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74話 「クリムゾングローリー」




男爵はいらっしゃった。小さめの花束を抱えて。


「ようこそいらっしゃいました、ゴルチエ男爵」


「よい日ですな、お嬢様」


「ええ、本当に」


わたくしは玄関の外まで出て待っていて、男爵はそれを見て慌ててわたくしに心配そうに駆け寄ったけど、何も言わずに私に花束を渡そうとした。でも彼はちょっと躊躇う。


「これは重いのです。お持ちになれますか?」


「え?重いの?それにしても、珍しい薔薇ですわね」


「デザートローズですよ。初めて御覧に入れるのがわたくしで光栄です」


「まあ!」


白い薔薇の花束だと思っていたのは、砂漠の砂から採れる結晶だった。薔薇のように見えるのだ。わたくしはそれをこわごわ受け取って男爵に微笑みかける。


「ありがとうございます」




「素晴らしいお屋敷ですな。大変に行き届いていらっしゃる」


「ありがとうございます、ゴルチエ様」


「いえいえあなたにお礼を言わなければなりません。もしくは、清掃の方もいらっしゃるので?」


「ええ、4人ほど」


「4人!あなた方が4人もいらっしゃれば、人間で言えば20人ほどですからねえ」


「いえいえ、そんなことはございませんよ」


「そうおっしゃるからこちらは困るのですよ」


「これは失礼を…」


「わかっていますよ。それにあなたはメイドの長です。管理や統制が主ですからな」


「ええ、ありがとうございます」


わたくしはいつまでも話しかけるきっかけが掴めないままで、マリセルと男爵が話し込んでいる。大人同士くらいだから話が合うのかしら。それにしても男爵は不思議な方だわ。ロボットを使わないと聞いたのにこんなにロボットに詳しいなんて。ほら、わたくしが追えないほどの専門用語まで使ってマリセルを驚かし始めてるんですもの。


「マリセル、男爵様とお食事なのよ。用意はよくて?」


わたくしがそう言うとマリセルは慌てて貴賓室と通信を始め、男爵様はわたくしを見てにやっとお笑いになった。



お客人がある時はユーリとオスカルも傍についているけど、彼らは席を立ってもいいように少し離れたところでずっと待っている。マリセルはわたくしの傍に居て、わたくしの要るものを聞いてユーリとオスカルに命じてくれた。今日はあまり欲しいものはないけど、デザートローズを飾る場所を考えなきゃとわたくしは思い出す。わたくしたちは貴賓室でお食事をしていた。


前回は男爵にはカルパッチョを差し上げたけど、今日はタマル。具材はたっぷりで、すべて生の状態から調理してある。マリセルは手配に苦労していたけど高いお金を出せば生の食材は手に入るもの。


男爵は満足をして「美味しい」と二度言って食べてくれた。


わたくしはテーブルにちょっと身を乗り出して男爵の顔を見詰める。彼はそれに気づいてこちらを見ていた。


「男爵様はチョコレートがお好きだとわたくし知っていましてよ。それがここでお召し上がりになれたらどう致します?」


彼は小さく噴き出してから笑いを抑えようとしていたけど、こみ上げて止まらないらしい。わたくしも笑っていた。


「それはそれは…大変に有難い話だ。ヘラ様のお好みもお聞きしたいですな。チョコレートと言えば、子供達が好きなチョコレートバーなどはヘラ様はお召し上がりにならなかったのですか?」


わたくしは聞きたいことがあって呼び出したのに、男爵はまたズバリとわたくしを見透かしてみせた。表情なんか気遣う余裕がなくなり、わたくしは少し目を逸らす。


「え、ええ…よく頂いたわ」


「おやおやこれは。どうやら食べ過ぎてお父様から叱られたと見えますな」


わたくしはそこで少しむくれた顔を作って見せる。


「あんまり子供扱いしないでくださいませ。そうでないとわたくし本当に子供に戻ってしまいましてよ」


男爵は大笑いしてからタマルの最後の一口を上品に口に入れていた。



お食事のあとでリビングであるホールに戻ってわたくしたちはチョコレートを飲んでいた。男爵がお好きなのはオールドチョコレート。酸味と辛みがあって、大変に古い時代、初めに生み出されたカカオ飲料。まさかそんなものがお好きだなんて思わなかった。わたくしは男爵には言わずに、いつものように甘くしたチョコレートドリンクを飲む。


「あんまり美味しそうにお飲みになりますのね。なんだかうらやましいわ」


「ありがとうございます。こんなに良質なカカオはなかなか手に入らない」


「頂きものですの。お口にあってよかったですわ」


「ええ、もちろん」


ああ、こんなに新しい人と喋るのが楽しいなんて。貴族なんてみんな自慢ばかりかと思っていたわ。


「ところでお嬢様、こんなに長くお座りになっていてお疲れになりませんか?わたくしはご自慢のお庭を見せて頂きたいのですが、その間お嬢様がお休みになるのがよろしいのでは…」


男爵は遠慮をしながらそう言う。まあなんて回りくどい思いやりなのかしら。こういうところは貴族ね。


「いいえ、わたくしが全部教えてあげますわ、いつも咲く薔薇は違いますの」


「ですが…」


「大丈夫ですわ。だってわたくし、初めてお友達ができたのですよ」


「それはそれは、大変に光栄でございます」


男爵は恭しくこちらに頭を下げてくれた。




わたくしたちはわたくしの歩行器に合わせて緩やかに庭を進み、わたくしは一つ一つ薔薇の名前を説明した。


「そしてこれが…」


「クリムゾングローリー。お嬢様の一番好きな品種ですな」


わたくしは思わず大きく振り向き、男爵がどんな顔をしているのか確かめた。彼は驚いてもおらず、むしろ懐かしさを込めて真っ赤に染まった薔薇を覗き込んでいる。


わたくしは、言おうかどうしようか迷った。でもここで口を挟まないのはむしろおかしい。だから言わないと。思い切って。マリセルを振り返ってみると、彼も大いに困惑している。わたくしは腹を括った。この言葉次第で何かが起きるわ。でもわたくしが責任を取らなきゃいけないとも限らない。ええい!


「あなた…なんでもご存じなのね…?」


男爵はクリムゾングローリーから目を背け、悲しそうな顔で庭から遠くの街を見詰めていた。そしてわたくしを振り返り微笑むけど、まだ悲しそうな顔をやめない。


「ええ、とても困ったことに、そうなのです」




わたくしはその夜不思議な気持ちでベッドに横になっていた。不安と気力がどんどん膨らみ、胸を裂いてしまいそうになるのになんだか嬉しい。嬉しいわ。


「彼は…誰なのかしら…」


わたくしは社交界には居なかった。そんな子供の好みなんて社交界に漏らしてはいけないはず。元から機嫌を取っておこうとするのをやめさせるため。それなのに男爵はもうすべてご存じのようだわ。明日はローズ叔母様にテレフォンをしてみなくちゃ。だって叔母様以外に教えられる方は居ないもの。でも変だわ。クリムゾングローリーが一番好きだなんて、わたくし誰にも…




つづく

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