66. 止まらぬ勢い
セアリアスの引き起こした暴風、それは離れた場所で戦うリズラ達の所にも感じられる程だった。吹き荒ぶ風が1つ、2つと響き、そしてその後風が荒れる事はなかった。
この辺りは魔獣による被害が少なく、一面木々が生い茂っていてセアリアスの状況が掴めないが……風の勢いからして優勢なのだろう。そう願うしかないのだが。
そんな願いを頭の片隅に置き、リズラは戦場へと集中する。セアリアスの事は心配であるが、こちらもこちらで状況は悪いのだから。
ノワールの大群はセアリアスの忠告通りかなりの腕であり、魔力を最低限に留めた……時間稼ぎのための軍勢では太刀打ちできなかったのだ。かといって魔力量を増やしても、今度はリズラの方が力尽きてしまう。
既に身体の限界は迎えている、倒れようと思えばいつだって倒れられるだろう。額に張りついた汗が冷たいのか熱いのか……感覚すらもどこかへ行ってしまっている。
「…………はぁ。大丈夫? セレーニ」
「はいぃ……。まだ、魔力結晶が残ってますから……」
口を開けば弱音を吐きそうになるが、それをぐっと堪えて気を逸らすようにセレーニへと声をかける。セレーニもセレーニで無理をしているのは明白だった。
自身の作り出した軍勢とノワールの軍勢がぶつかり合うのを眺めているだけ……実際に剣を手に取り戦っている訳では無い。血と魔力を失い続けているのだから疲労こそ溜まれど、今この瞬間も戦っている者達を思えば、まだ倒れる訳にはいかない。
『……戦況はどうだ、リズラ』
「…………最悪よ。戦場を駆け回って、傷だらけの貴方に言うのも酷かもしれないけれど」
そんな2人の背後に音もなく現れたアウリュス。白く美しい毛並みは泥と血で汚れ、足取りもぎこちないものになっていた。
『フン……。元々我らの目的は時間稼ぎだろう? ならば終わりは目前よ』
「それって……まさか」
『ああ。黒獅子が我らの王城へと駆けていった。我には目もくれず……な』
アウリュスの言葉の意味。王城で待ち構えているのはリグレット――つまりは2人の勝負が勝敗を分ける。リグレットが敗れれば王までの道はがら空きであり、グリーフが敗れればノワールの士気に大きく影響するだろう。この戦争の決定打には充分すぎるものだ。
「そう。……なら余計ここで、食い止めないとね」
そう決意し、視界をアウリュスの方へと向けた直後……リズラの軍勢を乗り越えた敵の1人が、その隙を狙い飛び上がる。
誰しもが気づいた。だが咄嗟の出来事に、負傷した身体では誰も動くことができない。こちらが一歩踏み出すより早く、敵はリズラを仕留められるだろう。
リズラもまた同じ、自身の魔術を解除し自身を守る事と解除した後の事を天秤にかけた時――その選択をするための僅かな躊躇いによって、残されていたのは目を見開いて、その動向を……自身に向けられた刃の行き着く先を見守るだけだった。
そして視界を遮ったのは、全身を布切れで覆った人影と赤く鮮やかな血。思考が止まったリズラに響き渡るのは軽快で聞き慣れた男の声。
「油断なんて……らしくないね。リズラ」
声の方を振り向けば、そこには細目の男。
「……ロミ?」
「感謝なら僕じゃなくて、彼女に言ってくれ」
右腕を失って、戦場にはもう立てないと思っていた人物。本物なのかと信じ難いような声色でその名を呼べば、ロミは左手で紹介するように、布切れで顔を隠した人へと視線を促す。
「彼女……。もしかしてジュリエッタなの?」
「……リズラ先輩。今ここでは、名は呼ばないでください。勘違いされたら面倒ですし」
「でも、どうして?」
ジュリエッタは、その問いかけに対して、周りの目を気にするように答える。
「私にとって、ブランもノワールも大切なんです。そんな両国が血で血を洗うような事はしてほしくない。……できるならこの戦争での犠牲は避けたかった」
ギリ……と歯を噛み締めるジュリエッタ。その目には握られた自身の剣。その様子を少し目に留めた後、ロミはリズラの方へと近寄る。
「……そういう意味では、まだ僕らの方が信頼できるって事だ。勝手で悪いけれど、協力してくれるかい?」
「……わかったわ」
そしてリズラにだけ聞こえるような声で、協力を求めるロミ。そんな真剣なロミにリズラも首を縦に振る。強力な2人が加わってくれるのだ、断る理由もないだろう。
「でもロミ。貴方左腕だけで大丈夫なの?」
「心配ないさ。これから先、片腕の生活になるんだ。ウォーミングアップに丁度いい」
心強い味方が来たと思うと同時、リズラはずっと思っていた事をようやくロミに問いかける。
視線を彼の右腕の方へとちらりと向ける。それは丁寧に包帯で巻かれてありロミの性格を考えると……恐らくジュリエッタが施したものだろう。代償魔術によって彼の腕は劫火と共に朽ち果てた。だから出血という問題はないのか、包帯に汚れは見えなかった。
ロミは問題ないと左手の感触を確かめるように開いては閉じてを繰り返しているが、やはり心配事のは尽きない。
「ロミ……先輩は、私が守ります。こうしてしまったのは私の責任でもあるので……」
「そうしてくれると助かるわ」
そんなリズラを見かねたのか、いつの間にか傍らに立っていたジュリエッタが小声でそう告げる。ぎこちなく先輩とつけた事に疑問を感じつつも、彼女にロミの事を任せることにした。
「ジュリエッタ。無理はしないで、君も右脚を怪我しているんだから」
するとその会話を聞いていたらしいロミが、ジュリエッタを気遣うような言葉。その態度にリズラは目を細める。目線を下げ、ジュリエッタの右脚を見ればそこには決して丁寧とは言えない包帯が巻かれている。血で少し緩んでいるのかと思ったが……そうではないと、リズラの中の勘がそう言っている。
妙に頬を赤く染めているジュリエッタを見て、それが確信に変わり――気づけば大きな溜息を吐いていた。
呆れすぎて、思わず術式から手を離しそうになったほどだ。……この浮かれ具合なら、術式を解除した方が気が引き締まっていいかもしれないが。
「お嬢様」
「……お疲れ様」
そんな心など知らず、互いを心配し合うロミとジュリエッタ。団長といい、どうしてこうも人前で堂々と……などと頬を膨らませていれば、戦いを終えたらしいセアリアスが戻ってきていた。
外傷などは特になく、無事である事に安堵しつつ今の心境を見せないように最小限の言葉で労う。
セアリアスも傍らで繰り広げられるそれに気づいたようで、少しだけ表情が綻んだ気がした。
「弟子の想いには気づいてたの? 師匠さんは」
「……気づくも何も、近づきたいがためにわざわざ私にロミと話すように頼む子でしたから」
「……あら、可愛いじゃない」
珍しい表情に思わず尋ねてみれば、懐かしむように話すセアリアス。そんな彼女にリズラは悪戯っぽく笑う。
「ふふっ。大変ねセアリアス。私もだけれど、あの子も守らないと行けないわよ?」
「それは大変です。これは後で、団長に少しお高い美酒をいただかないと割に合いません」
「そうね。そうしましょう」
そんな冗談を言えるくらいには、余裕が生まれていた。溜まっていた疲弊もどこかに行ってしまったようだ。そしてリズラは最後になるであろう号令をかける。
「さぁ、行くわよ! 最後のもうひと踏ん張り!」




