びやかに着飾り、あのネックレスを着けていた母の面影すらも。


 ザ……、ザザ……。


 ノイズ。ノイズ。ノイズノイズノイズノイズ。ノイズノイズノイズノイズ――……』


 *■立* ■のネックレス




 立夏は現実に戻り、なにが起きているのかさっぱりわからなくなった。

シフトに穴をあけるわけにはいかない。

いま休めば、お金を稼げなくなる。

現実だけは、永遠に、平等に、真っすぐに進む。

それだけは確かなことだった。


 クラブ・ウエンズデイに入り、ホールのきらびやかな装飾を抜け、ボーイにあいさつをし、バックヤードに入る。

疲れたサラリーマンにお酒を汲む前、お店が開く虚無の時間というのは女の園になる。

同伴するホステスたちが多いのだが、予定のないホステスたちは、スマホと睨めっこをする。

もしくは、噂話に花を咲かせているか、水面下の会話があるか。

入ってきた立夏に気づいた同僚が、声をかけてきた。


「おはよー、あおいちゃん。ねーねー、聞いてよ。私の彼氏仕事やめろってうるさいんだけど」

「おはよ。聞きはするけど、私がそういうのに無頓着なの知ってるでしょ?」


 美容系ユーチューバーの映像が口を高速で動かし続けるなか、立夏は気だるく答えた。

手際よくドレスを手に取って更衣室に入る。

声をかけてきた女は怯む様子もなく、むしろキャンディのような甘ったるい声を発した。


「葵ちゃんだから話したかったの。いつも同伴ないのに指名売りすごいし、聞き上手だし」

「それは昼間の仕事が忙しいからできないだけ。私も時々は同伴だってあるって」


 葵、というのは源氏名であって、立夏の別の顔だ。

サファイアのネックレスから青を連想し、つけただけの記号。

その呼び名も、伸びきったゴムのように慣れた。


「しっかしさ、アイリの彼氏もよくこの仕事許可してくれてたよね」

「だって、彼氏も夜仕事だしさ、一人になるじゃん。それに私のほうが稼いでるし」

「家事より仕事のほうが得意だもんね、アイリ」

「そーそー、だからお弁当イベントのとき手伝ってもらってるんじゃん」


 着替えている間に会話の先が別の女に変わって、立夏の意識が勝手に耳を塞いだ。

髪をセットしなければ、と考えたときだった。


「失礼します。葵さんはいらっしゃいますか」


 男の声がして、着替え終わった立夏は素早くカーテンを開く。

華やかだが、少し謙虚なネイビーのドレスにヒールを履き、どうしたんですか、と聞き返す。

黒服の男は遠慮がちに、最初は言い出しにくそうにしていた。


「ええと、それが、高校生二人が、葵さんに会いたいとかで。〈想いの受取人〉と、〈サファイアのネックレス〉のことで話があるとか。お知り合いですかね?」


 サファイアのネックレスという単語に、立夏の心臓がドキリ、と跳ねた。

少なくとも高校生の知り合いなんていなければ、思い浮かぶ顔もない。

しかし、昼休みのときに見かけた二人組の高校生だけは頭に浮かんだ。

数秒迷った末に、ゆっくりと口を開いた。


「今、その二人はどこに?」

「エントランスで待っていただいています」

「わかり、ました。行きます」


 会うだけなら問題はないだろう、そう思い返答したときだった。


「えー、葵ちゃん優しすぎ。中高生の相手なんてしてる暇ないでしょー? それよりもっと彼氏の愚痴聞いてよー」

「でも、さすがに無碍むげにはできないでしょ?」


 これは、優しさなどではない、と心の中で呟いて、首元のネックレスを握る。

母の形見であり、心のよりどころにしていることは、誰にも話していない。

立夏はひとまずヒールを進ませて、黒服の男に従った。「まあ、ネックレスかわいいもんね」「あれ、ホンモノらしいよ」「え、マジ? さすが葵ちゃんだわ」二人の声がして、ユーチューバーの声も一緒に遠くなった。

店内の通路を抜けて、エントランスに抜けたとき、制服姿の二人組の男女が見えた。

やはり、昼間に見かけた高校生二人だった。

立夏は眉をひそめる。


「あの、どちら様でしょうか」


 ロビーのソファに腰かけていた、黒髪ロングの少女が立ち上がった。


「佐久間立夏さんですよね。私は笠井たまる、こちらは安里流星くん。〈想いの受取人〉をしています」

「思いの受取人?」


 本名まで知られている、その事実に混乱したが、妙な自己紹介にさらに戸惑った。

もう一人の短い黒髪の長身痩躯の少年に視線を向ける。

どこか生きているようで死んだ魚のような瞳が、じい、とこちらを見つめている。

流星と名乗った彼も立ち上がり、棒立ちで立夏を見続けている。

なんだかぼんやりしている、というよりは欠落しているような感じだった。


「突然押しかけてごめんなさい。でもあなたが置き去りにした〈想い〉が導いてくれて、今私たちはここにいます」


 言っている内容が、宙に浮きすぎて手が届かない。

立夏の反応も構わず、たまるは続けた。


「少し、お時間を頂けないかしら」

「いいけれど、要件次第では戻るわ。一応、仕事前だから」

「わかりました。少し外でお話しましょう。立夏さんにとって、大切なことだから」


 立夏は特別返答をするわけでもなく、ただ眉を寄せていた。「行きましょう」うながすたまるに、流星は立夏を見続けて、それから少ししてたまるの後ろについていった。

二人とも、どこかプラスティックみたいだ、と思った。

黒服の男性に外に出ると伝えて、二人のあとを追う。

一本路地に入ったところにも人は溢れていたが、大通りに比べてまだマシだ。

たまるは路地裏に置かれた室外機の上に腰を掛け、黒髪を耳にかけてチラリ、と立夏を見つめている。

たまるのなにかを見抜いたような視線に、立夏は腕組みを外すに外せないでいた。

流星はやはり、ぼんやりと立夏を見つめ続けている。


「それで、どういう要件なのか聞かせてもらえるの? あまり時間は取れないから」


 あまりに話題が進まず、立夏は耐えきれずに口を開くのだが、たまるはなにかを待っているような間をあけて、それがよりじれったくなる。

彼女の唇が、ようやく動かされた。


「佐久間立夏さん、ここでは葵さんね。首元のネックレスを仕事中も肌身離さず持っているみたいだけれど、なにか忘れているような感覚はない?」

「なにを言って、そもそも、未成年がこんな店に来ちゃアウトでしょう。からかっているだけなら、もう戻るわ」

「大切な人を失って、それを嚙みしめる時間もないとなると、きっと不安でしょう」


 突然たまるの懐に入り込むような言葉があって、立夏の眉間にしわが増える。


「あなたたち、一体何者なの? 探偵? 新手のストーカー? それとも嫌がらせ?」

「いいえ、どれも違うわ。私はただの〈想いの受取人〉。こっちはただの流星くん」


 変わらず宙に浮いた言葉を選ぶたまるに、立夏はそこで警戒心を強く示し鋭い目を向けた。

しかし、たまるは全く意に介した様子も見せない。

むしろ、積み木が完成した子供のように、満足気な視線で立夏を見つめた。

改めて、目前の二人は奇妙な組み合わせだ、と感じる。

切りそろえた黒髪ストレートのセーラー服の彼女と、虚ろな視線の短髪の高校生。

どちらも違う制服であるし、関係性の見えない微妙な距離感が立夏には見える。

会話の切れ目に合わせて、ビル越しにパトカーのサイレン音が聞こえた。

どうするべきかを迷って、スマホを見つめた、そのときだった。


「説明をするよりも、これから実際に体験したほうが早いと思うわ」

「どういう、こと?」

「実演販売よ」


 明らかにたまる目の色が変わって、彼女の踏みだした一歩に、立夏は一歩引く。

途端、脳を貫くほどの頭痛がして、視界が大きく揺さぶられたかと思うと、ノイズが聞こえてきて、「うっ。なん、なの」思わずその場で膝を折った。


「すぐにわかるわ。あなたに返すべき、大切な〈想い〉だから」


 たまるの柔らかい声があって、視界が砂嵐に覆われる。



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