7. 黒の胎動
「はぁ……くっだらない」
黒のフレアワンピースに身を包んだ少女――シルフィアは闘技場で競い合っている男達を窓から見て、もう一度溜息をつく。
「毎日毎日、同じ事をして楽しいのかしら」
シルフィアがいる国……ノワールでは毎日毎日こうして男達が競い合っている。いつ見ても内容は変わらない。
ノワールの国民は血の気が多いというか、勝負事が大好きなのだ。
「他国からあたしは国民全員を兵士にする極悪非道なお嬢様だなんて噂されているし、本当にいい迷惑よ」
誰に言う訳でもなく、ぶつぶつと文句を言う。
ノワールが最大戦力を持っている1番の理由はここにある。国民が自ら兵に志願するのだ、それも毎年くじ引きで決めるほど多く、他国から見れば無理やり兵にしていると見えてもおかしくない。
「本当に意味がわからない、心配するこっちが馬鹿みたい」
兵士が負けるというのは死を意味するのに。
1度だけ、志願した者に聞いた事がある。本当に兵になるのかと。するとこう返したのだ、「危険であればあるほど、燃えるじゃないですか」と。
それ以来もう止めるのも考えるのもやめた。
「というかそもそも、なんで王が帰ってこないのよ!」
災厄が起きる前から、ノワールの王は行方がわからないのだ。そのため様々な責任は、王の代理役のシルフィアに飛んでくる。段々と怒りが湧き、言葉尻が強くなる。
「恩恵を宿しているからとかいう理由で王の代理役にするなんてふざけてる、そもそもあたしの恩恵を見たことあるのか、クソ!」
恩恵があるから、いつか開花するから、と期待ばかりされて結局今まで何も無かった。
溜め込んでいた物が爆発するように、感情に身を任せるシルフィア。
「お嬢! ただいま戻りましたぞ」
散々文句を言って、当たり散らかした部屋に大男が入ってくる。荒れた部屋の様子を見て大男はガハハと笑う。
「こりゃまた荒れましたな、お嬢」
「……うるさいわね、グリーフ。適当に座ってていいわよ」
「座る場所が無いということは空気椅子ですかな」
「……なんでそうなるのよ。私のベッドとかあるじゃない」
ここはシルフィアの自室ではないが、ノワールの王城の所々の空き部屋にはシルフィアのベッドが置いてある。何処でも寝れるようにだ。
いくらグリーフがシルフィアの荒れる様子を知っていても、流石に目の前で当たり散らかすのもどうかと思い、シルフィアは冷静になる。
「それで、何か収穫でもあった?」
荒らした部屋を軽く片付けながら、結局立っているグリーフに聞く。グリーフの肘の位置ほど身長であるシルフィアはかなり見上げる形になっている。
「…………ごめん、やっぱり座って。首が疲れるわ」
ずっとこんな状態ではまともに話も聞けないだろう、そう思ってグリーフに椅子を渡して、シルフィアはベッドに座る。
「収穫といえば収穫ですな」
「……もったいぶらなくていいから」
念の為に釘を刺す。グリーフの今日の様子を見る限りたっぷり時間をかけて報告するだろうから。
「ですが、それはブランの事ですぞ」
「ああ……ようやく復興が終わったんだっけ?」
「ええ、即位式も済ませてある為いつでも襲撃できると」
「ふーん、なるほど」
「一応日時は10日後……満月の夜に決行しようかと」
いつでも襲撃できるにしては、10日後という遅い計画にシルフィアは眉をひそめる。
「10日後って遅すぎないかしら。そもそも襲撃する側が向こうの様子見て待つなんて優しすぎよ」
「…………」
「何よその沈黙。……まさかあんたの事をダーリンとか呼んでる奴がそうしろって?」
ノワールの行動はそのグリーフの知人と思われる人によって管理されている……そう言っても過言ではないだろう。
グリーフにその人を尋ねても頑なに教えようとはしない。
「よくそんな人の言うことを信じられるわね。…………何よその顔」
呆れたと言わんばかりに皮肉を述べれば、何故かグリーフは少し悲しそうな表情をする。その人はシルフィアと深い関係でもあるのだろうか。
「……そんな顔されても困るわよ。まぁいいわ。決行は10日後。10日後にブランを襲撃する」
シルフィアからすれば、深い関係がありそうな人などいないし、そもそもダーリンなんて呼ぶ人など記憶に無い。
「まぁ、襲撃というより様子見くらいの予定よ。向こうがどんな恩恵を使うのか知りたいしね」
「……了解した」
「まぁ数で押せばいいでしょ、よっぽどの恩恵じゃない限り」
1番の不安はやはり恩恵なのだ。向こうはどうであれ、こちらは使えない。いくら数で勝っていても、恩恵1つで戦況はひっくり返る。
「作戦会議の日程もあなたに任せるわ、あたしもそれに合わせる。じゃ、あたし自室で寝るから」
なんかあったらよろしくーと言って去っていくシルフィアをしばらく見つめ、その後にグリーフは自身の背後にある柱を一瞥する。
「……わざわざ隠れなくてもいいだろう」
「お嬢様は荒れている姿を見られるのが嫌いですので」
恐らくシルフィアが当たり散らす前から部屋にいたのだろう。メイドのリエンはグリーフの言葉に反応して柱の裏から出てくる。
「……やはり慣れないな、この悲しさには」
「ですが、あのままだったらお嬢様は……」
「わかっている。これが最善だったと。レグレアと共に決めた事だ」
レグレアというのはシルフィアの姉であり、そして……グリーフの妻である。グリーフをダーリンと呼ぶ女性はレグレアの事だ。
「……すまんなリエン。これからも迷惑をかける」
「それは構いません。私は迷惑だと思ってませんから」
「……ありがとう」
リエンに礼を言い、部屋を出る。しばらく1人で歩いていると、グリーフの隣に小さな光が集まってくる。
集まった光が、一瞬強く輝くとそこには女性――レグレアが立っている。
「やほっ、ダーリン。1人なんて珍しいね」
「レグレア……来たのか」
レグレアとグリーフは夫婦ではあるが、その見た目には大きな差がある。グリーフは40代くらいなのに対し、レグレアは20代なのだ。
「いつもみたいに、グレアって呼んでくれればいいのに。まぁ、理由は知ってるけどさ」
「……いつから見てたんだ?」
「んー、実は最初から」
えへへ、と少し気まずそうに笑うレグレア
「本当にごめんね。あの子の記憶からあたしという存在を消す事でしか解決できなかったとしてもさ」
「謝る事じゃない、2人で決めた事だろう」
「あたしがヘマしなきゃ良かった事だもん」
ぎゅっとグリーフの手を握るレグレア、その手はひんやりと冷たい。
「今のあたしは、ダーリンがいなきゃ生きられないんだから」
……本当ならレグレアはもう既に死んでいる。だからこそレグレアの見た目は20代から変わっていないのだ。
死者を蘇生するなど、禁術であるためグリーフ自身にも何かしらの犠牲はあったが、それでも妻のために受け入れた。
不意に首周りにひやっとした物が触れる。レグレアが抱きついてきたのだ。その行為にグリーフは理解する。
今のレグレアは魔力を生命力に変えているため、定期的にグリーフから魔力を貰う必要がある。その最も簡単に行えるのが抱きつく事なのだ。
「……ごめんね、もう行かなきゃ。まだ余裕はあるけど過剰に取っても溜め込んで置けるし、やっぱりダーリン見ると甘えたくなっちゃうから」
「そうか、なら充分甘えてから行ってこい」
そう言ってグリーフもレグレアを抱く。ひんやりと冷たい身体だが、鼓動は少し早いがしっかりとしている。
目を閉じて、グリーフを、そして自分自身を確かめるように抱きしめているレグレアがしばらくしてから、よし、と声を出す。
「じゃあ、行ってくるね」
「ああ、気をつけてな」
その言葉に、にこっと笑うとレグレアの身体は段々と薄くなる。ばいばい、と手を振った後淡い光となって消えていく。それを確認して、グリーフは再び足を進める。
「10日後……か」
レグレアがわざわざそこにするということは、お互いにとって何か利益があるという事だろう。
楽しみだな、と心の中で呟いて、作戦会議の日程を決めるべく、自室へと早足で向かっていくのだった。