8. 白の姫と騎士団
「今日はいつものじゃないんですね、姫」
食堂に着いて、各々が食べるものを選んで再び集まって座ると、リグレットはエルメルアの選んだものを見てそう言った。
「いつものワッフルにしようと思ったのですが、もう売り切れていて……」
王宮内の食堂には、様々な店が並んでおりその中のパン屋のワッフルがエルメルアのお気に入りなのだが、売り切れてしまっていた。
というのも、ここの食堂は銀貨を払えば王宮内に住んでいなくても食べることができ、料理の腕も良いことで人気だ。
一般の人がいる所には、厨房を通らなければならないため、エルメルア達が会うことは無いが、ここからでも賑わっているのがわかる。
「確かにあんなにも賑わっていますし、時間的にも王宮内の人はもう来ないと思ったんでしょうね」
肩を落とすエルメルアにリグレットは微笑む。
王宮内の人が優先ではあるが、決められた時刻を過ぎると一般の人の方に移すのだ。
「……それにしてもなんですか? あんまり見ない形ですけど」
リズラは興味深そうにエルメルアの選んだパンを見る。
黄金色をした円形で、その表面には網目の模様がある。
「めろんぱん……っていう名前らしいです」
「メロン!? あの果物をパンにしたのですか!?」
リズラと同様に不思議そうに見ていたリグレットが名前を聞いて驚きの声を上げる。リズラも口には出さないが、目をぱちくりとさせている。
「あっ、いえ果物をパンにした訳ではなく、ただこの模様が似ているからだとか……」
「この網目がメロンっぽい……メロンっぽいですか?」
「ぽくないですけど! でもそうらしいんですよ」
エルメルアからしても、このめろんぱんという物の網目はどう見てもメロンのそれではない。しかし幼児の描いたメロンような、簡略化された網目と言われれば納得もできる……気がする。
「このめろんぱんは青の国のレシピから作ったのだとか」
「青の国のレシピって、団長が食べてるものもですよね」
「ん? ああ、そうだな」
リグレットが今食べているのはオムライスという青の国に伝わっている米を卵で包んだものだ。この前一口貰ったが美味しかったのを覚えている。
「私も普段食べないものにすれば良かったなー」
2人の昼食を見てリズラは呟く。
リズラはブランの国民にとって主食であるパスタを食べているのだが、やはり物珍しいものを見ると食べたくなるのだろう。
「んっ…………美味しい……です!」
そんなリズラを眺めて、メロンパンを一口食べる。
外はサクッとしていて、それでいて中はふんわりと柔らかい。食感に驚いていれば、いつの間にか口の中に甘さが広がっていて思わず声が漏れる。一口目こそ恐る恐るではあったが、今ではいつもより早いペースで口に運んでいる。
「本当に姫は美味しそうに食べますねぇ」
リグレットはエルメルアの様子を見て微笑む。リズラもそれに賛同するようにうんうんと頷いている。
「小さな口で一生懸命食べてる姫様すごい可愛いよね」
「自然に顔が綻んでいくのも、また可愛らしい」
「……そう言われるのは嬉しいんですけど、あんまり見られると食べにくいというか、恥ずかしいというか」
にこにこしながらエルメルアの食べる様子を眺めて、素直な感想を述べる2人に困ってしまう。小さな時から大切に育てられてきたエルメルアではあるが、自分の憧れているリグレットや、女性として理想的なリズラに褒められるとこそばゆい。
「そ、そういうリズラさんも髪を下ろしている姿は可愛いというか、普段からしてほしいなーとか……あとその触ってみたいというか……」
照れ隠しで思っていたことを口に出したのはいいが、正直自分でも何を言っているのかわからない。よくよく考えてみれば相当いけない事を言っているような気もする。
「あっ、あのその変なこと言ってますよね、ごめんなさい」
「…………………ですよ」
「え?」
先程の言葉を訂正することに夢中でリズラが何か言っていたのだが上手く聞き取れなかった。聞き返そうとリズラを見ると、リズラは少し俯き加減で指で髪をくるくると巻いている。
「えっと、その。姫様にそう言っていただけるなら髪を下ろすくらいいつでもしますし、髪も好きな時に触ってもらっていい……ですよ?」
軽く流されると思っていたが、意外にも了承されたことに少し戸惑う。というより何だかリズラが嬉しそうにしているのは気のせいだろうか。
今にも撫でてほしいと言わんばかりのリズラにどうしようかと迷っていると、リグレットが呆れたようにため息をつく。
「……リズラ、姫も困ってるから程々にしておけ」
「うう……姫様今じゃなくても、いつかは……」
「あ、はい。リズラさんがよろしければ」
3人だけならば今でも良かったのだが、食堂ということで人もいる。それに今のエルメルアの手はメロンパンを食べた後の手だ。いくらお手拭きで手を拭いたとしても抵抗がある。エルメルアの言葉を聞いて、ぱぁーっと顔を輝かせるリズラにもう一度リグレットはため息をつく。
「全く……それより姫。私達はこれからノワールの襲撃に対しての対策を考えてきますが、姫はどうされますか?」
「……私は少し書庫で調べ物をしようかと。もう少し恩恵について知っておきたいですし」
ノワールの襲撃を凌ぐために、恩恵は必ず必要になるだろうし、今のように力を使うことすら安定しない状態から一刻も早く抜け出す必要がある。
「書庫までは近いですし、付き添いも大丈夫ですよ」
「いえ、ですが姫……」
「もし、何かあれば魔術で連絡しますから」
エルメルアの半ば強引な返しに、リグレットは少し困ったようにした後、未だもじもじしているリズラの肩を叩く。
「わかりました。ですが姫、本当に気をつけてくださいね」
「心配ありがとうございます」
「……リズラ、行くぞ」
引き摺るようにリズラを連れていくリグレットと、そうされながらもエルメルアに手を振るリズラに微笑んで見送る。
その姿が見えなくなってからエルメルアは書庫へと足を進めた。
エルメルアが書庫に入って、どれだけ時間が経っただろうか。書庫には時計が無いし、今いる場所は窓も無いため外の様子もわからない。分厚めの本を置いて、伸びをする。
収穫はあるにはあった。しかしどれも曖昧であってエルメルアにはピンと来ないものばかりだった。
(強く願えば恩恵は得られる……と言われても)
強く願う……エルメルアの場合ならば予感したいものを、だろうか。試しにやってみたが、右目が軽く痛むだけで、特に予感というものは何も無い。
『あはは! 今の君じゃ無理だよ』
もう一度試してみようとした時、不意に聞いた事のない声が響く。辺りを見るが、声を発している人はいない。そもそも今ここにはエルメルアしかいない。
分厚い本を片付け、手に魔力を込める。リグレットや他の騎士団のようには動けないが、魔術の面だけで見ればエルメルアは騎士団に勝る。
『怖いなぁ……そんなに警戒しないでよ』
「姿も見えないのに、警戒するなという方が難しいかと」
その声はエルメルアを小馬鹿にするように『確かにー』と笑っている。この態度は不快だな、と感じているとエルメルアの周りをひらひらと淡い光が舞い始める。まるでこちらを見定めるようにくるくると回り、しばらくするとエルメルアから少し離れた場所でまたぐるぐると回り出す。
「……ついてこい、と?」
『だいせいかーい!悪いことはしないから、ね?』
喜ぶように集まったり散ったりを繰り返す光をしばらく眺めていると、ゆっくりと光が動き出す。こちらの意見を聞く気は無いようで、エルメルアがついてくるのをぐるぐると待っている。
書庫の外まで出て、光が待っている方向とは逆を行く。よくわからないものの話など無視した方がいい、と思って足早に去ろうすると、ごんっ! と何かにぶつかる。
「痛った……何?」
ぶつかった先に手を伸ばす。そこには、目には見えないが触ることのできる何かがある。
「これは……結界?」
『言っておくと、君に拒否権はないからね?』
この言い方からして、結界はこれだけで無いだろう……渋々と光が待つ方に行くと、光はくるくるとエルメルアの周囲を回った後に再びゆっくりと動き出す。
しばらく歩くと、光がエルメルアの自室の前でぐるぐると回る。開けれないから開けろ、という事だろうか。途中何度か、来た道を逆戻りしたり、曲がってみたりと色々としてみたが結局どこも結界に阻まれてしまった。
何度も何度も悪い事はしない、と言われたがやはり警戒は緩めない、寧ろ強めている一方だ。渋々とドアを開け、より強く手に魔力を込める。
開けた隙間からするっと入っていった光は、エルメルアから少し離れた位置できらきらと輝き、だんだんと光が強くなっていく。そして…………
「はじめまして、かな? エルメルアちゃん」
先程まで光があった場所には黒髪でオッドアイの女性が立っていた。




