73. 誕生
レグレアは森の中を駆ける。生きる迷路のように蠢く木々達に舌打ちをしながら。
打開策はないか、そう考えながら木々の間を飛ぶ。
瞬間――彼女に閃きを与えるかのように、突如盛大な爆発音轟いた。その方向は……先程まで自分がグリーフといた場所。
それもただの爆発では無い。溜め込んだ魔力が暴発したような……そんな爆発。しかもここはブラン領域とノワール領域の境目――ブラン王城から割と距離のある場所だ。
なのに聞こえた。ならばそれは必然的にただ魔術が暴発した訳ではなく……もっと別次元の――。
そこまで頭を働かせて、レグレアはぞっとしたように目を見開いた。
(エルちゃん、まさか……。そんな、まさかよね?)
レグレアはエルメルアという少女を甘く見ていた。
だから自身の監視下にブラン王城を含んでいなかった。
そもそもあそこにはティア達がいるというのも勿論理由のひとつではあるが……レグレアの想定では例え恩恵を用いたとしても、グリーフには勝てないと踏んでいた。基礎体力も何もかも……違いすぎるからだ。
レグレアは爆発の方向からしてエルメルア達だと断定している自分を落ち着かせ、冷静に分析を開始する。
大きすぎた爆発故に、暴発した魔力の残滓がある程度漂ってきているのだが、そこから感じる魔力はエルメルアのものではない。彼女の魔力は妖精や精霊達の扱う神々しいものに近いのだが……これは真逆。禍々しさや怨念の塊のような負の魔力なのだ。
「……っ。チッ……!」
思考を巡らせるレグレアを邪魔するように現れた木の枝と根の群れに大きな舌打ちと共にそれらを避ける。あの木々達の前には切り払うというのは無意味だからだ。
レグレアを襲った木々から漏れる影、それはアルタハが侵食したという証拠。彼女に侵食されたものは本来の生命力を遥かに凌駕し、多少の傷ではすぐに再生してしまう。
『……フフ。貴方も……気づいたようですね。神の……誕生に』
木々を回避したレグレアは息継ぎをするように地へと着地。すると樹海の中にアルタハの声が響いた。
神の誕生……そんな妄言を聞いて、レグレアは呆れたように笑う。
「神? 元々狂ってたけど、更に酷くなったのねアルタハ」
『狂うも何も……。私達の神ですよ……? もっともグレア――いえ、貴女方にとっては……。忌むべきものかも……しれませんね』
レグレアは嫌味を含めて返答するが、アルタハは動じない。むしろただただ真実を述べているだけの様子にレグレアも眉をひそめる。
しかし彼女の言う忌むべきもの――それが災厄の事ならば、この禍々しい魔力にも、規模にも納得がいく。そしてこれがエルメルアによるものではないという安心材料にもなる。
「どっちにしても、とんだ狂信者じゃない。災厄を崇拝するだなんてね」
『狂信者……?』
狂信者。その発言にぴくりと反応したアルタハと、一連の分析を終えたレグレアが安堵したのはほぼ同時。
その一瞬の気の緩みが、突如現れたアルタハに反応するのを遅らせ……レグレアはアルタハに首を掴まれてしまう。
「うっ……! くっ…………」
「上辺だけの理想を語る……七天の創始者よりも、私達はまともだと……思いますけどねぇ……!」
珍しく怒りを露わにしたアルタハは更に更にと力を入れる。
レグレアは苦しさを堪えながら、絞り出すように声を出した。その両目で、アルタハの暗く底の見えない目を睨みつけながら。
「理想も、何も……! 私達は荒れ果てた大地の人々を、調和しただけよ……ッ!」
アルタハは憎悪の感情に支配されており、胴体の部分ががら空きだった。そこにレグレアは自身が今宙に浮かされている事を利用して下半身を捻り鋭い蹴りを叩き込む。
不意打ちの一撃は拘束から抜け出すには充分なもので、解放されたレグレアは立ち上がるよりも先に、たっぷりと肺を空気で満たす。
「あんたらが何をしたいのか、さっぱりだけどね……! でもこれだけは言える。あの災厄を再び起こそうとする時点で……狂ってるのよ」
口元を拭いながら、そう吐き捨てるレグレア。
対するアルタハは、冷めた目で返す。
「その調和こそ……ありもしない理想の証拠ですよ」
「……何が言いたいの?」
「ふふ……。グレア……貴方はそもそも、誤解をしています」
「…………」
「あれは貴方達が調和したのではなく――彼らが調和させた……のです」
その言葉にレグレアはただぐっと拳を握りしめるだけ。
その反応を見て、いやらしい笑みを浮かべるアルタハ。
「思い当たる節はあるでしょう? あの調和には誰も……反旗を翻す事はなかった。それもそうですよねぇ……権能があるんですもの」
「……あんたね」
「使っていない――とは言わせませんよ。『幻惑の使徒』グレア。貴方のそれは……「相手の名」さえ知っていれば、権能は発動する」
つらつらと言葉を並べていくアルタハに、レグレアは否定しようとするが……まるで聞く耳を持たない相手の態度に、溜息を吐いて黙る。
「トリガーは……目を合わせる。たったそれだけで……貴方は他者を思い通りにする事ができる。他の権能も……簡単に人間を支配する事ができる。そんな強大な力があると知れば……なんの力もない弱者は、従うしかない」
「言い方は気に食わないけど、まぁそうね……。でも権能を使って、人々の生活まで支配したわけじゃない。私達がするのは、争いが起こらないための抑止。それ以外は全て放任。その事は彼らにも伝えてあるわ」
権能が良くも悪くも抑止力だというのはレグレアを含め全員がよくわかっている。だから権能を持つ者達は、そうした支配を避けるために不必要な干渉を避けている。……その結果が、七天の創始者に関する書類の少なさや、認知度の低さという訳だ。
「ふふ……。でも……支配によって命じられた自由――それは本当の意味で……自由と、言えるのですかね」
「…………っ」
「体裁的には、幸せでしょうね。争いも何も……起きないのですから。でもその中には……不平不満の炎で燃え上がっている者もいる。しかし支配者達は、炎には目もくれず……ただただ力という洪水で薪ごと流す――そして何も無かったように、振る舞う」
レグレアはぎりっと奥歯を噛み締める。アルタハが言うそれは……七天の創始者を結成した時に危惧していたものであり、そして――全員が仕方なく目を瞑るという選択をしたものなのだから。
「勿論。七天の創始者の判断は、間違いなく……英断ですよ。全員が救われる手段など……存在するはずもない――誰かの幸せの裏には誰かの不幸せが伴う、それが理ですから」
「……それを知っていて尚……。私達を否定するつもり?」
滅びかけた大地を彷徨い……死を待つのみだった人達。創始者達はそんな彼らを導き、パレンティア大陸と七つの国を築き上げた。その過程で……アルタハの言う炎――創始者に不満を持つ者も確かにいた。彼らは言う。もっと、裕福な生活をしたい――と。
しかし彼らの要望に、答える余裕はなかった。いつもいつも、天秤にかけられるのは明日を生きられるかもわからない多数の人。だから……目を瞑る事にした。
「ええ……。勿論。権能で支配し、誰もが最低限の幸福を与えられる……そんな甘い世界、『六魔鏡』が許すわけないでしょう?」
創始者達が……苦汁を飲んで出した最善。それにどんな否定が来るのかと身構えていれば、それはあまりにも理解のできないものだった。
「我々が望むのは……支配者から自由を解放し、ありのままで生きられる世界」
「……それで争いが起きても、いいって言うの?」
「ええ。そもそも……弱者は淘汰されるのが自然の摂理。強きものだけが残れば……それでいいのです」
「……はぁ……。私達が弱者を、とかなんだかんだ言って……結局あんた達も、何も変わらないじゃない」
レグレアは呆れの溜息を大きく吐く。
『六魔鏡』――おそらく災厄を再び起こそうとしている元凶がやろうとしている事は、完全な弱肉強食の世界。……七天の創始者が最も忌避した世界だ。
「……ふふ。でも、支配者から自由を解放する――これだけでも大層な名分に……聞こえませんか?」
「それで人々を扇動しようって? ……本当にあんた達は、最低ね」
無害で無知な人々に権能を使えば……それだけで信頼は地の底に落ちる。人々を扇動するだけでも、創始者達は災厄に介入する事が難しくなる。
かといって何もしなければ……災厄という暴力で、人々諸共消し飛ばす。例えそれで誰か生き残ったとしても、手を差し伸べれば『六魔鏡』は英雄として謳われる事になるだろう。それだけは避けなければいけない。
「それにしても……こんなに話していいの? お陰様で手詰まりだった状況を覆せるけど」
「ええ……。今の弱りきった貴女方では……私達『六魔鏡』には、到底及びませんので」
「すごい自信ね……。痛い目みないといいけどっ――っと!」
今知った情報。謎ばかりだった敵や、その目的……これだけでも大きな成果だ。
レグレアは会話の途中で仕掛けられた攻撃を、蝶へと姿を変えて避ける。樹海には他にも沢山の蝶がそこらで舞っており……レグレア程の変身の使い手を、この中から見分けるのは至難の業だろう。
しかしレグレアを見失ったアルタハは探す素振りも見せず、ただいやらしい笑みを浮かべながら足元の影を広げていく。
影に触れた木々達は、命が吹き込まれたかのように……根を足のようにして動き出し、再び蠢く樹海を作り出していく。
「……鬼ごっこの次は、隠れんぼですか。……まぁいいでしょう。グレア……貴方は必ず……『六魔鏡』の幹部――『暴食』の名を冠する私が喰らい尽くして……あげますから。ふふふ……アハハハハハハ……!」
アルタハは魔女のような笑い声をあげながら、自身も影の中に溶けていくのだった。




