63. 白と黒の盤上、遊戯の始まり
もう何度も見た光景。違うのは双方の数、そして……胸をざわつかせる不安と、ちょっとした高揚感だろう。
地を震わす行進がこんなにも怖いものだったのだと、改めて感じる。未来予知という偉大な力に甘えてばかりだったからかもしれないが。
『今日は珍しく、やる気があるではないか』
胸の前で組んだ腕を伸ばすリズラへと、音もなく近づいた大狼――アウリュスはそんな事を口にする。
「珍しくって……失礼ね、いつだって本気よ」
『フッ……。すまんすまん。言葉を変えよう。目の前のスリルを楽しんでいるように見えたのでな』
「別に……。騎士団に入った理由を、思い出しただけよ」
表面には出さないようにしていたつもりだが、野生の勘というやつだろうか。間違いではないから、否定もしない。
そうだ、楽しんでいる。国が滅ぶかもしれないというのに不謹慎ではあるが、この状況を楽しんでいる。
元々貴族という守られた立場で、何をするのも不自由1つない事に退屈を感じて騎士団へと飛び込んだのだ。勿論、団長への密かな恋心に導かれたというのも嘘ではないが。
「そういえば……フェンとリルは?」
『あの子らには退路を確保するように言ってある。あの子らがいては我も自由に動けぬ。……それに魔獣が我らを襲ってから、まだ間も無い。――この身の方が都合がいいと思ってな』
アウリュスの体躯は普通の狼よりも遥かに大きく、魔獣だと思われても不思議ではない。戦場を駆けるだけでも敵を混乱させることだってできるかもしれない。
魔獣だと勘違いされるのは、彼女のプライドが許さないと思ったが……自ら提案するということは。
「……貴方も結構楽しんでるんじゃない。この状況を」
『当たり前だ。今ならどれだけ暴れようとも、魔獣への風評被害になるだけだからな』
狼の姿では表情の変化の見分けがつかないが、それでも今のアウリュスは大笑いをしているに違いない。
そんな和むような場の中に、焦りを浮かべた表情でノワールの動きを見ていたセアリアスが現れる。取り乱す事の少ない彼女にしては……珍しい表情だった。
「どうかしたの?」
「敵の規模は以前よりも少なくなりました。……しかし、その分――」
「そう。わかったわ」
さっぱりとした性格の彼女が言い淀むというのは、だいたい良くない事があった場合……自身の元で長く仕えているから察しがつく。
「セアリアス。心当たりはある?」
「……ノワールに心当たりがあるとすれば、ドゥメナージュ家の者達――災厄で主を失った方も多く、実戦経験もあります。即戦力としては申し分ないでしょう」
「ふーん……」
「ですが、今まで戦場に立たなかった者達が今更立つのもおかしな話。急遽雇われたと思っていいでしょう」
「つまり雇用主を倒せばいいってわけね」
「はい。……それは私に任せてください」
静かにそう言ったセアリアスからは、いつものような……リズラに手間をかけさせないという気持ちではなく、もっと別の感情に囚われているような雰囲気を感じた。
「なら、そっちは頼んだわ。あの精鋭達は私に任せなさい。……とっておきの時間稼ぎがあるから」
「勝手を言って申し訳ありません。決して無理はなさらないように」
「いいのよ。セアリアスも気をつけなさいよ、脚だって完治してないんだから」
そんな心配をすれば、セアリアスは小声で「ありがとうございます」といい、その場を去る。見晴らしの良い所で雇用主を探すつもりなのだろう。
それを見送って、一息。リズラは先程からそわそわと落ち着きのないセレー二へと声をかける。
「セレー二。貴方には悪いけれど、私の手助けをしてもらうわ」
「えっ、それはつまり……どういう――」
唐突な声掛けに戸惑うセレー二、それを気にすることなくリズラはどこからか取り出した小さな刃で、己の手首の皮膚を切り裂いた。
「なな、何してるんですか!?」
「血を利用した魔術よ。……術者にも危険が及ぶから、世間一般には広まってないけれどね」
指先へと伝う鮮やかな赤色で、リズラは地面へと術式を書き込む。
「術式を書き込むための量……そしてその血が乾くまでに術式を書き込む速さ。それだけでなく、その術を維持するために更に己の血を使う。……馬鹿みたいな術だけど、私にはそれが1番適性があるのよ」
「…………」
「だから貴方には、私が倒れないように治療をしてほしいの。ちなみに拒否権はないわよ、もう切っちゃったもの」
ぺろりと舌を出して笑ってみせるリズラは、仕上げと言わんばかりに、べっとりと赤く濡れた手のひらを術式の真ん中へと叩きつける。
「栄光の灯火、輝く時は今――『血華の軍勢』」
術式の名を呼ぶと同時。リズラを中心とした周囲に鎧を纏った戦士たちが数十……数百と現れる。
「今までやってきたこと、そのままやり返してやるわ」
そんな事を呟き、迫り来るノワールの軍勢を睨みつける。
「皆……行くわよ!」
そして、最後の戦いの火蓋が切って落とされた。




