65. これからへの決心
数十、数百のノワールの大群の中をセアリアスは疾駆する。顔こそ違えど、皆無表情で……目的の為だけに動く人形のようだ。
ただでさえ不気味な光景。しかもその人形達は前方のブランだけを見つめているというのも気味の悪さを更に引き立てる。セアリアスの存在を否定するかのように、足音は寸分足りとも乱れることなく、ただ前々へと進み続ける。ブランという敵を排除するのならば、真っ先にセアリアスを攻撃しても不思議ではないというのに。
(まぁ……そういう命令なんだろうけど)
ドゥメナージュ家のメイド達は雇用主に忠実だ。そして今回の雇用主は他でもないリエン。
彼女の考えは手に取るようにわかる。ドゥメナージュ家がどれだけ危険で、それを止める為にはどうするべきか……それら全て知っているセアリアスを誘き出し、自身の手で始末する。
たった数回の戦闘で、彼女は自分へと随分執着してしまったようだ。呆れ顔を浮かべていれば、いつの間にか人形の群れから抜け出している。
ようやく息苦しさから解放されたと一息ついた瞬間――緩み始めた空気を再び凍らせるかのように、セアリアスの足元へと投げられた鉄の楔。
宣戦布告とも取れるその一手。放たれた軌道をなぞったその先に、待ち構えるのはやはりリエン。その表情は今まで以上に鋭く、そしてどこか決心をしたような清々しさがあった。
「……隠れる事はやめたのね」
「ええ。もうその必要はありませんので」
セアリアスの皮肉すらも、淡々とした態度で返すリエン。
そして彼女は静かに武器を構えた。
「この戦争に、もはや意味すらない。魔獣がブランとノワールを襲ったというのなら。……それらを生み出した災厄もまた、別にあるということ」
語るように静かな口調で、リエンは言葉を紡ぐ。
その手に握られた武器は前のような鉄の爪ではなく剣。恐らくそれは、暗殺を生業とする前から護身用として渡されたであろうもの。握りの部分は色褪せているものの、その刀身は黒銀色に輝いていた。
「今争う理由は、排除ではなく共存……その立場の優劣を決めるため。そして私自身の疑問を、確信に変えるため」
対するセアリアスも、その言葉を受け白銀の剣を露わにする。
始まりは無音。遅れて、剣と剣が交錯し衝突する音。
今までとは違う武器、それに順応するまでの時間。その隙を狙うリエンの過激な攻めに防戦一方となるセアリアス。
交わす言葉は何一つなく、ただ戦場に入り乱れるのは両者の呼吸。僅かに乱れたそれを整えるべく距離を取った2人を見守るように、間を突き抜けた風。魔獣によって大きな傷跡の残るこの場には木々の葉が揺れる歓声はなく、ただ静けさを強調させるばかりの風。
「……ッ!」
沈黙の後、次に仕掛けたのはセアリアス。その体に、その刃に、風を纏い勢いを乗せて鋭くリエンの足を払うように薙ぐ。
鋭い風を飛んで避けるリエン、しかし風は地を抉った後も強さを変えることなく吹き荒れる。
「……くっ!」
宙を浮かぶ無防備なリエンを襲う暴風。それは粉塵によって視界を遮り、そして何よりもリエンのバランスを崩すには十分すぎるもの。
無理な姿勢で着地したリエンは苦しさを押し殺したような呻き声を上げ、続くセアリアスの追撃を交わしきれずに身体で受け止める。それでもまだ、攻めは続く。
風の刃は速度を増し、もうそれに追いつくのに精一杯だった。そして遂には、セアリアスの白銀が、リエンの黒銀を跳ねあげ……がら空きになった胴を一閃。
崩れ落ちるように膝をつくリエン、そしてその下に滴る血。死には至らぬとしても、これ以上戦う事は不可能だとリエン自身もわかっていた。
「……やはり私はここまで、ですね」
剣を支えにして立とうとしても腕は震え、足には力が入らない。熱い腹部を抑えながら、リエンは絞り出すように声を出した。
「わかってはいたのです。今の私が貴方に勝てぬという事は。……いいえ貴方だけではない、他のドゥメナージュ家の子達にもね」
戦意も殺気も、最早リエンから感じられなかった。
「貴方のような若さはもうない。あるのは知識と経験だけ。それらで後輩を育てる事はできても、戦場ではもう……足手まといでしょう」
「……私と戦ったのは、それを確信するため?」
「ええ」
全てを投げ出すかのように、剣を手放したリエンは自らの思いを吐露する。ドゥメナージュ家はあの大群ができる程には子孫がいる。セアリアスとは一回り程しか年の差がないリエンでも、その越えられない壁がもう間近に迫っているのだ。
「貴方と私は同じ拾われた者同士。だから貴方に挑んで、その結果で私のこれからを決めようと思ったのよ。勝手だけれどね」
「……これから?」
「ええ。今のノワールは魔獣によって蹂躙されて絶望の色に染まっている。それを救い出すのは、此度の戦争の勝者。……私からすればそれはどっちだって構わない。でもね民達にとっては、かけがえのないものなの」
徐々に口調が砕けていくリエン。セアリアスは黙ってそれを聞いている。
「簡単に言えば、新たな導き手に歯向かうものは居なくなる。絶望から救い出した救世主というのはそれほどまでに大きくなるのよ」
リエンの口にした事は痛いほどわかった。何故なら自分達も同じ、幼い頃に居場所を無くし、その後養子として「居場所」をくれた場所にどれだけの苦難があったとしても……着いていくしかなかったのだから。
「そうなれば、私達の生業は必要無くなる。私が肩を並べられていた暗殺は……必要無くなるのよ」
植え付けられた希望とは恐ろしいもので、どれだけ不安が募ったとしても、その希望を見捨てれば一度経験した絶望が再来してしまうという恐怖には勝てず、与えられるものに縋り付くしかないのだ。
「だからね。貴方に挑んだ。それではっきりとしたわ。これからは他者に身を捧げるのではなく……自身のために生きようってね」
だから、ありがとう。と最後にそうにこりと笑ってリエンは去っていった。
その背を見守りながら、セアリアスは深い溜息をついた。
何故なら彼女は、一度も自身の生い立ちを負けた理由として口にしなかったから。彼女が奴隷で無ければ、彼女がセアリアスと同じように高貴な生まれで魔術を教わっていたのなら……もっと結果は変わっていただろう。そんなたらればを口にしなかった事は尊敬するに相応しい。
本当に彼女と自分は似ていると思う、彼女が悩み歩んだ道は、いずれセアリアスも歩む道なのだから。
これから先、彼女がどう生きるのかはわからない。前の主から離れるのか、それとも友のような関係になるのか……それはリエン次第。