68. 傾いた天秤
城内に虚しく響く鋼の音。活気も人の気配も既に失われた中、2人は未だに勝敗の天秤を激しく揺らしていた。
戦いの場は城外から城内へと変化しているのは決してリグレットが後れを取っているから、という訳ではない。むしろ今の戦場の方が、店や家といった歪な高さの構造物達さえも足場にできるリグレットには有利と言えるだろう。
リグレットの攻撃を野球玉の様に弾こうとも、その先に壁があれば、リグレットはそれを再度攻撃を仕掛けるための起点へと変える。
鋭く重い斬撃がビリビリと大剣を揺らす。その振動が手の先を、全身を震わせるのをグリーフは額に汗を滲ませ……口角が自然と上がる。
やはりあの時生かしたのは正解だった、と。己の直感は間違いなかったのだ。目の前の男は自分の言葉通り強くなり、そしてそれは未だ成長を続けているのだから。
重い一撃を噛み締めるように受け止めながら、グリーフは喜ぶような笑みを浮かべる。
「何が――おかしいッ!!」
「いや……何も。ただ――」
斬撃を受け止めた後、数回の鍔迫り合いとなり……少し休憩を挟むように、グリーフの笑みに何が含まれているのかと探るリグレット。
しかしグリーフはそれを拒むようにリグレットを突き放し……大剣を肩に担いで、言葉を放つ。
「久々の強者に、喜んでるだけさ」
その言葉を言い終えると同時、グリーフはその大柄な体からは想像を超えた速さでリグレットへと接近。そして空気を裂くような轟音を唸らせながら大剣を振り下ろす。
咄嗟にそれを避けたリグレットは、先程まで自分がいた場所に痛々しく残った跡を見て苦笑いする。どうやら受け止めるという選択は最初から用意されていないらしい。
やはりこの男は化け物だ。魔力による身体強化……というよりそもそも魔力の気配すらないその体で、あれほどの威力を見せつけてくるのだから。もっと時間があれば、その力の根底にあるものを掴めそうではあるが……そんな暇などある訳が無い。
「ははっ……。やっぱあんた凄いな」
「だろ。なんたって俺は最強だからな」
溢れ出る自信から来るその言葉に嘘偽りはない。間違いなく彼は、リグレットが相対する初めての強敵であり、これから当分先……超えられる事ない強者なのだから。
しかしだからといってそれが――今立ち止まる理由にはならない。リグレットは再度剣を握りしめ、グリーフへと立ち向かう。
魔力で強化した脚で大地を踏み抜き接近。その速度は見慣れたと言いたげな大振りの一撃を地面に這うように滑り避け、流れるように身を翻して攻撃へと転じる。普段の生真面目な彼の性格とは真逆の、自由で奔放なそのスタイルからは心の何処かでこの戦いに楽しみを覚えている――そう感じさせるものがあった。
衝突しては距離を取り、また数秒もしないうちに衝突を繰り返す。互いに満身創痍、しかし両者の瞳の灯火は今も燃え盛っている。
少しでも速度を緩めれば容赦ない一太刀がリグレットを襲うだろう。しかし避けるための速さでは力強く踏み込めず致命傷になりえる一撃は放つ事ができない。
グリーフもまたそうだった。先程のような地を抉った一撃には大振りにならなければならず、かといって今そんな隙を晒せば目の前の狼に首を引き裂かれる。これがただ2人だけの戦いだったのならば、この膠着状態がいつまで続いても不思議ではなかった。
しかし今は白と黒の行方を決める戦い。2人だけでなく、今も前線では戦い続ける仲間がいる。遅かれ早かれ決着はつけなければならない。
三度目、四度目……はたまたそれ以上の衝突の後。両者の息はぴったりと合ったように大きく距離を取る。
「ハハッ! 考えは同じだな、坊主」
肩を揺らしながら、軽快に笑うグリーフ。しかしその目は鋭くこちらを見据えていた。
対するリグレットは無言を貫き、静かに剣を構える。
全身に魔力を張り巡らせ、最高速の維持で磨り減った集中を取り戻すように、大きく肩で息をしながら。
正直に言えば魔力も体力もまだ余力はある。だが拮抗し続けた先に立っているのは考えるまでもなくグリーフなのだ。その場で耐えるグリーフと違い、リグレットは激しく動き回っているのだから。
ならばそれによって消耗する体力と魔力を今ここで全てぶつけた方が賢明な判断というものだ。
そんなリグレットの判断を――極限まで高めた集中の中、勝機を逃さず掴み取ろうとする彼の秘めた貪欲さに、ニヤリとグリーフも歯を見せ、大剣を両手で握る。
訪れた静寂。しんと静まり返った城内が2人の勝敗を見守る中、ゆっくりとその時が動き出す。
初めにぶつかったのは互いの咆哮、そして何度も何度も衝突した獅子と狼の爪牙は1度も交錯することなく、音もなく2人はすれ違う。長い長い静寂の間に、一瞬だけ隙間を作ったかのように、両者は再び静かな時を刻む。
そして響く。金属が落ちた音が。
それはガラスのように儚く砕け散り、溶けるように空へと消えていった。
「…………そっか。まだあんたには……届かないんだな」
言葉を先に零したのはリグレットだった。
悔しさを露わにして呟かれたそれと同時にゆっくりと崩れ落ちていくリグレットをグリーフは片腕で支える。
「……しっかり届いているさ、坊主」
遅れて金属の塊が落ちる音。それはグリーフの鎧の一部だった。砕けた鎧から見えるのは、筋骨隆々とした身体だけではない。赤く滲み出した傷口の数々がそこにはあったのだ。
「……まぁ聞こえちゃいねぇだろうがな。――何にせよ、ゆっくり休みな。俺はお嬢ちゃんに会いに行ってくるからよ」




