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最終話 「人としての未来」

今回で最終話になります。ずうっとこちらの前書き後書きが空欄のままで大変失礼を致しました。




「いらっしゃるのをお待ちしておりましたのよ、ロバート・ゴルチエ男爵」


お嬢様はわたくしを見詰めている。その目はとても優しいのに、わたくしがもう届かないものを見ている。見詰めてくださっている。


「ええ、ここに来なければいけないのです、ヘラお嬢様」


「そうね」


お嬢様はそれきり振り向き、すぐに庭へと歩みを進めた。いつも季節に合わせて咲く薔薇があり、その中でも園芸品種の初期に生み出されたクリムゾングローリーへと、お嬢様はゆっくり歩行器を進める。二人とも黙ったままなのを訝しがっているようにマリセルはこちらを気にしていたが、お嬢様が満ち足りた表情で薔薇を見ているので、何も言わなかった。でもそこでお嬢様がマリセルを振り向く。


「マリセル、フォーミュリア一族本家当主の名において命じます。厨房に行ってちょうだい。30分ほどでいいわ。その間、ここには誰も近づかないようにも言い含めてちょうだいね」


「かしこまりましたお嬢様」


わたくしは何も言いたくない。お嬢様は虚しそうな、心底虚しそうなお顔をしていらっしゃった。でも彼女はちょっと噴き出し、こちらをやっと振り向いてくださる。


「おかしい。わたくし、命令の句を使うのはこれで三度目なの。あなたはご存じ?」


「ええ…」


「そうね、知っていて当然だわ。だって…」


ぱちんと空気が弾けるような気がした。わたくしをきっと睨みつけて、それからお嬢様は顔が崩れんばかりに泣き出す。


「あなたにだったわ…!」


わたくしは泣き崩れて歩行器を放り出すお嬢様を抱きかかえ、庭にあるベンチへと二人で腰かけた。




「ねえゴルチエ様。あなたがゴルチエ様なんかじゃないのはもう知っているわ」


ベンチで長いこと泣きお嬢様は涙を収めた。いくらか沈んだ面持ちを隠さないで。お嬢様はわたくしを責めたいのではない。「知っている」とわたくしに知らせてくださっているのだ。それは私にとって密かな光だった。


「ええお嬢様」


わたくしは何を言われても満足に頷くだろうと思った。


「それに、わたくしあなたがどなたなのかも存じ上げていてよ」


少しずつ元気を取り戻し、お嬢様は目の前に居るのが誰なのかを楽しみ始めている様子だ。長い金髪を髪に掛け、こちらを振り向く。その表情は悲しそうにまた萎んだ。


「そうですとも」


また泣きそうになるお嬢様の肩を支えたいのに、わたくしには「そうだ」とすべて答えて差し上げることしかできない。


何度も横に腰かけたわたくしを振り向くお嬢様。不安と絶望と未知なる光が、わたくしたち二人には見えている。はっきりこちらを向いてから、お嬢様はこうお言いになった。


「わたくし、あなたの本当のお名前を、いつでも心の中で呼んでいるの。ええ、いつでもよ。絶対に呼びますとも」


わたくしはその時やっと、前の一生で無くした幸運を手にしたような気がした。


「ありがとうございます、お嬢様。本当にありがとうございます…」


わたくしの目にじわりと熱が溜まり、温かい水が零れていく。苦しいはずの動きなのに、それはわたくしの心臓を左右してしまうだろうとわかった。


「…でもわたくし、自分を偽る方を夫になんかできませんわ」


そう言ってお嬢様は唇を尖らせたが、それはわたくしがお嬢様にとって何者であって欲しいのかを伝えるためだ。ああ、嬉しい。


「そうでしょうとも」


空を見上げてお嬢様はお笑いになる。ベンチの背もたれにすっかり身を預け、ゆったりと両手を下すお嬢様。


「変ね、わたくし、最初と同じ気分だわ。あなたに向かって「馬鹿」と言った時よ」


そこでわたくしは、自分がくぐりぬけてきた死地がいくつか頭を巡った。


「わたくしは、ずいぶん変わりました…」


するとお嬢様はわたくしの事情をすぐに読み取って下を向く。


「そう、そうね…そう、わたくしだって変わったわ…」


そんな会話をしてから、お嬢様は暗く沈んだ顔で俯いていらしたが、少しずつ顎を上げ、頬を上げ、また笑顔になった。


「ねえ男爵。それでもわたくしとあなたはいつまでもお友達だわ。そうよ!一緒にいろんな場所に旅をするのはいいんじゃなくて?」


「もちろん、そう致しましょう」


「あら、わたくしまだあなたに命令はしていなくってよ?」


いたずらのように「命令の句」の件を当てこするお嬢様を、わたくしは振り向く。お嬢様は安心してわたくしを見ている。


絶望が包んだ幸福が、そのシーツの下から出てくるのが見える。少しずつ、少しずつ。お嬢様のお姿は薔薇で縁取られ、花のように枯れたりはしない。


「お嬢様、わたくしは命令はお聞きできません。ただ、貴女様のおっしゃることはなるべく叶えたいだけでございます」


するとお嬢様は大笑いをし、わたくしの肩を少々強く引っぱたいた。


「ダメね。あなたはやっぱりお馬鹿さんですわ」


「これは手厳しい」


「じゃあ決まりね。旅行の日程を組んで、シップの手配よ」


「ええ、お嬢様」


そこでお嬢様は驚いたように振り向き、突然大きく目を見開く。その目は素直にわたくしを見詰めていた。


「そういえばゴルチエ様?貴方は何をなさりたいかしら…?」


わたくしは人になり心から笑っている。


「そうですねえ…わたくしは、チョコバーを食べてみたいです」


「まああなた!もう少し高望みをなさいな!」




おわり

今までお読み頂きまして、誠に有難うございました。

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