『黒木渚論・・・最高傑作「Light house」について』
『黒木渚論・・・最高傑作「Light house」について』
㈠
敢えて、最高傑作、と言って置きたい。ファンなら分かる、「灯台」のアレンジバージョンだが、空気感は全くの別物だ。黒木渚※が言うように、ファンのために作られた楽曲、それが「Light house」である。灯台のことを、英語では、Light houseというらしい。タイトルも変わって、更に、別物だ。
鼓膜にそっと触れるかのような、絶妙な歌いでもって、「Light house」は成立している。ただ、自分が思うに、敢えて最高傑作、というのは、このアレンジを含めて、である。始まりの電子音が、電話する時の、初めの通話音に、酷似しているのである。
㈡
海を照らすLight house、何か、海に飲まれて死んでしまった人々へ、そっとその回帰を促すような、死者への言葉の寄与の様にも聴こえてくる。死者の携帯に電話するかのような。つまり、津波に飲まれて、死んでしまった人への、レクイエムの様に聴こえてくるのである。
だから、津波を取り扱った、最高傑作、と言って置きたい。云わば、神の位置から、そんな人々の魂を、救済するかのような曲なのである。単なる恋愛歌ではなく、まさに、レクイエムとして、「Light house」は、灯台から海へと拝跪しているかのようだ。
㈢
だから、その点で置いて、「灯台」とは全く意味の異なる曲として、リリースされたのである。まだ、曲の聴きこみが少ないせいか、ー何度も何度も聴いていて、それでも足りないと思うくらいにー、その本質を掴むことで精一杯だが、これからも何度も聴くだろう。
曲を評論するのは、とても難しい。自分にとっては。だからこそ、何度も聴くのである、その実体を知るために。些か、難しい理論的めいた評論になったが、純粋に、「Light house」は、最高に良い曲である。考察などしなければ、この何度でも聴く、が、「Light house」という曲の最高傑作としての聴き心地の良さを、証明しているだろう。
※黒木渚という本名で活動されているので、黒木渚と表記していますが、決して渚さんを呼び捨てにしている訳ではないことを、ご了承願います。