56. 淀む赤色
巻き上がる砂煙、その中を蠢く影。
城門にて突如始まった戦いに、戸惑う住民もいない。それもそうだ、こうなる事は事前に予知している。先手を打って、可能な限り城門や王城から遠ざけた。
「見ず知らずの他人だと言うのに、わざわざ救うとは……。世話焼きな女だな」
「…………」
「それに、簡単に背を預ける信頼の薄さ……。オレと刃を向けあったからって、ドロテアが味方だとは限らねぇってのに」
ソリスタは鎧と共に被っていた猫を脱ぎ捨てたようで、口調を荒々しくなっていた。
胸にサラシを巻いて、動きやすそうな布製のズボンを履いた――全体的に女らしさを隠したその出で立ちは、突き刺すような視線を、エルメルアへと向けている。
「……少なくとも。今は敵対はしませんから」
「ハッ――」
その視線から逃げる事はせず、エルメルアも真正面から受けて立つ。そんな彼女をソリスタは嘲笑。
「敵対なんて正直どっちでもいいぜ、今だろうが後からだろうが。どうせてめぇは今ここで――」
「……っ」
そして動いたソリスタ。鎧という重い枷が無くなったからか、その動きはドロテアに見せたそれより素早く、あっという間に寸前まで距離を詰められる。
「――死ぬんだからよ」
その速度を乗せるように、振り抜かれた一刀。エルメルアは咄嗟に展開した防壁でそれを防ぐが、たった1枚の花弁では無力だった。
弾け飛ぶように霧散する防壁、その反動に押されるように跳ねる身体。穢れのない白の装束が土埃で汚れようとも、その目から光が消える事はない。
「…………ふぅ」
むしろ、エルメルアは「試した」かのように、満足したような顔をしていたのだ。
死を前にしているというのに、涼しい顔。明らかに劣勢であるというのに、そんな余裕を見せられれば誰しもが苛立ちを覚えるだろう。
「……腹立つ――なァ!!!」
他でもないソリスタも、エルメルアからの挑発とも取れる態度に苛立ちを隠せずにいた。
怒りを煽った所で、動きが鋭く速くなるばかり。実戦経験もない素人が、それを見て回避することなど不可能に近い。
「……『予知』」
しかし――。
彼女は違う。
爛々と輝いた翠、その右眼が捉えた数秒の未来。
それを辿るようにエルメルアは身を翻す。
彼女はずっと見ていたのだ、小さな頃からずっと。
憧れを抱いていた従者の動き、その身のこなしから、剣の捌き方全てを、一番近くでずっと。
交錯する蒼と翠、変えた未来の先を更に予知。
軽やかに舞い、時には防壁で弾き、時には魔術で先手を打つ……リグレットの動き全てを模倣できずとも、彼より優れた魔術で補えばいい。
これがエルメルアの編み出した『予知』を用いた戦術。その理想的な動き方だった。
「チッ……くしょう!」
舌打ちと共に吐いた苦言。ソリスタは傾き始めた形勢を直すべく、後ろへと飛び退く。
しかしそれさえも、予知の範疇――。
「『万花』――『集い穿つ星花の光』……ッ!!!」
右手で防壁を象っていた花達を散らし、左手でその花達を優しく包み込む。
そして手中から現れた、淡い色の花達で彩られた弓。
『集い穿つ星花の光』――それは自身の周囲を迎撃する『万花せし星の光』をより遠くの範囲、そしてより強力にした遠距離に特化した形態。矢はエルメルアの魔力からなり、矢の弾数といったものはない。
矢を番えるように右手を構えれば、光の粒子が矢の形状を象る。そして構えた右手をぱっと手放せば、光の矢は直線上に鋭く飛んでいく。そんな数秒にも満たないその動作をエルメルアは数回繰り返す。
「くっ……そがッ!!」
放たれた矢はどれも、ソリスタに触れるか触れないか程度――鎧を着ていれば確実に命中していた距離だった。
そしてソリスタは赤くなった右腕をちらりと流し見る。
触れてはいない。ただ至近距離を通っただけ。
だと言うのに火傷の様な赤い傷。それがそれだけ魔力が凝集されている事の証明であり、もし当たればどうなるかというのを想像させるには充分なものだった。
「……おい、話が違ぇぞ!! クリエ!!」
しかしソリスタの苛立ちはエルメルアにではなく、その後ろで何かをしているはずのクリエに向けられたもの。
怒鳴りつけるような声、しかしそれに反応は――ない。
「こんな時まで寝てんじゃねぇ――あ?」
まだ聞こえてないのか、と振り返って声を荒らげるソリスタの眼前に広がったのは、倒れ伏したクリエとその上に座ってにこにことしているドロテア――。
「2対1は卑怯じゃーん? だからあたしがボコした!」
ぶいっ、と二本指をたてて勝利のサインを見つけるドロテア。先程受けた怪我は包帯で巻かれており、そこから血が滲んでいる事から無理はしたのだろうが、その表情に苦痛の色は全く見えない。
残るはソリスタ1人、しかしソリスタはむしろその場面に辿り着けた事に口角を吊り上げる。
「ハハッ、確かにクリエは厄介だけどよぉ……。でもオレの異能を知ってるなら……わざわざ『孤立』させるなんて――傷のせいで頭に血が回らなくなったか? ドロテア」
「うん、知ってるよ。君がようやくこの状況で発動できる燃費の悪い異能って事も――」
「知ってて? ハッ、やっぱりてめぇはとんだバカだぜ、何もかもイカれてやがる」
ドロテアの静かな声を、遮るようにソリスタは嘲笑。
そんなソリスタに、ドロテアは呆れる訳でも以前のように更に煽る訳でもなく、ただ静かに事実を告げる。
「――それでもエルっちには勝てないって事も」
「あ?」
「勝てないよ。何度だって教えてあげる。君じゃ――あたし達じゃ勝てない」
何時になく真剣な表情で、ドロテアはソリスタに向けて言葉を紡ぐ。
しかしそれを向け入れられないソリスタは徐々に怒りを積み上げていく。
「そんなの――そんなのやってみなきゃわからねぇだろ!」
吐き散らすように声を荒らげ、踵を返すと同時エルメルアへと勢いよく突進。そして自身の異能の名を呼ぶ。
「『孤高の狂戦士』ッ!!」
ソリスタがそう叫ぶと同時、その身体が急加速する。
「……ッ! 『万花』――『集い護る星花の光』」
予知せずとも目で感じた、危機。咄嗟に花弁の形態を弓から盾へと変化させ、その突進を受け止める。
「――くっ、うぅ…………!」
ジリ……ジリと後ろへと下がる身体。初めてエルメルアは顔を歪ませる。
ソリスタの急激な変化に対応できなかった、というのも勿論だが、それよりも彼女を苦しめていたのは他でもない恩恵。
それもそうだ、今の彼女は断片的な未来を永続的に視ているのだから。
数秒先の未来と、現在進行形の今。それらを同時に観測し、そして理解する。数秒だけでも異なる時間軸――その僅かなズレが、船の上に乗っているかのような気持ち悪さが常にエルメルアの中にある。
それに加えて、その予知した未来から自身の最適な行動を選択する処理能力、そして行動する体力が、エルメルアにはまだ足りない。
――このままでは押し切られる。
嫌になるほど、その現実を突きつけられる。
ならば、どうするべきなのか。
そう頭が考え始めた時には、既にエルメルアの身体は動いていた。突進を受け止めていた両の手を右手のみに減らし、もう片方に魔力を集中させる。
「久遠に果てなく輝き続ける星。朽ちることない、白き星座」
噛み締めるように紡ぎ始めた言の葉。それらに呼応するように盾を形成していない花弁達は輝き始める。
「万花する光の、終わらぬ旅路――」
紡いだ術式は『万花せし星の光』と変わらないもの。しかし紡ぐ言の葉はまだ舞い続ける。
「星よ、岐路にて我を導け。集い咲きし星の花達は、万物を裂く剣となる――『集い裂く星花の光』ッ!!!」
言の葉が枯れ、その代わりに咲いたのは左手の魔力。
盾を形成していた花弁達もいつの間にか左手へと飲み込まれ、防いでいた盾に代わるように、その手に握られた光の剣が突進を受け止める。
か細いその剣は、今にも折れてしまいそうな程。しかしそこに満ちる魔力は今までのどれよりも濃く、ソリスタの纏う魔力を徐々に徐々に、霧散させていく。
『集い裂く星花の光』、それは エルメルアがもつ最大の攻撃魔術。今までの『万花』した形態は花弁をある程度自在に変動できたが、これは違う。10枚全ての花弁を消費して発動する事ができるもの。
本来は言う必要のない術式だが、今回は万花している僅かな時間すらも許されない状況だったため、万花せし星の光を同時に存在させるという荒技にでたのだ。
勿論、無理な魔術の使い方は身の負担になるが、死ぬよりはマシだ。例え恩恵の代償と合わさって、自身の身に倦怠感や痛みが走ろうとも関係なかった。
異能による自己強化が破られたソリスタは僅かに驚きの表情を見せる。……が、肩で息をするエルメルアをひとたび見ると、その表情から諦めの色が消え、切れ切れの体力を振り絞って剣を振りかざす。
パキン……ッ!!
そして響いた金属音。それはソリスタの持つ剣から奏でられたもの。
対するエルメルアはただ受け止めただけ。たったそれだけで折れたのだ。
「――貴方の、負けです」
そしてエルメルアはソリスタの敗北を淡々と告げる。
武器を失ったものが、武器を持つものに勝つのは困難だというのもある。
それにソリスタよりも華奢な体躯で、今にも倒れそうなボロボロな姿だというのに、それでも圧倒的な魔力の差を見せたのだから。それが何よりも証明だろう。
「認めるかよ……ここでてめぇを殺さねぇと、うちの御嬢が死ぬんだからよ!!」
しかしソリスタはまだ反抗の意志を見せていた。
そんな態度にエルメルアは憐れむような目でソリスタを見て、深くため息を吐く。
「御嬢……それがリゼの事ならば――私の生死に関わらず、殺されますよ?」
「……は?」
「王である私に護衛がいないのも、全てはリゼを護るため。……少々こちらの予測とは異なる事がありましたが」
エルメルアの発言に目を丸くしたのはソリスタだけではない。ただ1人ドロテアだけが、答え合わせをするように「やっぱりか」と小さく呟いていた。
「は、話が違うだろっ! だって陛下は、白の女王が御嬢を狙ってるって……」
「ではその陛下から私の話は、どこまで聞きました? 私が彼女の幼馴染である事、そして――私の恩恵については、聞かされましたか?」
「…………」
「……仮にも、リゼを知っているというのなら。彼女の強さも知っているでしょう? そんな彼女を殺せる相手ならば、相応の実力があるはず。そんな相手に作戦無しに飛び込ませるのは、あまりにも不自然です」
エルメルアの問いにソリスタは沈黙。その様子を見て、エルメルアは思考を巡らせる。
陛下――ルブルムの国王は、エルメルアの父であり前代ブランの国王であるラフィデルとは親しい仲であり、エルメルアとリーゼロッテが仲良く遊ぶのを微笑ましく見守っていた日もあった。
それにルブルムの国王と話す時、いつも父はこういうのだ――「俺の愛娘は、きっと恩恵の素質がある。目が綺麗だから、きっと目に関する力だ」と。
恩恵の発現理由は不明だが、当時からずっと両親から受け継がれるものだとされていた。
そしてエルメルアの母には特異な力があるというのをルブルムの国王は知っている。
ならばたとえエルメルアがリーゼロッテの命を狙っているのを防ぐためにソリスタ達が来たというのなら、事前に情報として伝えるはずなのだ。「白の女王には、特異な力があるかもしれない」と。少しでも恩恵が発現している可能性を知っているなら、尚更。
それが無いということは――。
「エルっちの力を試したか、そもそもの本命がリゼっちだったか……でしょ?」
巡らせて思考を止めたのは、動揺も何一つしていないドロテア。彼女は見透かしたように笑って、エルメルアの考えを言葉にする。そして静かに肯定してエルメルアを見て、また笑みを深めるのだ。
とことん予測不可能な子だ。恋するように血を語る狂気さだけではなく、こうした推測力――地頭もいいらしい。
かといってその表情や言の葉の裏に隠れているのは、ただただ純粋に楽しんでいる無邪気さだけ。彼女にとって戦いや争い事は単なる娯楽に過ぎない。
「どちらにせよ。陛下は御嬢を殺そうとしてるって事で、違いないんだよな?」
「……ええ」
「なら話は終わりだ。行くぞクリエ」
難しくなり始めた話を、ソリスタはうんざりだと言わんばかりに手を振り、寝転んでいるクリエを叩き起こして足早にブランから去ろうとしていく。勿論、ドロテアはそれを遮るように仁王立ち。
「どこ行く気?」
「どこ? ルブルムに決まってんだろうが」
「……あっそ。せいぜい――死なないように、ね」
「チッ……。わぁーってるよ、んな事はな」
そんなドロテアに構うことなく、乱雑に言葉を返し傍らを通り過ぎていくソリスタ。
ドロテアもまた、つまらなさそうにしながら少し意味の含んだ物言いをソリスタへと再び投げかける。単純なソリスタがこれから何をしようとしているのか、ドロテアからすれば手に取るようにわかっているから。
その言葉に軽く舌打ちをして、ソリスタはブランを後にする。それを最後まで見届けることなく、ドロテアはくるりと向きを変える。
「エルっち。少し、お話しよっか」
先程までの冷めた目がぱっと変わり、ドロテアはにこりと微笑みながらエルメルアの手を握る。
「リゼっちが帰ってくるまで。私達の『異能』と、ルブルムについて……ね?」