57. 紅き保有者
エルメルアの護衛から離れ、内心に不安を秘めながらルブルムの姫――リーゼロッテの後を追うリグレットは、さらりと彼女の姿を上から下まで流し見る。
赤を象徴とするルブルム、その姫の名に恥じぬほど全身に赤を散らばらせた服装は、幼いエルメルアに読み聞かせた御伽噺の主人公のようなドレス。その膝下から見える健康的な素肌に履かれているのは分厚いブーツであり、見るからに戦う姿ではない……というのに、彼女とリグレットを含めて周りには誰もいない。
「貴方の事は、エルから沢山聞いていますわ」
そんな疑問を抱いていたリグレットを他所に、リーゼロッテは言葉を交わす。
突如として投げられたそれに、リグレットは思わず素で返そうとするが、それはダメだと一呼吸おいて丁寧に相槌を返す。
「でもどう呼べばいいのかしら……。変に呼ぶとエルに怒られそうだし……」
「別に――」
「リグレット様〜なんて硬すぎますし、かと言って呼び捨ては馴れ馴れしいかしら……?」
「あの」
「うーん……。やっぱり呼び捨てにしましょ。怒るエルも可愛いもの」
しかしリーゼロッテという少女はそんな相槌など気にしていないように話を進めていく。リグレットが会話に割り込もうとしてもそれは止まることがなかった。
エルメルアからリーゼロッテの話は度々聞いていたが、まさかここまでとは予想もしていなかったリグレットは、溜まった気疲れを晴らすように溜息をひとつ。
「いいわよね、リグレット」
「……リーゼロッテ様がお気に召すなら、どうぞ」
ようやくこちらへと話を振ったと思えば、それは了承を得るためのもの。仕方なく、リグレットは疲れ果てたように返答すれば、リーゼロッテはふふっと笑みを浮かべた。
「ほんっ……と。エルと似てるわ。そういう真面目な所。嫌いじゃないけれどね」
でも……と続けるリーゼロッテ。しかしその続きは、出てくる事はなかった。言い淀むような、躊躇うような、そんな沈黙を突き抜けた風が、木の葉を散らす。2人以外の障害物は何も無い閑散とした場所だからこそ、その風は余計に強く感じた。
「……まっ。湿っぽくなっちゃうから、この話は聞かなかった事にしてちょうだい? 敵さんも、こうしてゆっくりとお話する時間を待ってくれないみたいだし」
その様子に口をつぐんでいたリグレットを見て、リーゼロッテは、その顔をリグレットに見せないように振り向き、話題を変える。その視線の先に魔獣の群れを捉えて。
徐々に徐々にと聞こえ始めた魔獣達の行進に、リグレットも視線をそちらへと向ける。
「リグレット、貴方の腕前……見せてもらうわね。じゃあ、行くわよ」
以前と比べれば、魔獣の数も体格も遥かに小さく少ないが……それはこちらにも言える話だった。
どうしたものかと打開策を考えるリグレットに対し、リーゼロッテは旅行にでも行くかのように、楽しそうだった。
優雅に歩みを進めて、リーゼロッテは頭の上に結んでいた黒いリボンを片手で解き――。
「折角の舞踏会、なんだから」
弾丸のような速さで魔獣達の群れへと飛び込んで行った。
少女が踏みしめた大地は歪み、その尋常ではない脚力にリグレットは目を丸くする。先程、彼女の華奢な体躯を見て疑問を抱いていたのだから。
急いでリグレットもその後を追う。しかし身体を魔術強化しているというのに、中々縮まらない距離。そしてその間にもリーゼロッテは観客の中心で舞う踊り子のように、靱やかで美しい動きで魔獣を次々と蹴散らしていく。
くるくると回転しながら、肘打ち、裏拳、そして追い討ちに回し蹴り……流れるような打撃は魔獣の硬い皮を砕く。それも意図も容易く。
それがリグレットは不思議だった。回転による遠心力を乗せた威力だけでは、魔獣の外殻は壊せないというのを身をもって知っているのだから。
ようやく彼女の舞いの特等席に辿りついて、まじまじと彼女を見るが特別な武装をしている訳でもない。となれば特別な力――。
「……チッ、分析はできそうもないか。『無銘の神剣』!」
そう考えを纏めようとした時に、リグレットが捉えたのはリーゼロッテの死角を狙って攻撃を仕掛ける魔獣。
咄嗟に舌打ちと共に自身の武器を繰り出し、荒く握ると同時に薙ぐ。
自然とリーゼロッテとリグレットは互いの背を預けるような形になり、その気配に気づいたリーゼロッテはリグレットへと警告する。
「リグレット。私に背を任せてくれるのは嬉しいけれど、攻撃に巻き込まれないようにね。貴方まで死んじゃうから」
その警告にリグレットは首を縦に振る。周りに転がる無慈悲に変形した魔獣達を見れば、その言葉が冗談ではないと嫌でもわかる。
緊張したリグレットの様子に、リーゼロッテは軽く微笑み、そして静かに呼吸を整える。
「『紅の舞闘』――『舞曲変化・輪舞曲』」
そして同じように静かに言葉を紡ぎ、その音が空気を震わす僅かな振動が合図。
くるりと軽やかな回転と共に空を薙ぐ一蹴、それに巻き込まれた魔獣達は鳴き声を上げる間もなく分裂し、歓声の代わりにと舞った赤色。
少女はそれでも満足しない。なぜならまだ、舞踏会は終わりを告げていないのだから。
「さぁ、フィナーレと行きましょう。あんまり遅いと、エルも心配しちゃうからね」




