59. 異能
「んー、どこから話そうかなぁ」
エルメルアと話がしたい……そんな提案をしたドロテアは悩む素振りと共にぐるぐると円を描くように足を踊らせ曇り空ひとつ無い晴れ渡った空を眺める。
「まぁ、エルっちが1番気になってそうな――ルブル厶の事からにしよっか」
ドロテアは空を飛ぶ小鳥を狙い撃つような仕草をした後、顔だけをエルメルアへと向けて、にこりと笑う。
「単刀直入に言うけれど、ルブル厶の王……アイオニオンはリゼっちの恩恵を極限まで引き出そうとしている……ただそれだけ」
「命は狙っていない……と?」
「うん。どうすれば恩恵という花は開花し成長するのか――それが分からないから、一般的によく言われる「火事場の馬鹿力」ってやつを試すために、殺しまでは行かない半殺し程度で済ませるつもりだった」
でも……と、1つ指をたて、それをエルメルアへと向ける。
「どうしてブランで行われるのか、何故エルっちも狙われたのか……まではドロテアちゃんもわからない。保有者である以上、狙う理由なんて沢山推測できるし」
わからないという素振りを大袈裟に腕全体で示し……その動きの勢いで折角止血していた包帯がまた赤く滲む。
「でもこれだけは覚えてて。ルブル厶は目的の為なら手段を選ばない。たとえ、それがどれだけの犠牲が必要でも……ね」
そしてそんな事を言いながらドロテアは珍しく悲しそうな表情を浮かべるのだった。その左腕の傷を締め付け……その赤色は更に更に濃くなっていく。
「あの……腕、痛くないの?」
爛々と輝く太陽が乱れた雲で見え隠れし、地を照らす光が乱雑に切り分けられる中、エルメルアは水を差す事に躊躇いを感じる表情でドロテアへと、ずっと思っていたことを口にした。
「うん。痛くないよ。……というか正確に言うなら、痛いのか――わかんない」
「えっ……。それは……」
その発言に、意図せずとも引いた足。拒絶とも見れるその反応は、ドロテアは気にも止めない。もう見飽きたとでも言うように軽く鼻で笑う。
「まぁこれはドロテアちゃんがすこーし特殊ってだけ」
一瞬見せた暗い顔はすぐにぱっと笑顔になり、ドロテアはパーカーの袖で傷口を隠すように腕を捲る。
「さっきも言ったけど。ルブルムは目的の為なら手段を選ばない。アイオニオンにとって、国民とはただの道具にしかすぎないし、あたしのこの体質もアイツの前では都合のいいものだった」
「…………」
「あたし含め様々な人間で実験を繰り返し、数多の人間を改造した。勿論その過程で何人も死んだ。それでも彼は止まらない。そう、全ては――『代償無き恩恵』のため」
「ファクティス……ソフィア?」
そうして深刻そうに語られるルブルムの内面、そして計画にエルメルアは黙って聞いていたが、聞きなれない単語……それも恩恵が関わっているであろうものに、思わず反応する。
「恩恵の唯一の欠点とも言える代償だけを無くした夢のような力。……未だに完成も、成功すらもしてないけどね。その産物があたし達が持つ異能――『アノルマーレ』」
代償の無い恩恵……代償は強大な力故の対価だと言うのに、それを無くすという無謀にも思える実験に眉をひそめる。
そもそも恩恵の実態ですらわからないというのに、ただただ実験による資産と命が無駄になるだけなのではないか。
「……異能、それは……?」
そんな疑問を噛み殺して、エルメルアはぽつりと呟く。
「代償は無くなったけど、その分制限が多い力。あたしの『アイ情の追跡者』は対象がどれだけ離れていても、あたしが見える限り百発百中にできる反面、その1人にしか対応しないし。しかも敵だらけの中で使った時には、そのたった1人にしか攻撃できなくなる」
ドロテアは右目を閉じ、空へと自由に伸ばした右手で、狙いも定めていないデタラメな方向へと銃声を放つ。
それは命が吹き込まれたかのように自在な軌道を描き、そして地面を転がっていた石へと吸い込まれるように着弾。
それを眺め終え、ぱちんと可愛らしくウィンクをしてみせるドロテアは話の続きを口ずさみながら、エルメルアの周囲を歩く。
「他の皆も大体そんな感じ。エルメルアちゃんの恩恵みたいに、運命に干渉できる訳でも、無理すれば多規模に影響を与えられる訳でもない。異能は1人が限度、だから恩恵には勝てないの」
所詮は恩恵の模倣品だから、と最後にそう皮肉って笑う。その姿にエルメルアはどう声をかけるのが正解なのか、わからなかった。
それもそうだ、目の前の少女は代償無き恩恵という途方もない夢のために、勝手に自身を捧げられ、その結果が異能という――ルブルムの王からすれば失敗作なのだ。過大な期待からの落差は想像以上のものだっただろう。
それなのに自分はどうだ? ただただありふれた日常を過ごしていたら、いつの間にか宿っていたのだ。力が発現した後の、代償という苦悩はあっても、それを手にするための苦労は何一つしていない。
エルメルアは目を伏せ、ぎゅっと……手を握る。
「ルブルムはパレンティア大陸における流通の中核。でもそれで得た資金の大半は、実験に浪費している。そして何度も言うけれど、目的の為なら手段を選ばない。ルブルムとブランが、次会う時――同盟国ではいられないかもしれない」
伏せていた目を開け、エルメルアは「ええ」とだけ。
エルメルアのその表情を見たドロテアは満足気ににこりと微笑むと、くるりと華麗なターンを決めて城門の方へと体を向ける。
「さっ、しんみりしたお話はおしまい! リゼっち達も帰ってきたしね! ほら、シャリーちゃんも起きて」
ぱっと花が開くように声のトーンを変え、ドロテアはリーゼロッテ達を迎え入れる準備をする。
音沙汰がない、とエルメルアが疑問に思っていたシャリーはどうやら寝ていたらしく、ドロテアに起こされたが……再びうつらうつらと船を漕ぎ始める。
賑やかさを取り戻したドロテアにつられるように、城門へと注目が集まり、そしてそこに現れたのはリーゼロッテを横抱きしているリグレット。
その姿を見て、エルメルアは目を丸くする。
「うわー、派手にやったねぇ。怪我もなんもしてないのに、すやすやリゼっちが寝るなんて――何したの?」
一目散に駆けつけ、口を開いたのは勿論ドロテアだ。戯けるような、ふざけているかのような口ぶりだが、最後の一言には一転して冷たい刃を突き刺すような敵意がある。
「……『巨人の血』。姫の予知通り、彼女の命を狙っている者が発した言葉だ。それを聞いた途端、彼女の様子がおかしくなってな」
「……ふーん」
しかしリグレットの説明を受け、ドロテアは目を細める。それはリーゼロッテと同じ――「なぜそれを知っているのか」とでも言いたげな雰囲気だった。
「その者は、狐の面を被っていて、黒い外套で姿を隠していた。顔は見えなくても、特徴的な姿……見覚えはないか?」
「ない! でも、リゼっちのそれを知っているのは限られた人だけ……それも、あたしが想定するに――」
リグレットが話終えるより先に、ドロテアは断言する。というよりも、焦っているようだった。そしてドロテアは縋るような目で、エルメルアを見つめる。
「エルっち。力を貸して。『巨人の血』が何なのかは話すから」
突発的なドロテアの言葉に……何時になく真剣なその表情に、エルメルアは慌てて首を縦に振る。ドロテアはそれに安堵したように息を1つ吐いて、すぐ様次の言の葉を紡ぐ。
「『巨人の血』、それはリゼっちの生まれ持った体質で、人並み外れた力を出せる理由。でもそれにはかなりのトラウマがあるの」
そして紅の姫の過去を明らかにしていく。
「幼い頃、まだその力にも気づいていなかった少女は、周りの子と同じように生きていた。でも、周りの子と同じ事が少女にはできなかった。遊び道具はすぐ壊れて、そして……少女が普通に触れた子達も皆、壊れてしまうから」
壊れる……それが何を意味するか、考えなくてもわかってしまう。そしてドロテアはページを捲るように、少女の物語を辿っていく。
「それを恐怖に思う人は勿論いた。だから皆、リゼっちから離れていった。一気に去るとバレるから、毎年毎年少しずつ。そして少女が9歳になる年には、たった1人を除いて皆いなくなった。その人は1人泣く少女へと手を差し伸べてこう言った。――「こっちへおいで」と」
「連れていかれた少女が目にしたのは、沢山の人達が集まる大きな部屋。そして少女を招いた人間は笑って言った。――「ここなら皆遊んでくれる。どれだけ遊んだって……壊したっていいんだよ」って」
「その人間が去った後、少女は気が済むまで遊んだ。部屋中が赤く染まっていく事を気にもしないで。やがて大きな部屋にいた人達は皆、動かず静かになった。そして去った人がいつの間にか帰ってきて、感動したかのように笑ったんだ」
「――1日にも満たない時間で、こんなにも失敗作を減らせるとは! 君の力は最高だ、今後も是非ともここで遊んでいてくれ。……ってね」
一連の話を聞いて、背筋が凍るようなぞくりとした感情が胸を込み上げ……エルメルアは思わずドロテアを凝視する。
その目は、顔は……震えていた。そしてその視線を受けてドロテアは目を伏せる。
「そう。実験の過程で産まれた改造人間達は皆――リゼっちによって処分されたの」
「……っ!」
「そしてその一言をきっかけに、リゼっちは自身が犯した事を知ってしまった。自分は沢山の人を殺めてしまったんだって」
そう言い終え……ドロテアはちらりと、眠るリーゼロッテへと視線を向ける。眠っていても尚、その手に握り締められた「制約のリボン」を見て……ドロテアもまた、自分の手を握る。
「待ってください……。今の話の通りなら、リゼはルブルム出身ではないのですか? それに、私とリゼは9歳よりも前から、知り合いのはず……」
「……少なくともリゼっちは、アイオニオンの娘じゃない。出身がどこだとかまではわからないけれど、身元不明だった彼女はアイオニオンに養子として迎えられた。もっとも、アイオニオンは血の繋がった娘だとしても……出来損ないだと思えば捨てる。そしてまた新しい子を作るの」
膨らんだ疑問を思わずぶつけるエルメルア。それをドロテアは一瞬躊躇うような姿勢を見せた後、ゆっくりと話す。
ギシリ……と重たい城門が、風に揺れた。
「それに――子供は似てるしね。エルっちが毎日会っていたならその疑問も分かるけど、数年に1回あるかないかの国の会合なら……不思議じゃないんじゃない?」
「そう……ですね」
首を傾げ微笑むドロテア、その笑顔は何かを無理に隠そうとしている……そうエルメルアは感じた。しかし同時に、妙に納得している自分もいた。
確かにエルメルアの知るリーゼロッテという少女は、ある年を境に性格が一変していたのだ。それを「慣れたからだ」と思っていただけで、その時点で「変わっていた」としても不思議ではない。
「それに。リゼっちはあの出来事があって以来、「制約のリボン」によって、『巨人の血』を制御しているから。それがあれば、普通に触れたりできる」
押し黙ったエルメルアに口出しさせないように、ドロテアは次に次にと話を進めていく。
「それで、ここからが本題。……その秘密が漏れているって事は、アイオニオンは本気で……リゼっちの命を狙ってるのかもしれない」
口に手を当て、考えるドロテア。しかし先程まで恩恵の開花のために、そこまではしないと言っていた。その矛盾している意見に「でも」と思わず口を挟むエルメルア。
「リゼっちは「制約のリボン」を身につけるようになってから、その力を振るうことは少なくなっていた。それこそ、魔獣なら大丈夫だけれど、人の形をしたものが傍にあるだけで……無意識に避けようとするの」
「確かに……自分が傍にいた時、明らかに動きが悪くなった」
ドロテアの話にリグレットも自身の感じたものを口にする。
「でも、アイオニオンはそんな事を望んではいない。アイツがリゼっちに求めているのは、自分が進む道を邪魔するやつの排除。恩恵の開花以前に、過去に囚われて何もできない現状のままじゃ……」
そしてドロテアは最後までは続けず、顔を俯かせる。
確かにリーゼロッテは、自身の命が危うい状況であったとしても、その力を最後まで振るうことはなかった。狐面に攻撃をしていたとしても、リグレットから見てもあれは牽制のためのもの。当てる気は全く感じなかったのだから。
「……ドロテアちゃん。実は――」
空はいつの間にか曇り……俯くドロテアの顔色も分からない中。エルメルアはそっと彼女の側へと近づき、耳打ちをする。
その右目はぼんやりとした翠の灯火が宿っていた。
「そっ……か。うん。わかった」
エルメルアの話を聞いて、ドロテアは一瞬暗い顔をして、そしてまた、笑った。
「それなら任せて。ルブルムは――目的の為なら、手段を選ばないから」
そして未だに眠っているシャリーを再び起こして、リグレットに1つ礼をしてリーゼロッテを下ろし……その頬をつつく。
「……ん……? あれ、私……いつの間に……寝て?」
「きっと疲れてたんだよ。リゼっち」
「そう……かしら、でも……うぅ、頭が」
「……無理に思い出さなくていいよ。いつか、思い出すからさ」
目を覚ましたリーゼロッテに、ドロテアは優しい声をかけブランの城門へと歩いていく。
「えーっと、エル。その……恥ずかしい所を見せちゃったわね! だから、今度会う時は――成長した私を、見せてあげるわ」
「ええ、リゼ。楽しみにしてる。だから……」
「……?」
「……なんでもない。私も、ノワールとの決戦があるしなって。だから、お互い頑張りましょ」
エルメルアの言い淀む姿勢にリーゼロッテは不思議そうに見つめるが、エルメルアはすぐにはにかんで手を差し伸べる。
その手を見て、リーゼロッテはすぐに笑って、ぎゅっと手を握る。
「ええ、分かったわ」
白と赤の姫達は固い握手を交わし、そしてリーゼロッテは歩いていく。曇天の先、遥か彼方で光が差し込んでいるルブルムへと。




