61. 持たざる者
山々に聳え立つ住宅街を1人、歩く少女。その手には沢山の花。大きなブーケではなく、1本1本丁寧に包まれた花束。
いつもの喧騒はどこかへと去り、残っているのは瓦礫の山と僅かに生活感の残ったもの達だけ。
ふと振り返る。目を細めなければ見えないほど、うっすらとした黒い王城。自分はここまで1人で歩いてきたのだ。
いつもならば、こんな徒労……などと吐き捨てていただろう。けれど今は違う。なんとか形を保っている家屋の目の前に立つ。
ごくりと唾を飲んだ。一呼吸置いた後、意を決して目の前のドアを叩き、そして静かに開ける。
視界に飛び込むのは部屋の隅でびくびくと震える若い女、そして女に抱かれた子供。女は少女の姿を見て、安堵すると同時、縋るように少女のスカートの裾を掴む。
「夫は……夫は無事、でしょうか……?」
その問いに少女は俯き、目を伏せる。
「ごめんなさい……」
そして静かに、謝る。ただそれだけで、何もかも……わかってしまった。女は息を飲み、堪えきれずに嗚咽を零す。
その姿が、声が……少女の胸に傷をつける。
「夫は……勇敢、だったでしょうか」
流れた沈黙、数秒の後、新たな問い。
泣くのをやめ、女はそんなことを口にする。
それを聞いた少女は優しく微笑む。
「ええ、とても。彼らがいなければ、魔獣達はノワールを飲み込んでいたでしょう」
そして手に持つ花束を一束――黒の国では珍しい、白く小さな花。追悼の意味が込められたそれを女へと手渡し、少女は「それでは」と小さく呟き、踵を返した。
向けられた視線から、逃げるように。
そしてまた次の家屋へと向かい、また同じように花を手渡す。何時しか花束はもう片手で数えられる程になっていた。
王城への帰路に着く頃には日が暮れ、住宅街が疎らに光を放つ。
「……こんなに、暗かったのね」
あれだけバカにしていた喧騒も、嫌気がさしていた街の眩しさも……今はもう失われてしまった。
歩き疲れたのか、住宅街を流れる水路の近くに腰を下ろす少女。ここで何があったか知りもせず、ただただ流れる清らかな水を眺める。
水面に映る自身の顔。汚れも傷も何も無い綺麗なその顔を見て、少女の口元が歪む。
血で汚れ、戦火の傷跡が残った大地とは対照的な自分の姿。魔獣という脅威に立ち向かう者達を止める事もできず、ただただ祈る事しかできなかった無力な自分。
しかし皆口を揃えて言うのだ――「シルフィア様には恩恵がある」と。
宿っているかもわからない力。期待だけが重くのしかかり、少女の精神がすり潰される。誰も言葉にはしない、でもその目は確かに語っているのだ。
もう限界だった。自分の身の丈に合っていない王城にただ1人取り残され、押し寄せる期待と重圧に囲まれた生活には。しかし少女には逃げることもできなかった。
今更そんな事をすれば、膨れ上がった期待が弾け、その対価を求める刃が突きつけられる。そんな恐怖の道を歩むよりも、「偽りの女王」を演じる方がいい。
それかもういっその事全て投げ捨てて、この場で暗闇に溶け込むのもいいかもしれない。こんな人の気のない所では、誰も気づかないだろうから。
ふとそんな事を思って、すっと立ち上がる。少し歩けば、絶好の場所など、いくらでもある――そう思った矢先、浮遊感が少女を襲う。
足場が悪かったからなのか、そんな事を考えるよりも感じたのは恐怖だった。先程まで選ぼうとしていた選択肢が急に目の前に現れて、情けないかもしれないが「死にたくない」と思ったのだ。
「こんな真夜中に、可愛い嬢ちゃんがなぁに遊んでんだ」
浮遊感の次は、ぐいっと体を吊られるような感覚。そしていかにもガラの悪い声。その声には聞き覚えがあった。
はっとして少女はその男を見れば、ニカッと白い歯を見せて笑う大男。
「……グリーフ。何でここに?」
「何でってそりゃあ、さっきまでブランにいたんでね」
少女はその笑いに呆れと安堵を含んだ溜息を吐いて、わざと鬱陶しそうな声で話す。
「その帰り道に、思い詰めた顔で水路を見てるもんだからよ」
グリーフはその後は深く聞かず、支えていた手を話す。急な出来事に少女は反応出来ず、体勢をよろけさせながら何とか踏ん張り、恨めしそうにグリーフを睨む。
「ほんっと……扱いが雑」
「お嬢の雑用ですからな」
苦言に対しても、ガハハと笑ってみせるグリーフ。
そんなグリーフを見て少女は呆れるような笑みを少し浮かべる。日常茶飯事のようなこのやり取りも、戯けるグリーフへのほんの僅かな苛立ちも……数週間となかったものだから、なぜだか安心してしまったのだ。その心にはもう、先程までの不穏な気持ちは、どこにもなかった。
「……ねぇ、グリーフ」
「なんですかな?」
安堵と信頼、王を偽る彼女が唯一弱みをさらけ出せる関係だからこそ、気づけば少女はグリーフへと本音を話していた。
「もう、疲れたわ」
「…………」
その言葉の意味を聞くまでもなかった。シルフィアという少女が抱え込んでいるものの重みを、誰よりもグリーフは知っているから。
「王としての役目を果たす度……皆から向けられる期待。それに答えられない自分。もっと自分に力があれば、恩恵が開花していれば……って後悔ばっかりで、息が詰まりそう」
「……すまない」
呟くように吐き出したそれに、グリーフは自然と謝罪の言葉を述べていた。そんなグリーフの様子にシルフィアは笑う。
「なんで貴方が謝るのよ」
誰もいない静けさ、落ち着いた風がシルフィアの髪を揺らす。
「でも……今回ではっきりとわかった。敵はブランじゃないって。災厄の元凶は他にいるってね」
「…………」
「……グリーフ、我儘を言うわ。ブランと……共存の道を選びましょう。次の戦で最後、戦う理由は――主導権のため」
続けられた言葉に、グリーフは目を伏せ頷く。
「動員できる数は僅か、それに向こうは恩恵もある。手っ取り早く終わらせて、貴方の全力で」
選ばれた共存の道。しかし争いは避けられない。
話し合いだけで解決するのならば、どれだけ楽だっただろうか。しかしそれだけでは、ノワールの国民は納得しない。
勝敗という名分が無ければ、両国の王は納得しても、国民達は満足しない。
白と黒の少女達は、互いの胸に決意を秘め……白と黒の最後の戦いが、幕を開ける。