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Palette Ballad  作者: Aoy
第1章 盤上に踊るは白と黒
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58. 潜んでいた刺客

「ぜんっぜん大した事なかったわね」


 そんな軽口と共にリーゼロッテはリグレットへと微笑みを向ける。それに対してリグレットは「ええ」と質素な返事を返す。

 というのもリグレットはリーゼロッテが軽く肩で息をしている事が気がかりだったからだ。魔獣の群れは量こそ多かったが、その強さは言葉通り大した事なかった。

 しかし直前まで圧倒していたリーゼロッテはリグレットが傍に居ると知ってからは、その動きはぎこちなくなり、1発で仕留めていた攻撃も数発を要するようになっていたのだ。

 リーゼロッテ自身は気にしていないようだが、リグレットはその変化に奇妙さを感じていた。しかし同時に、それについて触れることに躊躇いも覚えていた。


「……急に怖い顔ね。どうかした?」

「いえ……別に」

「そう。なら行くわよ、エルが待ってるんだから」


 そんな考え事をしていれば、覗き込むように現れたリーゼロッテの顔。少しでも動けば触れてしまいそうな距離感に思わず飛び退いてから、平然を装って返答。しかしリーゼロッテはそれを疑いもなく……むしろ興味がなかったようにぷいっと歩いていってしまう。

 呼び方の件といい今のやり取りといい、本当に読めない子だ。従者として仕えているエルメルアには、この距離感でも何も思わない――むしろそれが普通だと思えるというのに。


 その思考をかき乱すように、背中から肌を刺すような風が草木をざわつかせる。リーゼロッテという少女に振り回されて今の今まで気にも止めていなかったが、先程から度々冷たい追い風が吹くことにリグレットは些細な違和感を感じた。

 こんなにも強い風はブランからみて南西に位置するこの平地では珍しい事。毎年寒風はブランからかなり離れた北側にある雪山から降りてくるものばかりで、そのほとんどはノワールのある北東に降り立つのだから。

 この強さでは、あの雪山も軽々と登っていってしまうだろう――そんな楽観をすると同時、再び吹いた一陣の風。その風は明確な……しかし静かな、殺意があった。


「……ッ! 護れ!」


 リボンを拾うためにしゃがみ込んだリーゼロッテの項へと、的確な狙いを定めた速い風を、咄嗟に発動した簡易防術で防ぐ。そして弾くと同時、しゅるりと流麗な動きと共に姿を現した人影。


 黒い外套にフード……なんと言っても極めつけはその顔に着けられた狐の面だろう。絶対に姿を晒さないという意志、はたまた人間ではないから姿を隠しているのか……どちらなのかは不明だが、手に持つ収められた刀から見て敵であることに変わりはない。


「「…………」」


 鞘に収めた刀、その柄に手を触れたまま微動だにしない狐面をリグレットは鋭い目で睨みつける。

 そして心で厄介だ、と眉を潜ませる。というのも、こうした一対一という状況において、目線の動きといった僅かな動きで相手の行動を見極めなければいけないというのに、面という手段で防がれているのだから。

 勿論、面を被る事で視界が遮られるという不利こそあるが……そんな不利も「護る者がいる」事に比べれば、些細なものだろう。


 そして僅かに、狐面の手が……ブレる。

 たったそれだけの動きで、数発の斬撃。

 それもリグレットから狙いを敢えて外して、リーゼロッテだけを捉えたものを。

 リグレットはそれら全てを瞬く間に剣で防ぐ。似て非なるものではあるが、そういった類の攻撃はセアリアスが得意としているものであるから。


「……その剣の腕、素晴らしいものです。機会があれば、是非一度手合わせをしてみたいもの。――しかし今は、邪魔をしないでください」


 それを見た狐面は感嘆するかのように、初めてその声を発した。感情を押し殺したかのような、落ち着きのある女性の声。

 その言葉にリグレットが素直に頷くはずもなく、両者の動きに変化は生じない。ただただ虚しく時が流れていくだけだった。


「……リグレット? 何をして――って貴方誰よ」

「……リーゼロッテ様。私の後ろに」


 そんな静寂にリーゼロッテは構わず踏み込む。その手には汚れてしまったらしい「制約のリボン」を握って。

 そのまま狐面に噛み付いていきそうな勢いのリーゼロッテをリグレットは制止。その並々ならぬ様子に、リーゼロッテも大人しく止まる。


「名乗る必要もないでしょう。私は弱虫の姫君を殺す……ただそれだけです」


 遅れて、リーゼロッテの問いに律儀に返答する狐面。しかしそれは極めて冷淡であり、わざとらしい煽りまで入れられたもの。そもそもリグレットが間にいなければ会話すらもなく、リーゼロッテへと刀が振るわれていただろう。


「……リグレット、ちょっとどいてくれる?」

「ですが……」


 それを聞いて、リーゼロッテは不機嫌さを露わにする。そんなリーゼロッテにリグレットは目線だけを向けて、渋るような様子を見せる。


「いいじゃない。どうせあいつの目的は私でしょ? あいつの言葉……そっくりそのまま返してやるんだから」


 それを振り切るようにリーゼロッテは前に出る。

 その言葉を聞いて、くすりと気品があるような……それでいて嘲笑うかのような意味を含ませた笑いを見せる狐面。


「……随分、大きな口をきくようになったのですね。私は……貴方には到底無理な事だと、思いますが」

「――うる……さい!!」


 遂に耐えかねた怒りが爆発するように、リーゼロッテは地面を蹴ったとは思えない轟音と共に狐面へと肉薄。そして魔獣達に見せた以上の拳と蹴りの雨を降り注がせる。


「力はあれど、それを振るう技術は毛頭ない。貴方のそれは「戦い」ではなく……ただの「喧嘩」にすぎない」


 その雨一滴一滴を、手に持つ刀すら使わず捌いていく狐面。自分の全力をただの片手で……それも話す余裕さえある状況にリーゼロッテの表情に苛立ちと焦りの色が混ざる。


「貴方に恩恵(ソフィア)があろうと……貴方が生まれつき尋常ではない力を出せようと……当たらなければどうということはありませんから」

「だまれ……!」

「いえ、最後のは余分でしたね――」


 怒り任せの一撃が当たる訳もなく、空を切る拳。そしてその拳圧で大地が削れる音が虚しく響き渡る。

 そして訪れた静寂が運命とでも言うように、狐面はリーゼロッテへと確信的な一言を放つ。


「――『巨人の血(ブルトギガス)』さえなければ、もっとまともに戦えたかもしれませんね」

「……っ!! なんっ……で」


 『巨人の血(ブルトギガス)』……その単語を発した瞬間、リーゼロッテは明らかな動揺を見せる。


「ええ、知っていますよ。任務対象の情報は多いほど有利ですから」


 パシっ……と、動揺によって速度も威力も弱まった攻撃を、手で受け止める狐面は、悪戯でもするかのような声色で更に続ける。


「ほら、今貴方が力を加えれば……私の手は呆気なく砕けてしまいますよ?」

「……っ!!」


 だがしかし、リーゼロッテはその腕に――力を入れることはなかった。むしろ、その腕は震えていた。

 狐面はその受け止めた手に力を込めて、反射的にリーゼロッテに力を出させようとするが、リーゼロッテはそれを拒む。


「いや……やめて」

「…………」

「いや……! いやだから……!」


 震えて俯くリーゼロッテに、狐面は軽い溜息を吐く。


「……だから貴方は弱いと、言ったのです。過去に囚われ続け、そこから一歩も進めていないというのに、気概だけでその先へと進もうとしている姿は、実に弱くて哀れです」


 突き飛ばすように狐面は手を振りほどき、その勢いのまま地面へと座りこんでしまうリーゼロッテ。先程までの威勢は完全に無くなり、そこにあるのは「自身に対しての恐怖」だけが残っていた。


「犠牲無くして幸せなどありはしない。過去の……殺める事への恐怖がある限り、今の貴方では本当の「戦争」の前では足手まとい。むしろ――大切な仲間を失ってしまうかもしれませんね」

「…………」

「だからこそ……。私は貴方をこの手にかける。大切な人を失う後悔は、知らない方がいいでしょうから」


 そう言い終えると同時、狐面は鋭利な銀色を覗かせる。

 それをただただ呆然と眺めるリーゼロッテ。活発な彼女はもうどこにもいない。感情が欠落した人形のように、ただその刀が振り下ろされるのを待っていた。


 しかしその光景をただリグレットは見守るだけではない。当然のように剣を構え、その一刀を防ぐために2人の間に再び立つ。


「……先程。邪魔をしないでと、言ったはずですが」

「なら俺ごとやればいい」

「……はぁ」


 頑なに動こうとしないリグレットに、面倒だとでも言うように溜息を吐き、狐面は輝かせていた銀色をその鞘へと収める。


「……無益な殺生は私の趣味ではありません。それに――」


 そして狐面はへたりこんでいるリーゼロッテへと顔を向け、その言葉を続ける。


「その様子では、死んだも同然でしょうから。もし次があるのならば、貴方がいようが此方も容赦はしません」


 そう言い残して、狐面は音もなく風と共に消えた。


 殺気も気配も、完全に無くなったのを確認し、リグレットは警戒を緩めると、リーゼロッテへと目線を合わせる。


「動けるか?」


 その問いにリーゼロッテはこくりと頷くが、結局足に力が入らず、またぺたりとふらついてしまう。

 それを支えようと彼女の身体に触れれば、リーゼロッテはびくりと距離を取り、怯えたように自身の手を見つめる。


「大丈夫だ、ほら。触れるのが怖いなら、こうすればいい」


 リグレットはひょいっとリーゼロッテを持ち上げる。手も足も触れないですむ……横抱きの形で。

 内心気乗りはしないが、仕方がない。そう自分に言い聞かせて、リグレットはブランへと向かう。リーゼロッテはただひたすら小声で「ごめんなさい」と謝り続けていたのだった。

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