71話 「ターカスの魂」
お嬢様はどこにいるのだろう。私は目が覚めてハッとした時にすぐにそう考えた。そしてそんなことはもう考えても仕方ないとわかったのだ。
ここが天国だろうと地獄だろうと、ロボットにも行き場があったのだな。戦争兵器でさえあの世に行くのか。そう思いまわしながらふと周囲を見渡すと、そこはよく子供に聞かせるような花畑ではなかった。すぐにわかったが、そこはどこか広い家の中にあるベッドの上だ。
「おかしい…」
私はそう言ってすぐに驚いた。人間の肉声だったからだ。途端に私はひどくうろたえ、そして慌てふためいてとにかく鏡を探す。しかし探してもすぐには見つからなかった。いつもはセンサーでわかるはずなのに。鏡はほんの少し反射をしている。それはエネルギーの反射だ。微細なエネルギーの反射を感じ取ってすぐに鏡やガラスが見つかる。それなのに…
でも後ろを振り向くと私には鏡が見えた。それからの20分ほどは驚きの連続で、私はだんだんとくたびれていった。
しかし私はなんとか中年で浅黒い男性の姿が自分のものだと自覚し、混乱を受け入れないままでなんとか安心を探した。
鏡に映るのは、少し筋肉がついて盛り上がった肩の上に太い首を伸ばして、全体的に四角張った体つきの中でも特に四角いように見える男性の顔。彼は苦労が多かったのかそれとも真面目なのか、笑い皺は目立たないが眉間には深く二本の筋があった。それは額にまで少し広がり、一見すると偏屈そうだと感じるほどだ。
私はどこにいるのだろう。ここはどこなのだろう。もしかすると、生まれ変わったのだろうか?いやしかし…
ロボットだった私には、生まれ変わりというものはただの情報でしかなかった。あるともないとも言えなかった。しかし今は、もしお嬢様にもう一度会えるならば、それがあればもう一度お話をさせて頂けるのなら、どうかそれであって欲しいと願った。その気持ちは初めて私にほんの少しの安心をくれた。
「静かな家だな…」
その家には、物音がほとんどなかった。大きな家ならメイドくらい居るだろうに、彼らが動いたり何かをしていたりする音もしない。それは不思議なことだった。
部屋の中を見渡してみたが、木製の古い古いベッドにはコットンのリネン、床は伝統的なメキシコの織物を特別大きく編んで作った絨毯で、なんと部屋の隅には紙の本がたくさん入れられた本棚があった。私はそれでロボットの音がしてこない理由をなんとなく悟り、予想がついたので廊下へ出る。
「だ…」
どうやってこの家の住人に向かい喋ればいいのだろうと少し迷ってから、私は「誰かいないかー!」と大きく叫んでみた。
するとかなりしばらくしてから、主に介助をするタイプのヒューマノイドが現れたのだ。彼はすっかり慌てているようで私の体を抱えようとまでした。
「ロバート様、いかがなさいましたか。お立ちになれないのですか?」
「い、いや…」
私は彼にすべてを話さなければならないのだろうか。でもそうすれば、もしかしたらこの世にいらっしゃるかもしれないヘラお嬢様とはまた引き離されてしまうのではないか。そう考えて次の言葉が出てこない。するとロボットは私から離れてこう言った。
「お体はなんともないようですね。寝覚めが悪かったのでしたら、いつものコーヒーをお持ちしますか?」
そうか。この人はコーヒーをいつも飲んでいたのだな。それならば…
コーヒーを飲むとヒトの体がどうなるのかは知っていた。しかしそれがこんなに魔法のように感じるとは思わなかった。私はコーヒーについて、「思える」ようになった。それにしてもなんと目が覚めていき、高揚感を味わえることか。何よりも、「美味しい」とはこんな感覚なのだ。ああ、なんと素晴らしい。そうか。それは、人々が悲しくても生きている理由の中に充分入ると感じた。
「美味しいな」
鏡で見た印象通りの口調と喉の状態から察して、本人らしい声でそう言ったつもりだったが、コーヒーを持ってきてくれたロボットは大きく驚き、私をぐぐっと覗き込んだ。
「ロバート様。どうしたのです」
「どうしたって…コーヒーが美味しいんだ」
するとそれにロボットはまたもや大きく、今度はさっきより大層驚いて、なんと部屋を飛び出してしまった。まさか彼らが「不味いと言われた」と受け取るわけはあるまいに。しかし彼はすぐに戻ってきて、私の手に真っ先に縋りつく。
「ああ!ああ!ロバート様が初めて私の品を褒めてくださいました!私は、今、嬉しいです!」
私はその一言で打ちひしがれるほど彼の境遇を察してしまい、それ以上褒め続けることもできなくなった。彼にこの「ロバート」とやらの態度がこれからは大きく変わるだろうと告げることもできない。仕方なく私はそっと彼の手を片手で外し、コーヒーを飲み続けた。
それからの日々は、ロボットだった時とヒトになった今の違いを痛感し、実感し、落胆し、少しずつそれを喜びへと変えていった。
ヒトは疲れる。ロバート氏はもう42歳だから痛みもある。しかし休んだあとには爽快に体力がまた目覚め、その漲る朝の光は、ロボットがセンサーで感じるのとはまったく違う。ロボットは熱規模は理解できるがその力を自分のものにはできない。もはや地球も太陽も私の味方だと私は感じている。緑に目を癒され、太陽に力をもらい、風に心奮い立つ。何よりも、水のくれる恵みよ。ああ、ロボットとはなんと孤独であったのか…
私をあの日世話してくれたロボットは、この屋敷に1体しかいないロボットだった。だからあんなに来るのが遅れたのだ。しかし彼は家のことを一手に引き受けるホームメイドではなかった。あくまで介助用のロボットで、私の緊急時に働けるようにと、ロバート氏の弟が無理やりに置いていったらしい。ロバート氏は、弟との大喧嘩の末それを渋々認めることで、話を聞いてもらえずとうとう激昂した弟君をなんとかなだめたのだと、そのロボット「マリア」が教えてくれた。
私がそれを聞けたのは、「いろいろと考えていたが…私達の出会いについてもう一度思い返してみたくなったよ」と口にしたからだ。マリアはまた驚いて半ば怯えながらも私にすべてを話してくれた。私は話を聞いたあとで、「すまなかった、マリア。これからは態度を改めるよ」と言ったが、マリアは新しいロバート氏をまだ受け入れがたかったようだった。
その後わかったことだが、ここはやはりメキシコで、それも私のエネルギー停止からまだ1週間と経っていないらしい。ウェッブを操作して試しに「ヘラ・フォン・フォーミュリア誘拐事件」と調べてみると、私が知っていることとはまったく別の情報が提示された。
曰く、ヘラ嬢を誘拐した者はフォーミュリア家に工学者として反感を持っていた者。実行犯は一人。氏名は非公開。連れ去られた時令嬢は自宅に一人きりで、ポリスの捜索により無事に連れ帰られた。裁判は一般には公開されない。事件後ヘラ嬢は連れ去られた前後の記憶がなくなっているため、専門的なケアが必要…
私はそこから自分の痕跡がすっかり消されているのを見て取り、しばしまた落胆した。おそらくお嬢様は「ターカス」のことは忘れていらっしゃるだろう。しかし、その方がよかったのだ。
私はどうすればいいのだろうか。このままメキシコの男爵ゴルチエ家の当主、ロバート・ゴルチエとして生きていき、そして死ぬのだろうか。コーヒーを知った時の喜びなど忘れ、私は初めて生への怖れを抱いた。
私はメキシコの貴族なのだ。もう一度顔を上げた時に私はどんなに自分が憎かったことだろう。卑怯な手段を選ぶ自分をどんな風に罵れば気が済んだのだろう。しかし私はそうせず、お嬢様にゴルチエ男爵として求婚をすると決断した。
つづく




