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はじまりのBLUE、エンドロールブルー  作者: 日高 章
 1 佐久間立夏《さくまりっか》 サファイア色の想い
2/9

 1 日常



 ナースステーションの内側では、情報がいち早く、シナプスのように伝達する。



「ちょっと新聞見た? このあいだの殺人事件の犯人、まだ捕まってないんですって」

「みたみた、弁護士が殺された通り魔のやつでしょ? うちもさ、下の子が学校から帰って来るの迎えにいくことにしちゃった。だって怖いじゃない」


 左手を口元に当て、もう片方の手を振りながら話をする女性看護師たちから、佐久間立夏は視線を切った。

他人の噂話に花を咲かせ、話題がなくなればSNSやニュースから話題を無理矢理引っ張って、そういう光景はここではよくあることだ。

そういう現象みたく、立夏は通り過ぎる風景としてしか見ないことにしている。


「あ、先生見つけた! 今日こそ私と一緒に遊びましょうよ」


 廊下を抜けようとした瞬間、立夏の背中に小さな声がした。

立夏は足を止め、胸で呼吸をしながらゆっくりと振り向いた。

黄色い声、やはり、いつも声をかけてくる少女だった。


「ねえユウちゃん。私はただの看護師で、先生じゃないのよ」

「でも、『じょゆうさんみたい』に綺麗だから、いつもの先生よりも好きだもん!」


 小児科から抜けてきたのであろう、少女はひまわり色の明るんだ笑顔を向けて言った。

立夏は、即座に答えられない。

過去の記憶を想起させる『じょゆうさんみたい』という言葉は、動揺を誘うには充分なものだった。

わずかに間を置いて立夏は答える。


「ありがとう。でも私お昼ご飯食べなきゃだから。また今度遊ぼうね」


 ええ、いじわわる、の言葉に、少女は渋々うなずいて、小さな歩幅で離れてゆく。

その先には、少女の母親であろう、女性が会釈していた。

立夏も軽く頭を垂れて、精巧な笑顔を二人に送った。

我ながら、よくできた笑顔だ、と考えながらきびすを返す。


 立夏は足を踏みだしながら表情を元に戻した。

患者に向ける笑顔と、すれ違いざまに交わす会釈は借り物だ。

光沢のあるリノリウムの床に溶けた本音と、張り付けた表面上の仮面はどちらが本物か。

廊下には、空調よりもずっと冷たい立夏の視線が一直線に伸びている。

スニーカーの踵を冷たく響かせた。


 立夏は更衣室で荷物を手に取り、カーディガンを羽織って、大事にしているサファイアのネックレスを着け、守衛室を後にする。


「空にも色はないのね」


 カラっとした晴れ空を仰ぎ、立夏は乾いた声でつぶやいた。

首を戻すと、不意に裏口のガラスの映り込みに見えた自分が目に入った。

白い看護師の制服に、紺色のカーディガンを羽織って、髪をアップでまとめた薄化粧の姿。

疲れ切った顔が、かつて子育てに疲弊した母と似ている、と思った。

しかし、決定的な違いがあった。

それは、無機質な借り物の顔をしているような、気持ち悪さ。

スマホが、今だ、と言わんばかりに通知を知らせる。


〈葵さん、お疲れさまです。今日、出勤枠が空いて、出られたりしますか?〉


 スマホの画面には蜘蛛の巣状にヒビが入っていた。

その画面に、ウェンズデイ鈴木さんからショートメッセージが届いている。

立夏は、『葵』というもうひとつの顔で返信を送る。

〈わかりました。十九時にはお店に行きます。ありがとうございます〉

端末をしまって、再び足を踏みだそうとした、そのときだった。

明らかに、立夏を見つめている視線が二つ。

短髪の制服姿の男に、前髪を切りそろえた黒いセーラー服の女子高生。


「高校、生?」


 立夏は足を進めることにした。

その途端、頭の中に、車が突っ込んできたような痛みが走る。

視界がグラついて、思わず壁に手をもたれた。


「頭が、え、痛い、」


 頭を押さえながら浮かんだのは、過労の単語だった。

しかし、次の瞬間にはノイズ混じりの映像が直接頭に流れ込んできて、鼓膜の奥の奥で響きはじめる。


 ザ……。ザザ……。



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